厳冬期硫黄尾根から西穂高岳へ | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

その年の年末年始は硫黄尾根を登ることになった。
自分としては岩壁のビッグルートに挑戦したかったが、ザイルパートナーが後輩のヨネイであるし無理をしないことにした。無理はしないが、西穂までつなげる。そこに自分なりのこだわりがあったのだ。
(過去の記事をリニューアルしてアップします。)
【1984年12月28日~1985年1月3日】雪だるま
L:スー(私) 隊員:ヨネイ
 
12月28日(雪)     葛温泉6:00~湯俣12:00~硫黄尾根末端部取付13:10~尾根上13:30
12月29日(小雪) 出発7:05~P1、12:30~P6、15:00~小次郎のコル手前15:20
12月30日(吹雪) 出発7:30~硫黄岳山頂14:45~台地途中15:00
12月31日(吹雪) 出発8:05~中山沢のコル12:30~岳樺平手前15:30
  1月01日(晴れ) 出発7:20~西鎌尾根8:25~槍ヶ岳山荘12:20 頂上アタック  
  1月02日(吹雪) 出発7:15~大キレット10:35~北穂高岳12:20~穂高岳山荘14:00
  1月03日(吹雪) 出発6:40~天狗のコル9:05~西穂高岳10:50~西穂山荘12:10~
           上高地13:25沢渡16:10
 
いったい幾つの岩峰を越えただろうか。
 
信濃大町駅からタクシーで葛温泉まで入って、湯俣までひたすら歩いた。
一週間分の装備・食料でずっしりと重かったが、6時間で湯俣山荘にたどりつく。
ここから長大で困難な、硫黄尾根&槍穂高連峰の冬季縦走が始まるのである。

電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成した。(令和元年手続改正により申請適用外)

注:この地形図のスケールは編集されています。距離を参照される場合は元のスケールで確認してください。

 
とにかく毎日が吹雪の連続だった。トレースは皆無であり、深いラッセルが続く。ナイフリッジであることと軽量化のため、ワカンは装備から外した。アイゼンのみの登高だ。
後続パーティはあったが、決して我々に追いつこうとはしなかった。
それはそれで良い。ハードな冬山が楽しめるのであるから・・・
数え切れないほどたくさんのピークを越えていく。晴れていたのは最初だけ、おおむねホワイトアウトだった。
硫黄岳前衛峰群あたりだったか。これから天候が崩れていく。
 
日本登山大系によると、所要時間は三~五日(取付から西鎌まで)と書かれている。そこを我々は実質三日と少しで制覇することができた。それも計算の内ではあった。
しかしながら三日目の硫黄岳の登りは空身ラッセルをするほどの厳しさで、標高差400mを登り切るのに7時間(ほぼ丸一日)を費やした。ヨネイは雪庇を踏み抜いたりしていた。
毎日が、吹雪吹雪。
 
硫黄岳を越えて雷鳥ルンゼの下降、だったと思う。
ザイルはほとんど出さなかった。相棒にはそれが悲しかったらしい・・・
ちなみに8環も軽量化で置いてきたので、カラビナ懸垂でクリアーする。
この後の赤岳前後の岩峰群も数が多すぎて、どこをどう登ったか記憶にない。吹雪いているからろくにメモすら取れないのである。
 
四日目に赤岳五峰を越えて、白樺台地の手前で幕営した。吹雪の中の大晦日だった。
そして訪れた元旦の朝、やっと晴れた。北鎌尾根がこんなに美しく望まれた。冬の北鎌は登ったことがないけれど、トレースがついてしまうような人気ルートは性に合わない。
 
五日目にしてやっと待望の西鎌尾根に飛び出した。
この後、槍の肩への登りで私はバテた。ついにヨネイ君登場となる。
そして晴れたのはこの日だけだった。
 
槍ヶ岳山頂!  左膝の後ろに見えるのが北鎌尾根で、背中の後ろが硫黄尾根だ。
もう俺たちのトレースも風で消えてしまっただろうな。
槍の穂先を下る。この日は槍ヶ岳山荘の冬季小屋に泊まった。とても快適だった。
ここから先はまたずっと吹雪だったので、写真が一枚もない。惜しいことをした。
 
翌日からまた吹雪の中、穂高の稜線をがむしゃらに進んでいった。風雪の縦走路は何がなんだかわけもわからず、ただひたすらにルートがあっていることだけを願いつつゴールをめざしたのである。
キレットを越えて北穂と涸沢岳もさっさと過ぎて、穂高岳山荘の冬季小屋に入った。まだ14時だったが、さすがにこの時間からは突っ込めない。
 
最終日、気合で早立ちした。西穂までの稜線は夏も歩いたことがなかったが、そんなことはどうでもよかった。風雪の岩稜を急降下していく景色だけが、今でも瞼に焼き付いている。
出発から4時間で西穂を越える。夏のコースタイムよりも速かった。そして今では考えられないくらいのスピードと馬力によって上高地へと下り着き、そのまま沢渡への長いみちのりも片づけてしまった。
 
・・・▲▲▲・・・
あの頃の仲間はみんな会から離れたり、もっと遠くへ行ってしまった。今一人で記憶をたぐってみても、不確かな部分が多くて寂しい限りである。
遥か昔の、青春のひとコマでした。
ある晴れた日の明神5峰にて、奥穂をバックに。