年末年始の遠征イベントも一通り終わって、のんびりする暇もなく出かけます。
やきものの町、笠間です。
【2024年1月7日】 笠間めぐり
笠間は何度も訪れているし、普通の巡り方をしたのではつまらない。例によって、レアで面白いものを探しに行こう。
友部ICを出て、まず目指したのは唐桶山南方の山裾を入った所。指定文化財の大日堂だ。すばらしい胎蔵界大日如来坐像は拝観することはできない。別のものに会おうとしています。
大日堂右手の小屋掛けの右に手水鉢があって、水を引いていたらしきパイプが残っている。そのパイプに沿って斜面を水平にたどっていくと、一体の石像が背を向けていた。単体丸彫の伊豆型道祖神に似ている。
しかしそれは迫力満点の姥神であった。来歴は詳らかでない。大日堂とどのような因縁があって、ここに置かれたのか。問いかけても無駄である。(後ろのパイプが水引用。)
これを見つけ出すのにたいへん苦労したが、無事に発見できて満足した。
大日堂を後にして、次に向かうは中市原字星ノ宮の星宮神社。以前一人で水戸から走って来た時に、子安観音が良かったので再訪する。祠の中に2基が並んでいる。表面はだいぶ風化した感じ。
いい形なのに、傷んでいるのが惜しい。
隣りの祠には、三面八臂の馬頭観世音がいた。表情が異彩を放っていた。
そんな前置きたちの後に、日動美術館横の大駐車場に入れて町を歩いていきます。まず北側の二社一寺の内の八坂神社へ。昭和15年生まれの狛犬。
隣りの月祟寺に寄ってから、三所神社です。三所というのは、ゑびすさま・大黒様・大黒様の妻の三神を祀っているからという。なので狛犬ではなくて、ゑびす・大黒天が載っている。
境内隅っこでは銭洗いをしているように見えた。
いよいよ笠間稲荷へ向かいます。北東隅の境内社は出世稲荷だった。本殿はきらびやかな建築装飾で、きつねに護られている。
笠間稲荷本殿の北側には狐塚があった。ちょっと怖い感じがする。
参道のきつねのお供物は油揚げ。
もう七日なのに、けっこうな人出でした。やはり茨城県では三賀日には鹿島神宮で、それを過ぎたら筑波山神社や大洗磯前神社、そしてここなのかもしれない。
門前通りも賑わっていた。
いなり寿司3個入りを買ってしまいました。
では駐車場に戻りましょう。
佐白山に登る前の腹ごしらえです。こってりと美味い。
食後は佐白山へ。佐白山麓公園の鐘楼には笠間藩の時鐘が吊るされている。この一段上には、旧笠間町立美術館も建っている。
笠間満州分村懐古之碑、戦時中の満州開拓団の歴史が刻まれている。
その奥から登っていきます。標高182mの三角点あたり。
隣りのピークは標高205mで佐志能(さしのう)神社が鎮座している。佐白山に佐志能神社とは。
山頂の大岩に立つと、笠間市北部が見渡せました。一つ気がかりなことが残っている。
気がかりというのは、こうです。若き頃に「佐白山のボルダー」というのが山岳雑誌で紹介されて、フリークライミングの小さなゲレンデとして有名に?なった。三回くらい来ただろうか。その場所が見つからないのである。
おかしいと思いつつ周回路を下っていくと、だいぶ下の車道脇で発見した。大黒石という。
このヘソのある面を、ラバーソール履いてヒタヒタと登ったのです。
昔は草地の広場にあったような気がするが。
ここへ動いたわけでもあるまい。
なんとなく安堵して、駐車場への道を下っていく。
最後は坂東観音霊場の佐白山観世音寺(正福寺)。ここも三度目か。しかし今日はどこかよそよそしい。五色の垂れ幕がひらひらするだけで、観音様の姿も見れないし。納経を目的に来たらがっかりするだろう。
内陣も全く伺うことができなかった。
第三部は車で移動して、茨城県陶芸美術館へ。どうも陶芸に相応しくない建築デザインだな。
こちらの作品は陶磁器ではなくて、なんとガラスである。(撮影はOK)
展示品の白眉は濱田庄司と板谷波山だ。濱田作品だけは撮影不可、撮って減るものでもない気がするが。これは典型的な波山作品。
ホワイエも現代陶芸作品だらけ。
屋外では彩初窯市をやっていて、沢山の出店が並んでいた。窯元の人の表情を見るのも一興だった。結局何も選べなくて、手ぶらで帰ります。
本日の最終コーナーは、ズバリ「佐白山のとうふ屋」!
ここの味はすばらしい。大駐車場もあって、門前市を成すとはこのことだ。皆てきぱきと選んで買っていくので、回転は速いです。せっかくなので、豆乳ソフトクリームも買ってシェアした。
屋外トイレもあるのです。しかも外壁仕上げは、笠間焼陶板!
郷土色豊かで、実に好感が持てます。今夜は佐白山のとうふが食卓に並ぶことでしょう。
おわり