ボタニカ 朝井まかて | 腹六分目の幸せ

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ボタニカ 朝井まかて

 

 

あらすじ

 ただひたすら植物を愛し、その採集と研究、分類と無我夢中。莫大な借金、学界との軋轢も、なんのその。すべては「なんとかなるろう!」ーー日本植物学の父、牧野富太郎。愛すべき天才の情熱と波乱の生涯!「おまんの、まことの名ぁを知りたい」明治初期の土佐・佐川の山中に、草花に話しかける少年がいた。

名は牧野富太郎。小学校中退ながらも独学で植物研究に没頭した富太郎は、「日本人の手で、日本の植物用(フロラ)を明らかにする」ことを志し、上京。東京大学理学部植物学教室に出入りを許されて、新種の発見、研究雑誌の刊行など目覚ましい成果を

上げるも、突如として大学を出入り禁止に。私財を惜しみなく

注ぎ込んで研究を継続するが、気がつけば莫大な借金に身動きが取れなくなっていた・・・・。貧苦にめげず、恋女房を支えに、不屈の魂で知の種(ボタニカ)を究め続けた稀代の植物学者を

描く、感動の長編小説。

 

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朝ドラ“らんまん”はどんな主人公なのだろう?なんて思っていたら、植物学者・牧野富太郎さんの物語だと言う。へぇ~なんて、ただ思っていただけだったが、図書館での予約本で順番が来たと取りに行ったら彼の伝記だった。

テレビドラマのことは全く知らず、ぽちっと予約したのは10ヵ月位前のこと、始まってすぐに借りられるなんてすごく運が良いのかもしれない。

 

ドラマが始まったから、NHKのいろいろな番組で紹介されるようになり、先日はEテレの園芸番組で。。。

 

本には、富太郎さんはカメラを向けるとポーズを取ると。照れ

 

 

 

 

ドラマではお酒の品評会だったけれど、ここでは地元の桜が東京での品評会に出されたと。背が低く一年目から咲くらしい桜は、この写真のかは分かりませんが。

 

1862年(文久2年)~1957年(昭和32年)、江戸時代にお生まれになった富太郎さん、94歳の亡くなる直前まで日本のあっちこっちで、草花、そして野菜に至るまで採集されていたようですよ。

 

小さい頃から草花に異常なほどの興味を示していた富太郎は、

蘭林先生との出会いで学問に目覚めます。

20歳になって、桜の品評会を見てくると東京に行くのですが、

これが本当に遠そうですよ。

高知歩き浦戸蒸気船神戸港歩き神戸駅陸蒸気京都、この陸蒸気は恐ろしいほどの音と煤煙、鼻の穴は真っ黒だったそうです。

京都歩きで滋賀と三重の鈴鹿峠を越え→四日市蒸気船横浜港歩き横浜駅陸蒸気新橋

念願の 伊藤圭介氏 と 田中芳男氏 に会えたことをきっかけに

植物研究の人生を辿ることになりますが、夢中になると他が見えなくなる富太郎、だから家族を初め関わる人たちは振り回されてばかり。

外国から比べると日本は遅れている、その遅れを取り返すには

いくら時間があっても足りない、書物書物!と新しい本が出れば買い、なかなか借金地獄から抜け出せない。

そんな時、富太郎の功績を朝日新聞が取り上げた。そして奇跡か支援者が現れ、神戸に研究所まで用意してくれたのだが、

月に一度は通って山と積まれている資料の整理をするという約束もそのうち守らなくなって、支援者を怒らせてしまったり。 

ほっとしたのもつかの間、結局、一生楽な生活とは行かなかったようです。

その時その時に出会ってしまった草花に夢中になってしまうのは、やっぱり本能だったのでしょうね。

 

小説では一人っ子となっていて、祖母が引き取って一緒に育てた妹の子供・猶と結婚させます。採集で飛び回っていて殆ど家に

いない富太郎とは夫婦らしい生活はしていなかったようです。

あらら~?今日の内容がこの場面でしたね。

姉だと思っていたけど実は従姉…

 

東京帝大で研究を始めるようになって、高知と行ったり来たり。そんな中、同僚たちと行った料理屋の娘・スエと知り合い、

こちらには子供までできて、本当の二重生活になってしまう。

夫の借金の工面に翻弄していた猶はスエにまで気遣いをして、

昔の人はこんなにまで尽くすのかと。

二人の妻に苦労をかけて… 功績が認められたから良かった?

いやいや~昔の女性はそんな見返りは求めないのかも。

この先、朝ドラはどんな風に進むのでしょうか?

 

人生は誰と出会うかだ!と仰っていたそうです。

確かに、これは誰にでも言えることではないでしょうか?

人に限らず物であっても。。。

 

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