さいたま市見沼区への小さな旅 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

計画をあまり深く考えるのがめんどうになってきたので、長いシリーズものをやることにしました。さいたま市めぐりです。神社・お寺・石仏のある所をくまなくランニングしていきます。まず見沼区から。

今回は東武野田線七里駅をスタート&ゴールにした。当然「しちり」と読むと思っていたが「ななさと」だったのには苦笑いした。25kmのコースで、実に40ヶ所のポイントをフォローしていく。しかし興味を引くものがあったのは、なんと16ヶ所のみに過ぎなかった。
走ったり立ち止まったりで、足がくたくたに疲れた一日だった。


①金光山不動尊(宮ヶ谷塔3)

東大宮バイパスの西側で東武野田線の北側にひっそりと建っている集会所がある。そこが不動尊だった。今は何もないけれど、敷地に説明版が立っていた。ここには円空仏4体が伝わっているという。中でも竜頭観音像は市指定文化財なのだが、ここにはない。

県立歴史と民族の博物館へ行けば見れるのか、いずれ確認に行ってみようと思う。

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②宮下八幡宮(東宮下1)

日光御成街道の付近を南へ下っていった。ここで立派な庚申塔を見つけた。安永6年、石質も良くて非常に美しい造形である。

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青面金剛がショケラの長い髪をつかんでいた。
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隣りの小祠には不動明王がいた。二童子を従えて台座がないが、おそらく成田山だろう。これもすばらしい。
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③満蔵寺(膝子)

七里中学校の南方にある。板石塔婆は嘉暦4年(1329)の造立で、光明真言が刻まれている。
その他に円空の阿弥陀像があるというが、これも博物館か。

埼玉県には円空仏が130体あまりあるというが、いっそのこと『彩の国円空美術館』というのを建てて、全部常設展示してほしい。

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④西福寺(大谷)

大きな寺院だが、門を入って左手に不動明王を戴いた六十六部供養塔がある。宝暦10年。

しかし台石と上部の雰囲気が微妙に異なるので、別物かもしれない。

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寒々とした空の下を走っていく。案の定風景には抑揚がないが、西福寺の南には体験農園があった。
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⑤薬師堂(染谷)

染谷集落の薄暗い十字路の薬師堂は集会所になっていた。そのはす向かいに庚申堂があった。これもすばらしい庚申塔である。天明2年。

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この地域ではショケラを欠かさずに持っているようだ。三猿には強い存在感はない。
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青面金剛に一定の威厳があるのも共通項かもしれない。お堂も修復整備されていた。
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⑥八雲神社(染谷1)

染谷1と3の境界にある。拝殿の左手に小祠があって、庚申塔が3基入っていた。
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中央は寛文10年。どれも三猿が主役である。
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左後方にひっそりと隠れた三猿。
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⑦観音堂(片柳)

少し台地になっていて、想いでの丘という墓地がある。その南端に小さな観音堂がある。

馬頭観音が2基並んでいた。

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左は天明3年。
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右は宝暦4年のもの。どちらも柔和な表情の馬頭観音だ。
これより南の見沼区には田んぼしかないので、日光御成街道付近へ戻って北上していく。
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⑧不動尊(東新井)

天満神社の境内を抜けて県道214に出た所に不動明王がいた。このポロポーションのものはたいてい成田山だ。

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元石の形がよく残っている。
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⑨庚申堂(東新井)

県道214を150m西へ進んで大宮片柳局入口路傍に、庚申塔が祀られていた。

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元禄2年造立。ショケラを無造作に振り回しているようだ。
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⑩薬師堂・宝性院白岡堂(御蔵)

大宮片柳局前をまっすぐに北上した住宅密集地にある。解説板はほとんど色褪せて読み難い。(どこへ行ってもそうだった。)さいたま市って文化財保護にお金をかけないのか。

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庚申塔と地蔵が並んでいた。
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青面金剛の顔の真横にショケラがいる。それがとてもいい絵になっている。
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⑪笹丸観音堂(笹丸)

平成2年に改築されて、立派な観音堂になっていた。ここは新秩父三十四観音霊場第一番札所となっている。この霊場は全てさいたま市内にあって、ちゃんと巡ることができるらしい。

偶然にも今日はいくつかを訪ねたのだが、ノーチェックだったのでここしか認識していなかった。

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折から近隣の人たちが集まり始めていて、おばあさんに「札所めぐりですか」と尋ねられたので、ええと答えてしまった。
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小祠には成田山。
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⑫大師堂(大谷)

地図によると市営霊園の北側に大師堂があるようだった。しかしそこは集会所のみで、向かいに石仏が一体あった。十一面千手観音だった。

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彫りがとても美しいので明治くらいかとおもったら、寛政7年だった。化仏たちもていねいに彫り込まれている。
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⑬馬頭道標(南中野)

大宮東ケアセンターの北側路傍、小祠の中にあるのを発見した。

道標になっていて文字はだいたい読めるけれど、どこを指しているのかわからない。

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じつに端正な馬頭観音である。
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⑭馬頭観音(大谷)

大谷の住宅地を東へ500mほど抜けた路傍にも馬頭観音があった。寛政4年。

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⑮不食供養塔(新堤)

どんどん七里駅へと向かっていく。七里東保育園の北東側、小さなT字路に石碑があった。
毎月特定の一日は何も食べずに念仏を唱え、それを3年3ヶ月続けるという修行である。

珍しいが、各地で時々見かけることがある。

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⑯大圓寺(風渡野)

七里駅周辺のこの地名は「ふっとの」と読む。雅な風情のある名前だが、実際には風情はない。駅南の住宅地の中にある寺院で、長い参道入口の両側に石仏が並んでいた。

今日最後の庚申塔の青面金剛は、ふっくら顔だった。その唇が何かを語っているようである。

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その2はまた後日。

以下はその2です。2月28日追記。
大和田駅の南北の第二産業道路界隈を回ってみました。

①八雲神社の石仏群(蓮沼)

蓮沼交差点の東方にY字路があり、その路傍の覆屋に3基の石造物がある。
左は馬頭観音(道標を兼ねる)で、後は庚申塔。前の道が古道だったことを物語っている。
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正徳6年の庚申塔。
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ショケラをつかんでいる。石肌がきめ細かい。
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②正法院(南中野)

県道214に面している。円空の薬師如来と十二神将があるそうだが、拝観できるともなんとも書いてはなかった。不動堂の中にいた不動明王は嘉永元年造立。
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③中山神社(中川)

第二産業道路から続く長い参道の奥にひっそりと鎮座している。
狛犬は明治3年奉納。中氷川神社とも呼ばれている。
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彫りの深さが明治の優品らしい。
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④円蔵院(中川)

お寺の外周道路の一角にある。古い祠の割りには新しい不動明王だった。
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その隣りには安永7年の庚申塔が立っていた。ていねいにすっきりと彫ってある。
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胸前にショケラをぶら下げる。
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23ヶ所もめぐったけれど、めぼしいものはこれくらいでした。
おわり