新年は善光寺街道から北信へ移動しながら迎えていきました。特別にめでたい気分というわけでもないけれど、北信の町並みと山に懸かる雪雲を見比べつつ歩いていきます。
まず早朝の長野市南部、松代町から。
旧松代藩鐘楼は四阿山を背景に
朝8時前、観光案内所横の駐車場からスタートした。もちろん誰もいません。正月らしい華やいだムードもない。松本盆地の底冷えは格別で、たくさん着込んでいきます。時計回りで。
頑丈な造りの長屋門は、矢沢家の表門として文化財に指定されている。
そもそも松代は真田十万石の城下町で、武家屋敷や松代藩の藩校などが残っている。歩いて巡るにはちょうどよいサイズの町です。
以前長野マラソンに出場していた頃、レースの後で松代温泉に何度か入った。鉄分を含んだ茶褐色のにごり湯だった。その当時3時間15分を出したのが気分良くて、松代温泉のこともそんな快感に包まれて記憶されているのだった。
今日はまだ知らなかった松代をたどっていきます。
道しるべはこういうものが多い。六文銭が彫り込まれている。
こんなタイプのもある。
矢沢家から旧松代藩鐘楼を通り抜けて、城東エリアの長國寺へ。
門前右手には地蔵菩薩が座っていた。顔を赤く塗られているのは、何か風習があるのだろう。
山門を入って、本堂を眺めてびっくり。屋根のてっぺんには鴟尾(しび)が載って、その下の小壁に六文銭が二つも並んでいる。真田家の菩提寺とのことだ。
少し南に進むと、祝(ほうり)神社がある。これは普通読めないでしょう。
ここで見つけた大黒天は、信州中野の土人形と思われる。土人形には際物的な、めでたい雰囲気がある。
町並みを南へ歩いていく。
こちらは蓮乗寺。ここの本堂も長國寺と同じデザインだ。六文銭が目立つ。
ちょっと廃れた風景が続きます。
右手に建つかなり年季の入った建物は、二階の軒下に看板装飾がある。
畳屋だったと思われます。漆喰製か、とてもユニーク。
朝日に輝く住居蔵。
東の脇道へ、旧前島家住宅へ寄り道を。本日の公開はお休み。
前島家は代々真田家に仕えた家臣であり、かの有名な九度山蟄居にもお供したという!
こちらは松真館山岸家住宅といい、大正後期に建てられた養蚕蔵だった。松代では養蚕・製糸業も盛んだったという。
中央エリアへ戻りつつ、狭い路地の寺町をゆく。六地蔵に冬の陽射し。
どこからともなく蔵の白壁が現れる。
塀越しに寺院の屋根を見上げると、瓦の装飾がすごい。棟の立ち上がりのところなんかは、波の文様が精巧だ。
本誓寺にて。地蔵菩薩と聖徳太子石像が祀られている。もとは民家の庭先にあったという。
小さな金刀比羅社の社殿には、寿老人がいた。
西へ進んでいきます。これは旧横田家住宅だったか。中級藩士の居宅だったという。
今度は山寺常山邸。松代で最大の長屋門。ここも正月休み中。
恵明寺の風情。
さらに南には象山地下壕がある。松代大本営の戦争遺跡だ。
こんなふうに巨大な地下壕があって、見学ができる。詳細は割愛します。
北へ戻る道すがら、カラフルな大黒天を見つけた。
竹山随護稲荷神社に上がってみます。
左の山は皆神山で、右はノロシ山。高い山では吹雪いてそうだ。今日は町歩きでも十分寒い。
象山神社に参拝します。昨年は萩往還を歩いて、吉田松陰の薫陶を受けました。幕末の志士たちがここに集まったという、ゆかりの地である。
久坂玄瑞・高杉晋作・中岡慎太郎の面々。
真田公園に戻ってきました。山の方は相変わらず。
真田邸の破風に栄華を偲ぶ。
以上、2時間15分で5kmほどの松代町歩きでした。
今日はまだまだ続きます。次は須坂に向かいます。
つづく