越後⑥上越市~十日町、棚田の世界 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

越後の旅の四日目となりました。

車移動+ウォーキングとはいえ、毎日が暑さとの戦いである。ずっと似たような風物が続く場面もあるけれど、必ずどこかで新しい驚きが飛び込んでくるので飽きない。長丁場は、とにかくやり切ることが大切だ。

 

【2024年8月7日】

 

上越市の広大な田野を東へ

 

①川石石仏群の六地蔵(上越市三和区川浦)

上越妙高駅前のホテルを出発して、東の三和区方面へ向かった。三日前に上越入りして、やっと今日は脱出していく。

今回石仏に関しては、『越後・佐渡 石仏の里を歩く』を参考にした。20年以上前の刊行物だし、すでに廃れて行けない場所も多かった。登山でもそうだが、案内書の類は時間が経つと役に立たなくなってくる。再三言うが、Googleの手を借りなければ旅ができない。

県道30からわずかに入った墓地、この一帯は中世には川船が集まる場所だった。珍しい姿の六地蔵は、室町時代の作という。

 

②水科石仏群の石造仏頭(上越市三和区水吉)

こちらは県道184の山際、近くまで行くと道路型の案内標識もある。

朝なので堂内が暗くて、肉眼ではほとんど見えなかった。デジカメと編集ソフトはたいしたものです。大分・臼杵の石仏を彷彿とさせる。

 

③米山堂・西国三十三所観音(上越市頸城区手島)

今度は北へ寄って、北越急行くびき駅の近く。県道240に路Pして東側の山林に入る。道標に従って左手へ登っていくと、開けた場所に出た。馬頭観音のかすかな印が味わい深い。

こんなにたくさん並んでます。昔はここに米山街道が通っていた。米山はあの有名な米山のことで、米山に登れない人はここに参拝するとご利益があったそうだ。文化12年に在の者が写し霊場として建立した。

 

④願成寺の三十三所観音(上越市頸城区日根津)

これまた難しい場所。お寺なのに所在が全く判らなかった。お寺を取り巻く三十三観音は草に埋もれて、探すこともできないという。この三体のみが境内に残されていた。

 

⑤顕聖寺の石仏群(上越市浦川原区顕聖寺)

次は北越急行うらがわら駅の近く。すんなり来たはいいけれど、三十三観音石仏はどこにもなかった。この逆さ杉の周りにあるというのだが。

全くご不明でございます。天保13年の十一面観音と地蔵菩薩坐像二体。

 

⑥袖山の念三夜塔(上越市安塚区袖山)

これは激レアで地味だけど、場所がはっきり分かっているので行ってみた。県道253バイパス安塚ICの北西側旧道三叉路にある。右の青面金剛は、忿怒六臂合掌像というそうだ。腰にはヘビが二重巻きというけれど、じっくり見ても分からない。

左の念三夜塔は、三の字が弐の横棒を一本増やした形になっている。そう言われると確かに。これは廿三夜塔と同義である。

 

⑦上船倉の地震さま(上越市安塚区上船倉字西沢)

ずっと南下して国道405に入り、道の駅「雪のふるさとやすづか」で休憩と取った。次は本日前半のハイライト、地震さま探しである。上船倉の生涯学習センター前の林道を上がって、西沢集落手前の北西側尾根上にあるという。

地震さまは、地蔵菩薩が錫杖で大鯰を押さえつけている像である。昔から地すべりが多かったので、このような石仏を造立して祀ったという。ぜひとも会いたく、西沢十二神社から歩いていった。雨模様の林道から隠れ田を見下ろす。

目指すポイントへ向かって作業道を歩いていった。結果はいくら探しても見つからなかった。後日改めて調べてみると、ヤブをかき分けて尾根に上がるという到達困難な所なのであった。それを最初から文献に書いてほしい。もう誰も行く人はいないかもしれない。

幻の地震さま(なまずを踏んでいる)

 

⑧下船倉の棚田(上越市安塚区下船倉)

西沢集落から国道に戻ったらすぐに反対側の下船倉・須川方面へ、農道を上がっていく。標高差200mほど登ると、棚田が広がってくる。今回の旅で初めての、棚田との出会い。緑一色で、色彩的は単調だが。

こんな山間部の棚田で米を作っているなんて、普段は想像もできない。

 

⑨長野の観音様(上越市大島区菖蒲)

405号は国道とは名ばかりだ。林道レベルの細いくねくね道である。峠を一つ越えて大島区菖蒲へ下ると、一段と開けた集落になる。

明治初期に菖蒲大日庵の呼びかけで40数名の女性が、四国・西国・坂東・秩父の188ヶ所巡礼に旅立った。無事に旅を終えて観音石仏を奉納したという。40数日かかったというから、電車や乗り物が主体だったのだろう。(遍路ころがしなどは別として) 江戸時代ならば全部歩きだったわけだが。それでも女性40人はすごい。路銀はどうしたのか?

