越後③糸魚川の奥地まで | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

親不知からスタートした本日の続きです。親不知方面とは決別して、今度は山側へ幾筋も延びている県道と河川に沿って進みます。ほぼ誰にも会わない旅のスタイルでいきます。

 

【2024年8月5日】

 

県道221・海川中流域

まず大糸線や松本街道や姫川の動脈の東側、海谷山塊の山麓エリア。来海沢集落まで入ってから下流へとたどっていく。

 

①日吉社(糸魚川市来海沢)

まだ朝の9時45分である。雨上がりの水蒸気が大地に立ち込めて、強烈な日差しが体感温度を上げていく。来海沢集落の最奥と言ってよいような、一軒家の隣りが神社だった。長い石段を上がると、狛犬ならぬ神使の猿が迎えてくれた。

これほど立派な猿像には滅多にお目にかかれない。それがあること自体が驚きだ。

 

日吉社の社殿にて。

 

来海沢集落はそこそこの家数があるが、何割かは無住と思われる。この県道の奥は御前山から海谷三峡パークへも通じている。その途中の市野々集落もかなりのものだ。そこへは2017年に訪れた。今回の旅自体が8年越しの続編でもある。

 

来海沢の民家の風景。

集落の辻には地蔵なども祀られていた。

すでに終わっている商店。市街地との格差を強烈に感じる。

 

②釜沢神社(糸魚川市釜沢)

しばらくは県道221を北へ走っていくが、谷筋が広いので圧迫感はない。そして釜沢集落センターの背後の森の神社へ。簡素な造りの社殿だが。

 

神殿狛犬が潜んでいました。なんとも言えぬ雰囲気。

神殿狛犬には殆どの場合近寄れないし、造立年などの詳細もわからない。狭い隙間から、一定の角度で見つめるしかないのです。

 

③日吉社と水保観音堂(糸魚川市水保)

さらに進みます。今度は水保集落の日吉社へ。禁汚穢とは珍しい。

 

ここにも驚くべき猿像があった。社殿右側には聞か猿。

ノミ目が実に猿らしくて、素朴な中にも技量を感じる。そのフォルムといい。

 

左側にも一体見つけた。かくれんぼか!

いやこれは、見猿と言わ猿を一体で表現している。なんと見事な発想だろう。

禁汚穢(きんおわい)の日吉社でした。

 

梶屋敷周辺にて

北陸道をくぐって日本海に出たら右折する。次は梶屋敷駅界隈で少し寄り道を。

 

④奴奈川神社(糸魚川市田伏)

奴奈川姫に因んだ名前がついているが、特別なほどのものはない。玉乗り型の狛犬さん。

 

⑤立壁神社(糸魚川市梶屋敷)

梶屋敷区民会館の駐車場の奥にある。緑とコケの豊かな神社。石造物もコケだらけだ。玉と遊ぶ狛犬。

見つめているのは海の方角。

 

社殿の彫刻にも精細感があった。

今日もかなりの暑さになってきたので、次なる奥地へと向かいます。

 

県道270・早川流域

先程の県道221から一本尾根を隔てて早川流域、海谷と焼山北面が集水域となっている。ここも一番奥から海に向かってたどってみます。

 

⑥東側用水路円筒分水工(糸魚川市大平)

我が家には最近水路にハマっている土木女子がいて、この円筒分水工のこともどこからか見つけてきた。これはかなり真剣に調べないと、場所とか駐車位置も難しそうだった。

県道の最奥部に笹倉温泉がある。この先の林道を登っていけば焼山北面のロングコースの登山口となる。今日は温泉の少し奥の「ゆのかわうちキャンプ場」という完全フリーサイトに停めて、歩いて探すことにした。すでに水路が豊かに流れている。

 

円筒分水工の位置は、基本的にGoogleMapと地形図にプロットしておいた。農道をたどっていくと水路がいろんな方向に流れ下っている。驚いたことに水路の両側が刈ってある。水田の重要な水資源として管理されているのだ。

 

さらに歩いていきます。造成された棚田が広がっている。『東側用水路円筒分水工』は火打山川から取水して、二方向の耕作地を潤している。普段はまず目にすることのないインフラである。

下流方向の風景。

 

めざすポイントは簡単には見つからなかった。しかしGoogleMapは正確な位置を示していると信じてゆく。最後の小道すら見えないのだが、土手と水路を越えていく足場板があった。それを渡った先に何か見えてきた。

 

あった。これが円筒分水工だ!

