白井市に神々廻(ししば)というエリアがある。地名の由来は明らかではない。ただ不思議な響きを持っているので、どんなところか覗いてみたくなる。
2020年4月にコロナの緊急事態宣言となり、自粛プランとして近場ランニングコース(自作のもの)を30本ほど消化した。その中で終盤に実行した『神々廻巡りコース(16km)』というのがある。あれから4年が経った今、改めて少しだけ再訪してみようと思った。
今度はランニングではなくて、歩いて・・・
神々廻鳥見神社の大正四年生まれ
【2024年4月25日(木)】 白井市神々廻周辺の神社仏閣・狛犬・石仏 16.0km
白井運動公園を起点に周回していきます。今日はだいぶ暑くなりそうだ。
①河原子の天満宮
運動公園から西へ霊園を突っ切って道に出た所。印象的な庚申塔が数基並んでいる。
丸顔の邪鬼はおかしすぎる。
隣りの邪鬼はこんな顔して、真剣に踏みつけられていた。
②鮮魚街道路傍の庚申塔群
天満宮前の道を東へ進むと鮮魚(なま)街道という歴史の道に出る。歴史のとは言っても今は車が頻繁に行き交って、歩きやランニングにはふさわしくない道である。房総の街道は20年以上前に一通り走ったが、どれも環境はよくなかった。
すぐ左に十数基が整然とならぶ庚申塚を見つける。文字碑の多い中に立派な青面金剛がいた。下部の構成はフルコースで、二童子四夜叉・邪鬼・三猿二鶏だ。実に賑やかで楽しい。
東へ直進するとY字路に新しい道標があった。立ち止まって見ていく人はまずいないような場所である。街道を外れて、ここを左へ。
③本郷公民館の子安塔群
白井聖地公園の西側で、割と集落の密集した場所だ。北総地域には子安塔がとても多い。個性的なものが並んでいる。
④延命寺
ここは大黒天ということだが、見れなかった。
北総から茨城県南部にかけては新四国八十八箇所霊場(写し霊場)がある。膨大な数である。道端や寺社の片隅に石碑や小祠があるだけだったりする。
明治42年に近在の人が造立した、64番。石碑のみ、路傍にて。
⑤平塚八幡大神宮
延命寺の斜向かいの鳥見神社に立ち寄ってから、すぐ先の坂上に建つ八幡大神宮へ。深い森の中に参道が続く。この集落の狛犬は顔が貧弱だ。ここにも新四国23番あり。白井市は印西大師霊場のエリアだが、石碑も札所なのかどうか? もっとミニマムな霊場が存在するのかもしれない。
祠には馬のみを刻んだ石碑があった。絵馬の形だ。
船戸集落の田園風景。
⑥船戸の坂上の子安塔群
路傍の草に埋もれるようにして並んでいる。ずいぶん頭の大きな子がいる。賢くなるようにと願ったのか。
選んだ道はひたすら南東へ、鮮魚街道を横断して木下街道も横断していく。この間は単調な道で何もない。殺伐とした風情でもある。そして神々廻の中心部へ。
⑦神々廻鳥見神社
このへんには鳥見神社が数え切れないほどあるので、便宜上集落名を頭につけてみた。農道の脇に鎮座しているが、江戸流れがすばらしい出来栄えである。
横顔。
吽形のほう。子供も前向きで賢そうである。白井のささやかな杜の中に、こんな狛犬がいる。
⑧駒形神社
鳥見神社の南で左手の山の中の鬱蒼とした道へ。道なりに抜け出た所にある。この狛犬も鳥見神社と全く同じ紀年銘だった。作風も同じ。何かわけがありそう。
その西方の道沿いにある神宮寺。子安塔が一基。
⑨小室八幡宮
神崎川を南へ越えて北総線沿いのニュータウンへ。道から長い石段を上がる。
パワースポット的な、妖しい雰囲気が漂う。狛犬のせいだ。
今日見た中では最も特異な雰囲気を持っている。
見応え充分な作品です。
参道は深い切通しだった。
ニュータウンを抜けて、田園と水路の畦道をゆく。まだ12kmくらいだが、ちょっと疲れた。
⑩木下街道 に出た。できれば歩きたくない街道だ。時々古い建物もある。銅鐵板金の老舗は看板が見事だ。あとはもうめぼしいものはなくなってくる。
街道を北東へ向かうと白井運動公園入口(セブンが目印)の手前左手に庚申塔群があった。印西・白井地方特有の赤色庚申塚である。ベンガラを塗ったのだろうか。どんな意味があるのだろう。
笠付の青面金剛庚申塔
書体も変わっていて、申の字が無かったら読めないだろう。
なぜかここには猿が五匹も遊んでいる。扇子を広げているのもいる。
青面金剛はいつでも直立不動で、目を吊り上げているのであった。(延享3)
ラスト1キロは産廃仮置き場とかたくさんあって、それが白井というものを印象づけてしまう。石造物だけ見てるなら楽しいけれど、潤いがない。
そんな気分で4時間ジャストのウォーキングを終えた。