甲州柳沢峠から上条重伝建へ | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

自分は江戸の生まれだが今は非都民なので、都知事選=対岸の火事を決め込んでいる。それよりも気になる山梨へ出かけます。自宅からの早朝ドライブ2時間20分で、柳沢峠に到着した。

今回の甲斐路の旅は甲州市と山梨市の一部、石仏・重伝建・ワイン文化遺産と色彩に富んでいる。そこに驚異の秘瀑が飛び込んできたりもします。

 

柳沢峠下展望台より、山開き二日目の霊峰

勝沼ICから柳沢峠に車で登っていくと、山の上は雲に包まれて何も見えない。旅の初めに、これからたどる甲府盆地を眺めてからスタートを切ろうと思っていた。峠の手前の展望所に停めて、確信歩きで展望デッキへ向かえば富士山が姿を現した。先週見た北斎の冨嶽には及ばないけれど、秀麗です。つゆなれど雲をちぎらす冨嶽かな

 

二日間でめぐる甲州市と山梨市です。(柳沢峠の案内板より)

 

【2024年7月2日(火)】 柳沢峠~雲峰寺~上条重伝建~

 

柳沢峠の石仏は、真摯な馬頭観音一体のみ。左の石碑には清月観音と彫ってある。

ではさっそくR411大菩薩ラインを下っていきます。

 

大菩薩嶺登山口の雲峰寺を訪ねるのも何度目になるだろう。山に登るために素通りが多いから、そんなに多くはないかもしれない。長い石段(198段)も記憶に残ってないし。

 

石段の両脇には西国三十三観音石仏が点々と置かれている。素朴な感じだが、上手には今一歩といったところ。

 

朝から気温が高くて、汗がだらだら出る。やっと仁王門。室町後期の建立で重要文化財だ。

 

仁王門に収められた仁王像のことになると、とたんに情報量が少なくなる。いつどんな仏師が彫ったのか?

 

本堂も重要文化財とのこと。向拝の海老虹梁彫刻と均整が美しい。外観しか見れないのが非常に残念です。本尊は十一面観音。

雲峰寺は甲斐国観音霊場の第16番札所となっている。今でも巡礼されているのかどうか。

 

こちらは樹齢七百年以上の「峰のサクラ」です。

開山縁起を調べてみたら、天平17年(745)に行基による。裂けた石から一夜にして生えた木で、十一面観音を彫ったのが起源であった。古刹中の古刹である。

 

次は国道を少し下った右手の山あい、甲州市塩山下小田原の上条集落。重伝建の家並みです(2015年選定)。ここをじっくりと見学するのは初めて。福蔵院に見学者用駐車場があって、散策コースが設定されています。基本的にそれ以外の生活道路へは入らないようにということで。保存物件数は、建築物26件・工作物38件。なお種別というのがあって、山村・養蚕集落というカテゴリーに入る。ではめぐってみましょう。

 

駐車場から福蔵院境内を抜けて、西側の参道を下っていく。振り向けば、石段下に石仏が2体。情緒ある風情です。

 

仁王門を裏からくぐり抜ける。こちらの仁王像一対は華奢な体格で、動きも少なめだ。

 

パンフレットのマップ通りに、農園の脇に出て北へ向かう。神社が見えている。

 

金井加里神社と書いて「かないかり」と読む。

随神門の神様は相当にお傷みで、見る影もない。

 

ここは特にはないので本殿を横目に見て、奥の道へと進んでいく。

 

道が二岐になった辻に六地蔵幢がある。とてもスリムだ。さっきの仁王像のよう。

 

左の道に入ると、いよいよ上条集落が見えてきた。もう茅葺屋根は残ってないが、屋根の造りが養蚕農家の面影を伝えている。

 

集落に入りました。一応目線には気を配りながら。

 

土壁の大きな民家。下屋がいろいろあって、どういう間取りなのか興味津々です。

 

屋根の複雑な形式は「突上げ式屋根」と呼ばれる。初めて耳にした言葉だ。今はほとんどが金属系屋根材にリフォームされている。

 

集落真ん中の四つ辻に観音堂がある。木喰上人の弟子の木食白道が彫った百観音立像が祀られているが、今日は拝観できない。小さな境内に石造物3点。

一石六地蔵は苔むして摩耗して。重伝建になったことを知っているだろうか。

 

観音堂の向かいはぶどう畑、農家の人が袋を巻き付けていた。左手先には豪壮な建物が見えてきた。一際目立つが、なんだろう。

 

ここへ来るまで知らなかったが、これが茅葺古民家の『もしもしの家』だったのだ。屋根の造りが驚くほど立派である。近寄ってみよう。

すごいです。通りから眺めていたら民家の方が出てきて、どうぞ中も見れますよと言う。ではお言葉に甘えて。

 

これが典型的な突上げ式屋根であり、茅葺きの姿を残した原型である。養蚕民家として求められた形式でもあった。ここは農業体験や貸し切り宿泊もできるそうで、声をかけてくれた女性が管理・運営をしているとのこと。

 

上がらせていただきます。部屋は質素かつ清潔に維持されている。

家具調度品とか、

養蚕の道具?

 

階段が急だけど二階も上がれます、と言うので。建物全体をリフォームしたそうで、頑丈な印象を受けます。

屋根裏空間。

 

小屋組みの構造がよくわかる。

非常に金のかかるリフォームだったと思われます。

 

昭和20年代の風景、私が生まれるよりも以前の姿だ。私の母も山梨の出身なので、こんな風景の中で青春時代を過ごしたのだろう。

2009年撮影、随所に符合が見られますね。

 

先程の方が上がってきて、いろいろ説明をしてくれた。後で調べたら外国人宿泊客も少なからずいるようで、こちらの女性管理人さんはすこぶる評判が良い。ホスピタリティに溢れてる感じがします。二階のバルコニーからは観音堂が眺められる。もちろんぶどう畑も。

塩山の甘草屋敷も同じ造りだと説明してくれた。

 

これが年代物の電話機である。昔はこの集落でこの家にしか電話がなかったので、みんな借りにきたという。それで古民家再生して「もしもしの家」と名付けた次第。

 

さあお礼を言って帰ろうとしたら、記念写真を撮ってくれると言う。それから縁側に行って、茄子とピーマンとお菓子を袋に入れてくれた。ふらりと見学に立ち寄っただけなのに、ですよ。(いつもそうしてくれるとは限らないと思うので、あしからず)

 

残りの風景と建造物を眺めて歩いていく。北のT字路には道祖神場がある。石垣の上の基壇の上に、丸石道祖神がある。

こんなふうにして。

 

東へ道なりに。大きな屋根も全て金属系になった。窓と壁だけは歴史を感じさせる。

どんな暮らしぶりなのでしょうか。

 

一際立派な民家がある。二世帯でも住めそうだが、ここでは小学校とか、どうなのか。上条集落も世代替わりしたらどんなふうに変わっていくのだろう。

色んな面で印象的でアメイジングな、上条集落重伝建でした。

 

つづく