 

右手から水路トンネルで流れてくる水を、中央の深みから湧き上がらせる。そして二箇所のゲートを調節して分水していく。今は片方は閉じられていた。手前側のみにどんどん流れている。

この用水路は明治12年着工で明治23年に完成したもの。全長22kmという。

 

たかが用水路とはいえ、食糧事情を支える貴重な現役土木遺産である。その構造・発想には脱帽させられる。

ここにあります。

 

満足して駐車地点へ戻ると、どうも気になる刈り跡がある。その先端まで行ってみると、そこが火打山川からの取水口だった。堰堤下の広い川床から導いて、左手前の地下水路へ落とし込んでいるのだ。こんな何気ない構造物にも、深い意味があったのでした。

 

⑦白山神社(糸魚川市砂場)

再び県道戻り、細道をたどって左岸の砂場集落の分かりづらい神社へ。着地のポーズを決めたような狛犬一対。

車移動が中心とはいえ、だいぶ汗をかきました。石段上りも半端じゃないし。

 

⑧諏訪社(糸魚川市土塩)

次はこちら。糸魚川市街の琴平社にいたのと同じです。多少プロポーションは違うけれど。同一の石工ということも考えられる。

どことなく可笑しいです。

 

⑨諏訪神社(糸魚川市東塚)

ここはアプローチもPも激狭&石段。前者とは明らかに作風の違う、強靭系。

この地方では神社の建築様式や装飾はさほど特徴がないです。なので必然的に狛犬その他が主役となる。

 

⑩越後八十八ヶ所(糸魚川市谷根)

次は少しメジャーなスポットで、月不見の池ジオサイトのエリアに含まれている。軽い気持ちで来てみたけれど、1周2kmで3時間とは。まあ行ける所まで行ってみよう。

 

観音堂の箱に入山料を入れて出発。しかし踏み込んではみたものの、草深いし岩だらけの道は起伏が多くて滑りやすい。容易ならぬ道だった。

三番を通過。鎖場も出てくる。軽装ではとても踏破できそうになかった。気温も30℃台の前半はあり、不快指数高し。さっそく引き返すことにした。

 

前方には巨大な洞門が見える。道はあれもくぐっていくらしい。いずれにしてももう少し整備されて快適な条件でなければ無理だろう。

戻ります。

 

⑪月不見の池(糸魚川市上出)

その近くにある名所を訪ねてみた。池の水は減っていて、水面も濁って森を映すのみ。清涼感には程遠かった。

 

⑫山口家住宅(糸魚川市下出)

月不見の池からさらに山側へ登っていく。ここは国指定有形文化財である。安永8年(1779)の普請で、代々庄屋を務めたという。

扉はみな閉ざされているので、今は住居としては使ってないのか。裏手の母屋の外では何かの作業をしていたが。

屋根の葺き替えを除けば、250年余りを経ているということ。

 

山口家の前には棚田が広がっていた。この風景は250年でどれほど変わっただろう。

 

⑬日光寺(糸魚川市日光寺)

日光寺も史跡であるが、そろそろ頭の回転が鈍ってきた。信州高遠石工の作品もあるというが、この子育地蔵あたりがそうだろうか。

 

⑭東海神社(糸魚川市東海)

日光寺から早川大橋を渡った集落にある。本日の石段もこれが最後だ。集落名は「ひがしうみ」と読む。

 

それなりに、本日の締めにふさわしい狛犬だった。

口が大きいわ。

 

14時40分で本日終了。能生ICまで海岸線を走ってから宿へと向かった。明日は糸魚川のやり残しを粛々とたどっていく予定。

つづく