下仁田ほどキーワードの多い町はないのではないか。タイトルに書いた以外にも、下仁田ネギ・養蚕・西上州の山々・姫街道などなど。今までにもう見尽くしたと思っていた下仁田、まだこんなにありました。
はねこし峡から移動してきて、こんにゃく道場の観光無料駐車場に入れた。8時50分、第二部のスタートです。2024年7月10日の記録
荒船風穴のマークは繭と蚕とカイコガだ。下仁田ジオパークのロゴの山はクリッペ(根なし山)である。気の遠くなる年月をかけてどこかから移動してきた、旅する山々。
①下仁田駅
では歩いていきます。上信電鉄下仁田駅レトロ。
上毛かるたというのがあって、「関東と信越つなぐ高崎市」という一枚がある。明治30年に開業した上信電鉄は絹産業を載せて走り続けた。
ここは終着駅。西上州の山に登るため電車で来たことはなかった。どこの登山口も奥深いから。
出窓のショーケースに特産品が並んでいる。姫街道本宿のどうなつや赤れんがカステラ。2月の初めにこの店で買い物をした。
線路北側の開けた構内からは、いろんな車両が停まっているのが見える。背後にはクリッペの川井山と大崩山、遠くには鹿岳と落沢岳など見えて贅沢な風景だ。
②下仁田倉庫
古い倉庫の間を抜けていくと、左手に赤レンガの下仁田倉庫が見えてくる。大正10年と15年に建てられた絹遺産である。ここに繭が保管されていた。今は1棟が古道具屋になっているらしい。日曜日の午後は営業してるとか。
駅から至近だし、見ごたえのある絹遺産です。
とても重そうな鉄製扉。
倉庫の先には西上州、非日常的な風景。
③伊勢山の百庚申
国道254下仁田交差点を北の細道へ入ると、雑然とした風景を抜けて左手斜面にある。この地方には百庚申がいくつかあるが、ほぼ全部見た。ここも二度目になる。
寛政9年のどっしり丸いやつ。
これは「ウ字の巳待塔」というもの。梵字一字で表したもの。印象的です。
④下仁田の町並み
仲町交差点へ向かって町並みを歩いていく。下仁田をこんなふうに歩いたことは今までなかった。古びたファサードと、道の果てには川井山。
こういう構えの家がどちら側にも残っていて、今風の商店街はない。そんな町だ。
建具のみで表現された、シンプルで美しい家。
仲町信号の手前左手に、水戸天狗党本陣桜井家がある。大正6年に火災に遭って再建された。外観見学のみとなっている。幕末らしさを感じさせる。
仲町交差点を右折して裏道から諏訪神社へ向かっていく。極めて老朽化した長屋ふうの建物がある。道のゆるやかなカーブに沿って立ち並んでいる。途中に目印の自転車があるが、まだ見えてない。
ここが中間点。建物全部つながってます。
ここが終点の角地。自転車は見えなくなった。タイムマシンに乗ってるような散歩道だ。
⑤諏訪神社
実はここが下仁田町めぐりの白眉なのです。ここに書かれていることが全て。大隈流の彫刻技の真髄が味わえる。
左が拝殿で、右は近戸神社。両方ともすばらしい、遠目にも精緻さが伝わってくる。
近戸神社だけでも、この見事さだ。
御神木は樹齢600年のケヤキで、その根は近戸神社の土台の下まで潜っていた。
境内には三波石が、さりげなく置かれていた。
まず拝殿の向拝から。どこもかしこも装飾で埋め尽くされている。圧倒的です。
海老虹梁に息を飲む。
らんま!
脇障子にも彫刻が。
そして本殿の右側面。
本殿の左側面。
本殿扉の鏡板には、シンプルかつ美麗な絵柄の陽刻あり。センスを感じさせる。
拝殿から本殿へのつながり。
凄すぎる建築装飾ワールドでした。町指定重文だが、国宝レベルか。
⑥下仁田層
国宝レベルのすぐ隣りがジオサイト下仁田層である。図の茶色い部分がそれに当たる。2千万年前の海底時代の堆積地層。
コンクリートのスロープを下ると下仁田層が広がっていた。貝の化石も含まれている。流れと岩肌のコントラストが美しかった。ここで区切って、駐車場へ戻ります。
⑦青岩公園
鏑川と南牧川の連続橋を渡ると、広い河原に青岩がある。緑色片岩の巨大な露頭だ。
もはや説明不要の岩の表情。
クリッペはどれも、見る角度によって形が変わる。川井山が鋭峰になった。
雁行脈らしき白い筋も見られて、ジオは川面に影を落としてゆれていく。
ここまでかなりボリュームがあったし、雨脚が強まってきた。
以後8箇所の行動予定は全てキャンセルして、一路荒船風穴へと向かいます。そこだけは雨が降っても外せない。
つづく