小田井宿と海野宿を歩く | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

五月となりました。混雑する高速や観光地はごめんだし、人の多い山もつまらない。ということで、千曲川の流れに沿って東信から北信へ、一泊二日の旅に出ました。

今回の旅のテーマは、『千曲川シルク回廊』です。

 

【2024年5月1日(水)】 小田井宿~小諸~海野宿~

 

旧中山道小田井宿をゆく

 

旅の最初に小田井宿(おたいじゅく)を選んだのには理由があるが、とにかくハートピアみよたに車を停めて歩き始めた。20数年前に旧中山道を街道ランニングしたことがある。日本橋から三条大橋までを3回に分けて走った。しかし小田井宿あたりは夜で真っ暗で、何がなんだか分からなかったのである。見そびれた風景を眺めてみたい。

 

WEBサイトで拾ったマップでは、宿場と裏道を周回して3kmほどになる。地域福祉センターから反時計回りで行ってみます。

宿場の北口あたりから裏道に入ると飯玉神社がある。享和の二十三夜塔や女人講中の如意輪観音など、いい雰囲気で残っていた。

神社らしく、どの石仏も小さな注連縄を巻かれていて清々しい。

 

小祠の中には木彫の大黒天が、やや朽ちた姿で笑っていた。

 

裏道の風情をのんびりと味わいながら南へ回っていく。あいにくの曇り空で寒々しい。太道を渡って南側には長倉諏訪神社が鎮座している。御神木に巻かれた注連縄が面白い。奥にもお堂がある。

 

一月には道祖神祭が行われて、子供たちが藁馬を曳いて練り歩くのだという。よくあるどんど焼きとはだいぶ違うようだ。

 

藁馬作り自体も無形文化財かもしれません。

とにかく立派。すごい民族文化です。

 

片や、狛犬は。胸に紋所を掲げている。

ひょうきんな横顔だ。

こっちも然り。明治16年奉納。

 

再び裏道を歩いていくと、表通りの郵便局の北あたりに高札場跡がある。石碑が建つのみだ。

 

畑地の奥に蔵や納屋が点在している。昔のままの風景が残っている。

 

裏道も徐々に街道の風情を見せ始めた。こっちが本道だったのか、と一瞬思わせる。江戸時代にはこちらは生活道路だったとのこと。資料には野盗道なんて書いてある。

 

京側の枡形あたりには石仏群があった。こちらは双体道祖神と思われる。ここで北へ向きを変えて、街道に沿って進んでいく。

 

ぽつんと取り残された、蔵。

 

いよいよ問屋跡が現れた。長屋門の奥には住んでる気配がする。

 

ここは古民家を改装したもので、和食料理店になっている。

 

右手に小さな郵便局を過ぎた所で振り返る。朝早いのと天気のせいか、暗く沈んだ感じは否めない。

 

こちら側は見事な連子格子の家で、由緒がありそう。

ここも問屋跡だった。二軒の問屋は半月交代で業務にあたったという。

 

この家は養蚕民家だったのか、屋根の上に気抜きの小屋根が乗っている。どんな間取りなのか、興味が湧いてくる。

まもなく宿場ひと巡りも終わりとなります。皇女和宮も当然通った道である。この宿場には泊まらずに、ご昼食をお取りになられたそうだ。その頃行列の最後尾は和田峠をやっと越えたかどうだったか?

 

次に訪れたのは小諸市役所&小諸図書館で、同じ「こもろプラザ」の巨大建造物の中にある。ここでマンホールカードとシルクカード(生糸商標カード)をもらうのが目的です。ここの開館時間が8時半と9時からなので、時間つぶしのために小田井宿を歩いたわけでした。

マンホールカードは小諸城址懐古園と浅間山。周りの縁取りはコモロスミレと梅の花。小諸社(製糸業)は鷹でしょうか。

9時になったので図書館のほうへ。ここはマンホールのみで、浅間山と千曲川と梅です。信州のマンホールは山が入ってくるので捨てがたい。

 

では小諸駅へ移動します。

小諸市観光案内所ではシルクカードをいただきました。観光案内所のスタッフはどこへ行っても皆親切で愛想が良い。いい気分で出てくることができる。

こういった商標はチョップと呼ばれ、生糸を海外へ輸出する際にも使われた。輸出はもちろん横浜港から。

 

次は東御市の海野宿へ向かう。年末年始に来た時はシルクロードもたどってなかったし、あらかたの施設は休館中だった。

今日は海野宿資料館が主目的です。

 

入館するとまず、古民具・農具が土間に並んでいる。

 

帳場に座るおばあちゃん。観光客がたくさん来たら忙しいでしょう。インバウンドにも日本語で説明するのだろうか。

 

江戸時代の享保雛が展示してあった。世の中が安定していて、豪華絢爛なものが作られたとのこと。皇女和宮もご覧になっただろうかと考えたが、それは間違い。ここは中山道ではなくて、北国街道(善光寺東街道)の宿場なのです。

 

古地図を眺めてみると、浅間山が噴煙を吐いている。天明大噴火が起こったのは、享保年間から半世紀ほど下った頃である。

 

古い看板。ペプシネ飴というのは胃薬だった。宿場の資料館はいろいろあって面白い。

 

火消道具の数々。これはポンプ車か。

 

中庭に建つ蔵には養蚕道具が展示されている。今まで各地で見たものとほぼ同じだ。

蚕の一生。

これは桑切機。いろんなものを発明したのですね。

 

養蠶壽古六(養蚕すごろく)と書いてある。こんなものまで!

 

たっぷりと楽しみました。もらったシルクカードはこれ。絵画のような日の出の図柄が魅力です。今日の海野宿はここまでとして、次へ向かいます。

 

🌅つづく