 

さてここで、長くて広かった上越市は終わりです。すごいボリュームでした。

再び酷道405で市境の峠を越えて、いよいよ十日町市へと入ります。

 

十日町市の石仏大群落

 

①豊田お国八十八番(十日町市浦田)

十日町市に入っても、いきなり風景は変わらない。県道243から山側に入れば88ヶ所霊場がある。高沢藤助行者が四国を満願して、浄財を募ること8年間。名工を雇って建立したものである。

四角く並んでいるのは、四国という巨大なエンドレスの霊場を表しているのではないだろうか。今も倒れることなく、四国を写し出している。

 

②松苧神社の狛犬(十日町市浦田)

県道を北へ、十日町で最初に会う狛犬だ。

神殿狛犬もおりました。

 

③黒倉の百庚申と三十三観音(十日町市松之山黒倉)

松苧神社の先をすぐ右折して、また山の方へ。黒倉十文字公園という自然公園みたいな場所。青面金剛の後方には百庚申が地面からタケノコのように出ている。

一種の壮観を呈しています。明治29年の建立で、100ではなくて130体あるそうだ。

 

祠の中で唯一大切に祀られているのは、青面金剛でありました。邪鬼も三猿もなく、二鶏が向き合っている。笏谷石のような趣がある。

 

奥の方の大木を取り巻いて、三十三所観音もある。元文4年の建立。畜生観音という信仰があって、8月15日に近郷の牛馬が集まった。この塚を一周すると、牛馬無病息災が叶うという。

特に馬頭観音というふうでもないですけど。

 

何頭の牛馬を見たのでしょう。

 

④室野松苧神社の風神様(十日町市室野)

北上で国道403松之山街道に出て、室野中心部で少々歩く。この神社の狛犬は神さびている。スタイルもかなり個性的。

円筒形台座には二人の奉納者名が彫ってあった。窮屈そうな座り方だ。

 

社殿から離れた木立の中に風神様がいらっしゃる。コケにまみれながらも、ギラギラとした表情だ。明治16年建立だが、その銘はコケの中だった。

松苧神社の向拝、木鼻の獅子。

 

⑤洞泉寺の石仏群(十日町市室野)

すぐそばに洞泉寺あり、大ケヤキ根方の石仏群は74体だった。

寺院は元禄5年に建立された。石仏にもそれくらいの苔が積もっている。

 

これは子育地蔵。いい感じになっている。

閻魔・十王・奪衣婆様たちもいた。

 

⑥室野の棚田(十日町市室野)

室野にも棚田があるということを知ったので、車で上がっていった。眺められるポイントがなかなか見つからなかった。棚田を見るには違う季節のほうがいいでしょう。

 

室野の棚田を終えてちょうど12時になった。ここでコンビニに寄りがてら、北越急行ほくほく線まつだい駅に行って道の駅まつだいで観光情報をゲットすることにした。

 

越後松代棚田群の稲作原風景

棚田マップによると、松代エリアには農水省認定の9ヶ所の棚田がある。この内の5ヶ所を車で巡っていく。

 

No.5 菅刈の棚田 集落の中を上がっていくとビューポイントの看板があった。民家の佇まいと小さな棚田風景がマッチしていた。

 

No.8 田野倉の棚田 まつだい芝峠温泉の近くで蓬平の棚田を遠望して、次にここへ。県道にわずかな展望スポットがあった。

 

No.3 蒲生の棚田 ここは条件が揃えば写真家的な写真が撮れるのだが、真夏は不向きでしょう。

今日はこんなところです。この後で、No.2 儀明の棚田も見た。

あとはNo.1 星峠の棚田がスペシャルに美しいらしいが、それはいい季節にでも来てみたい。

 

これで本日の予定+αは終了。今日は松之山温泉に泊まる。こんな計画の旅でなければ来ることもなかなかない、静かな温泉街だ。今日は石仏群と棚田群に埋め尽くされたような一日だった。小さな驚きの景観もまた、旅の醍醐味だと思う。

つづく