上州中之条町(2)嵩山を取り巻く風景 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

週末の快晴の日曜日。東吾妻町からめぐってきた続きです。中之条町の市街地はスルーして、『道の駅霊山たけやま』までやってきた。

 

嵩山の岩峰が圧倒的

 

①旧五反田学校

まず道の駅の前を左折して、旧五反田学校に行ってみた。明治42年に当時の最高技術をもって建設されたという。建設費は4,999円余り。昭和44年まで分校として使われていたという。町指定重要文化財。

昔がなつかしいです。

 

閉じている扉から覗いてみた。自分も木造校舎の時代だった。冬は石炭ストーブだった。低学年の頃は分校にも通ったし、給食は本校からリヤカーで引いてきた。まだ砂利道が多かった時代です。

 

②吾妻観音霊場西念寺

旧五反田小学校の端からは西念寺の屋根が見える。適当にたどって寄っていく。ここは二度目だが、たくさんの霊場を回っているとよほど印象的でなければ記憶に残らないものだ。

正月の注連飾りが付いているが、ガランとした感じ。古い御詠歌の札など打ち付けてある。

 

むしろ境内の石造物に見るべきものが多かった。丸彫の如意輪観音と地蔵菩薩。

存在感のある大黒天!

 

反対側には庚申塔その他。右端は文字の辯才天(べんざいてん)だった。

おしゃれな庚申塔と三猿。

 

あぜ道を歩いて小学校の校庭へ戻ります。

 

車で道の駅へ戻る途中に、いくつも見どころがあった。まず聖観音と如意輪観音。

 

その先には産石(うぶいし)。右横には双体道祖神がいた。

 

正月の装いで、すばらしい景色になっていた。

 

道の駅の手前には石薬師のお堂がある。ここにもすごい石仏群だ。

こちらはなんと聖徳太子です。

安曇野の双体道祖神の出来栄えに匹敵するすばらしさ。

 

ほかにもこれだけ。

美形の如意輪観音。

文化6年の庚申塔は達筆だ。

 

馬頭観音の秀作。五反田小学校の生徒もこれを見ただろうか。

 

堂内の厨子に収められているのが石薬師である。全容は分からないけれど。

 

③道の駅霊山たけやま

やっと道の駅にたどりつきました。トイレ休憩して、少々買い物をして、嵩山を見上げる。よく見ると天空の真ん中に2本のワイヤーが張ってある。以前来たときには鯉のぼりが豪勢に空を泳いでいた。今日は山には登りません。

池は完全に凍ってた。

 

こんな凄い大ケヤキも珍しいでしょう。写真ではわからないか。

県道を北東へわずかに行った所にも、三面八臂の馬頭観音。大正生まれの独創的な像容だ。この界隈だけ歩いてもすごく面白いでしょう。

 

④伊参(いさま)スタジオ公園

道の駅の前の県道を北へ進む。右手に小学校を過ぎたら、すぐ左手に見えてくる。ここはかつては中学校で、今では数々の映画のロケ地として使われている。さっきの旧五反田小学校と同様にレトロな建物だ。

開館しているので入ってみます。

 

昔懐かしの廊下。雑巾がけしたのを思い出す。係のおじいさんが出てきて、いろいろと説明してくれた。おじいさんは五反田小学校も、この中学校も卒業したのではないだろうか。

 

教室はこんな雰囲気です。昔の黒板は壁に造り付けだったな。

 

このポスターのことを一生懸命に説明してくれるので、写真を撮ってあげないと悪いかなと思った。あまりこういうのは見なかったですけど。

 

怒られて、どこへ行くのか。

 

ある意味、スタジオ公園という名称は今ひとつかと思う。旧第四中学校校舎、としたほうがよい。係の人の説明では、この辺には小学校と中学校が一つずつしかなかったと言うが、第四だったらしいですね。

これだけの数の教室があったというのがすごいです。卒業生もたまには見に来るだろうか。

 

このようにして、嵩山周辺の探索は終わります。石仏と岩山と旧校舎、というミキシングの妙を堪能することができました。再び中之条町の激レアな石仏と道祖神を訪ねていきます。

つづく