旧鎌倉街道山ノ道③-2、町田・瀬谷・横浜泉区 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

人はなぜ街道を歩くのか?そこに道があるから。と誰かが言ったかどうか知らないけれど、今日も朝早くから街道の人となりました。旧鎌倉街道の延べ五日目です。

 

旧鎌倉街道がそこにある(町田駅前デッキ下にて)

 

【2024年1月6日】  相原駅~町田駅~いずみ中央駅  31.0km

 

八王子のホテルを出て始発電車に乗って、横浜線相原駅を5時05分にスタート。ヘッドランプは用意してきたが、早朝の出勤だと思えば転ぶこともないでしょう。

 

駅から直接都道に出ないで、一本裏の旧町田街道を進む。建物の外構にずいぶん明かりが灯っていると思えば、青木医院。ここは青木家屋敷といって、指定文化財である。本業の医院もやっている。

 

昨日歩き終えてボロボロだった足はうそのように、と言えるレベルまで戻った。我ながら驚くべき回復力である。しばらくは町田街道・絹の道との重複区間が続く。今日も目標の30kmをクリアして、いざ鎌倉最終回を気持ちよく迎えたい。

御嶽堂というバス停があった。

だんだん空の色が変わってきて、ロングの走り旅でいつも見ていた風景になってきた。電線に明けの明星がぶら下がっていた。

 

暗いながらも、残された旧道は忠実にたどっていった。しかし現代においては、そうすることもあまり意味がないようにも思えてくる。結局は自己満足なのだ。

常盤町のY字路にローソンがあって、そこが7km地点。体が冷えたので朝のカフェにした。右の細い方の道に入る。しばらくは町田街道を離れて進む。

矢部町の八幡神社は境内を突っ切っていく。そろそろ朝の散歩の姿も見える。

 

木曽東の境川住宅あたりだったか。

面白い形の給水塔が、何本もそびえ立っていた。旧鎌倉街道のモニュメントとして。

 

ただただ道なりに右手に町田市役所など見ていけば、巨大立体ターミナル町田駅に到着である。13.5km地点、8時30分だ。ウルトラランナーのJOJOさんの結婚式もこのデッキ上の会場でやったな。どうしているだろうか、などと考えながらいく。

デッキの下の歩道に差し込む朝の斜光が、旧鎌倉街道の如く真っ直ぐに伸びていた。

 

実は旧鎌倉街道山ノ道はこの辺で終わりとなるのです。町田駅の西側で旧鎌倉街道上道と合流しているので。上道のほうがメインだから、山ノ道は終わりということ。ここから鎌倉までは上道をゆく、ということで。この道は20年以上前にも走ったことがある。とにかく私の道は、ごちゃごちゃに錯綜しています。

 

三塚交差点で右折するが、ここでまた町田街道になる。横浜線の跨線橋を渡ったら、すかさずまた右折。ここで町田街道ともおさらばだ。

 

右折したその道はとても細いくせに、抜け道走りをする車でごった返している。左カーブの先に、かなりレトロで妖しい建物あり。

3分先の右手には杉山神社。石造物がずらりと並んで、詳細な説明文も掲げられていた。右の二つは庚申塔で、左は日待塔だ。地神塔や道祖神もあった。

 

16km地点でさらに右の枝道へ入る。こんなのGPSを持ってなかったらたいへんだ。今回はそういう道迷いのストレスはまったくなかった。歩くことに専念できる。

建売住宅も街道の新風景か。

 

まもなく西田町内の杉山神社。ご神木が太い。

社前には、とろけるような庚申塔があった。元禄11年造立。

 

境川自転車道路に突き当たるが、工事中で大きく迂回する。やがてR16をくぐる。田園都市線の南町田駅も近いが、ここで区切ってしまう誘惑はなかった。またこんな分岐がある、もう迷宮のようだ。

 

そしてニイヨンロクの側道をしばらくで、上州屋の裏へ入っていく。そこの所で町田市が終わって、横浜市瀬谷区へと侵入していく。

 

今度は東名をアンダーパス。

振り返る。もうこんな風景しかなくなってしまった。

 

上瀬谷町あたりの地神塔。とにかくこれが多いのです。調べると、神奈川と岡山・香川県に多いらしい。なんでそんな分布なのでしょう。

 

すぐそばには、これまた興味を引く建物が。大塚百貨店でした。すごいな。

 

竹村町で右へクランクに進む所、地蔵堂あり。これより中屋敷へと進んでいく。

 

中屋敷界隈は道も一段と細くなるが、緑が濃くなって建物にも趣が出てくる。こちらは瀬谷銀行跡だとか。

この区間は実にのどかである。

 

本郷あたり、右手には日枝社。

三叉路の真ん中にも地神塔。大地の神様だから、動かすこともできないのだ。

 

やがて相鉄本線の瀬谷駅西をくぐって、あまり写真も撮らずに瀬谷区を過ぎてゆく。右手遠くに丹沢が見えた。

 

相変わらず道は複雑なまま、泉区に入る。東海道新幹線を跨線橋で越えて、本興寺の裏から入って山門へ出た。

 

足の調子もまずまずで、予定よりもう一駅くらい歩いてもよかった。しかしここで伏兵が、足裏に靴ずれのマメができて結構痛い。

上飯田町の飯田神社にも庚申塔。この地方の庚申塔は石質が悪いようだ。

六地蔵かと思ったら七体あった。

 

今日も残りあとわずかになってしまった。田んぼの向こうに団地が見える。最後の信号も遠くに見えてきた。

こういう末期的なアスファルトの歩道や、傾いた路肩や、ガタガタの側溝蓋が旅人を苦しめる。のみならず、高齢化した国民の障害となるのです。

国際イベントに金をつぎ込むならば、まずインフラを整備すべきだ。

 

13時20分、相鉄いずみ野線いずみ中央駅に到着。ついこの間までは知らなかった程の駅だ。本日は8時間15分で31kmを踏破。私の思い描いた通りに物事が進んでいく。

 

次は 鎌倉