北信の新年(1)松代の夜明け | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

新年は善光寺街道から北信へ移動しながら迎えていきました。特別にめでたい気分というわけでもないけれど、北信の町並みと山に懸かる雪雲を見比べつつ歩いていきます。

まず早朝の長野市南部、松代町から。

 

旧松代藩鐘楼は四阿山を背景に

 

朝8時前、観光案内所横の駐車場からスタートした。もちろん誰もいません。正月らしい華やいだムードもない。松本盆地の底冷えは格別で、たくさん着込んでいきます。時計回りで。

 

頑丈な造りの長屋門は、矢沢家の表門として文化財に指定されている。

そもそも松代は真田十万石の城下町で、武家屋敷や松代藩の藩校などが残っている。歩いて巡るにはちょうどよいサイズの町です。

 

以前長野マラソンに出場していた頃、レースの後で松代温泉に何度か入った。鉄分を含んだ茶褐色のにごり湯だった。その当時3時間15分を出したのが気分良くて、松代温泉のこともそんな快感に包まれて記憶されているのだった。

今日はまだ知らなかった松代をたどっていきます。

 

道しるべはこういうものが多い。六文銭が彫り込まれている。

こんなタイプのもある。

 

矢沢家から旧松代藩鐘楼を通り抜けて、城東エリアの長國寺へ。

門前右手には地蔵菩薩が座っていた。顔を赤く塗られているのは、何か風習があるのだろう。

山門を入って、本堂を眺めてびっくり。屋根のてっぺんには鴟尾(しび)が載って、その下の小壁に六文銭が二つも並んでいる。真田家の菩提寺とのことだ。

 

少し南に進むと、祝(ほうり)神社がある。これは普通読めないでしょう。

ここで見つけた大黒天は、信州中野の土人形と思われる。土人形には際物的な、めでたい雰囲気がある。

 

町並みを南へ歩いていく。

 

こちらは蓮乗寺。ここの本堂も長國寺と同じデザインだ。六文銭が目立つ。

 

ちょっと廃れた風景が続きます。

 

右手に建つかなり年季の入った建物は、二階の軒下に看板装飾がある。

畳屋だったと思われます。漆喰製か、とてもユニーク。

 

朝日に輝く住居蔵。

 

東の脇道へ、旧前島家住宅へ寄り道を。本日の公開はお休み。

前島家は代々真田家に仕えた家臣であり、かの有名な九度山蟄居にもお供したという

 

こちらは松真館山岸家住宅といい、大正後期に建てられた養蚕蔵だった。松代では養蚕・製糸業も盛んだったという。

 

中央エリアへ戻りつつ、狭い路地の寺町をゆく。六地蔵に冬の陽射し。

どこからともなく蔵の白壁が現れる。

 

塀越しに寺院の屋根を見上げると、瓦の装飾がすごい。棟の立ち上がりのところなんかは、波の文様が精巧だ。

 

本誓寺にて。地蔵菩薩と聖徳太子石像が祀られている。もとは民家の庭先にあったという。

 

小さな金刀比羅社の社殿には、寿老人がいた。

 

西へ進んでいきます。これは旧横田家住宅だったか。中級藩士の居宅だったという。

 

今度は山寺常山邸。松代で最大の長屋門。ここも正月休み中。

恵明寺の風情。

 

さらに南には象山地下壕がある。松代大本営の戦争遺跡だ。

こんなふうに巨大な地下壕があって、見学ができる。詳細は割愛します。

 

北へ戻る道すがら、カラフルな大黒天を見つけた。

 

竹山随護稲荷神社に上がってみます。

左の山は皆神山で、右はノロシ山。高い山では吹雪いてそうだ。今日は町歩きでも十分寒い。

 

象山神社に参拝します。昨年は萩往還を歩いて、吉田松陰の薫陶を受けました。幕末の志士たちがここに集まったという、ゆかりの地である。

久坂玄瑞・高杉晋作・中岡慎太郎の面々。

 

真田公園に戻ってきました。山の方は相変わらず。

 

真田邸の破風に栄華を偲ぶ。

 

以上、2時間15分で5kmほどの松代町歩きでした。

今日はまだまだ続きます。次は須坂に向かいます。

つづく