真実を見つめる眼・・・日本の将来を考えて
昨日で大地震が発生してから早くも1週間が過ぎていきましたが、日本の皆さんは今回の震災の為にさまざまな環境の中で暮らされていることと思います。
ただいかなる環境下に置いても、思いは一つ・・・現在日本が置かれている原発の危機から脱すること、日本各地や世界からの支援を受けながら、復興へかけて手に手を取って歩き出し、一日も早く今まで以上に素晴らしい日本を取り戻すこと・・・
そんな中で以前もお話したように私は募金以外にポジティヴなことがなかなかできないので、今回は義援金についてと、昨日発表された食物の放射能汚染について少し気になったことを綴ってみたいと思います。
日本の皆さんは今回の災害に最もダイレクトな日本の団体などを通じて募金なさっていらっしゃることと思いますが、イタリアの親しい友人が長年イタリア赤十字として、ボスニアのサラエボで働いていることも手伝って、何か世界で災害がある時に、私たちが最初に募金先として使っていたのはイタリア赤十字でした。
もし日本に滞在していたら、被災した県はみんな義援金窓口を開設しているので、そこに直接送るのが一番確実で効率よく支援したお金を使ってもらえるのかな?と感じています。
ただ、銀行・郵便局振込みが殆どなので、今回私たちは海外からもクレジットカード決済の出来る、日本赤十字社の東北関東大震災義援金ページ (←ここをクリック) から募金をお願いしました。
現在みずほ銀行がシステムのトラブルなどを抱えている為、銀行のネット決済よりも確実で、世界中どこからでも簡単にアクセスでき、領収書発行も可能な日本赤十字社のシステムは、数ある義援金団体の中でもお勧めできるものの一つだと思います。
日本国内はもちろんのこと、世界中からダイレクトな救援の手や義援金が送られてきていること・・・日本人として本当にありがたい気持ちで一杯ですし、日本が将来立ち直った暁には、是非また困難に陥っている国々の人々へ援助の手を喜んで差し伸べられる第一の国になることを願って・・・・・
さて、話しは変わりますが、今朝また日本のニュースをUストリームで聴いていると、既に予想はしていたものの、恐れていたこと・・・前回のブログでも少し触れた、食物の放射能汚染のことがかなり取り上げられていました。
チェルノブイリでかなりの打撃を受けたヨーロッパに住んでいるので、とても心配していたのですが、心配が現実化してしまったこと・・・・・いずれは絶対に避けられない問題として浮上してくるものだという覚悟はあったのですが、本当に残念です。
今の時点で問題になっている福島県の牛乳と茨城県のほうれん草・・・今日発覚したばかりで、政府側記者会見で語られることも色々変わってくるのではと思い、ずっと追っていたのですが・・・
私はNHKで枝野官房長官の記者会見を主に見ていたのですが、国民をパニックに陥らせないようにという配慮は判りますが、 被爆したほうれん草を一年間食べ続けた場合、CTスキャン一回分に相当し、直ちに健康に影響がある値ではない・・・ 牛乳もしかり・・・だから今のところ問題はありません・・・
これを聴いたとき、はっきり言って『日本国民をばかにするな!』と思いました。
いずれにしてもこれらの食品に関しては今のところ流通させないように計らっていて、県の方でも規制をかけているのでホッとしましたが、この政府側会見を耳にした時の引っかかる気持ちが拭い去れません。
直ちに影響がある値ではない・・・ということは裏を返せば、長年にわたっては影響がある値ではないでしょうか?
牛乳については粉ミルクなどの加工品にもなる非常に大切な食品の一つなので、特に乳幼児や小中学生など公立学校給食のある若年層が、日々かなりの量を摂取する必要不可欠に近いもの・・・若年層は成長段階にあるので、まだ体の臓器が安定していず、養分も成人以上に取り込むものです。
また、子供たちは大人と違って自分たちで食べ物を選択することができません。学校給食などその最たる例だと思います。私たちが気をつけてあげて初めて、安心できる食品を彼らは口の中に運べるのです。
乳製品アレルギーを持っていらっしゃる方はご存知だと思いますが、乳製品をつかった食製品は本当に驚くほど多岐に渡っていて、毎日ダイレクトに飲む牛乳だけとは限りません。
10年、20年の長い月日を経て、もし長年の体内被爆で表に病気が表れたら・・・・・これから未来にかけて長い将来がある若い人々のことが心から心配で可哀相だし、政府として一番気を使って欲しいことなのに、そういうことに対する配慮や想像力もないのでしょうか? 20年後になって問題化した時に、はたして政府が責任をとってくれるというのでしょうか?
特別の場合を除いて、いったい誰が体に有害と言われているCTスキャンを毎年受け続けるのでしょうか?ましてや幼い子供が受けるものでしょうか?
食物はほうれん草と牛乳だけではなく、人間は沢山の食物を日々摂取しているので、もし被爆したものを何種類も食べ続ければ、かなりの量の放射能汚染物質を体の内部に取り入れることになると思います。
私たち消費者は実際にどれだけ食物が放射能汚染されているか、見極める手立てを殆ど持ち合わせていません。
被爆した農作物や酪農産物は当然ながらこれだけには留まらないと思うので、今後政府が中心になって舵取りしながら、土壌のモニタリングと産物のサンプリングを根気強く続けて真実のデータを開示し、本当に安全度を保った公的に安心できる食物を出荷することが、たわいも無い風評に振り回されたり、パニックを避ける唯一の手段だと思います。
農業や酪農業を営まれる方々も、こういった被害にあわれる方は今後沢山いらっしゃるであろうことを想像すると、仕事や収入の手段を絶たれて気の毒な思いでいっぱいですが、私たち日本人は少なからず一人一人が色々な形でこの災害の痛手を分け合っているので、希望を捨てないで政府とタイアップしながら、土壌の改善などに努めて頂きたいですし、政府も公的な援助を積極的にしていかなければならないでしょう。
今回の震災は自然災害ではありますが、原発という高度の危険性を孕んだエネルギーを国のバックアップで選択した以上、東電はもとより政府もそれにまつわる危険性を様々な観点から考慮するべきだったと思うし、チェルノブイリの前例がある以上、もしもの場合どのような事態が起こるかシュミレーションし、起こった時にはどういう措置を取って、一歩も二歩も先の将来を踏まえた対策を余裕を持って立てられるぐらいの、一般知識や想像力を関係者上層部が持たないことが非常に残念でたまりません。
もちろんチェルノブイリの前例があると言っても、実際にあの被害だと決定付ける放射線と発ガンの相関関係を立証することは、今だにとても困難なことだと思います。ただ、現代社会は被爆を受けなくても沢山のストレスや体に悪い食品及び環境に取り巻かれているので、それに拍車をかけるようなことだけはして欲しくないというのが、私の唯一の願いです。
これは日本だけに限らず、チェルノブイリ原発事故後も、143箇所もの原発を今だ抱えているヨーロッパにも言えることなので、日本政府だけを責めるつもりはありませんが、罪もない一般国民のことを思うと、悔しい思いで一杯です。
ブログというのは様々なスタイルがあって、目的、綴り方、個人的なことを語られる方も多くいらっしゃれば、公的なものとして使われる方もいらっしゃり、それは本人の裁量に任せて決めることのできる、いい意味で自由度の高いコミュニケーション手段だと思っています。
そんな沢山のブログの中で私が目指したものは、自分の喜怒哀楽の感情から一歩引き下がった、どちらかというと第三者的な見方をしたブログを綴っていければと思っていました。
また、なるべく冷静な目で物事を見つめて行きたかったし、もう一つ重点を置きたかったのは、どんなことでもポジティヴな視点で観ていきたいと思ってきたことです。
ですから今回の大震災においても、希望を持てる部分や前向きに考えられることを中心に綴ってきたつもりですが、この食物汚染の問題については、個人的にずっと気にしていたことなので・・・・・このブログを読んでくださっている方へは、今回ちょっと感情的に熱くなってしまったことをお許し願いたいと思います。
私は原発の専門家でもなく、グリーンピースのように環境保護活動をしているわけではありませんが、自分なりに調べたり、経験を通じて感じたりした思いを綴っているので、自分が絶対に正しいとか、こうあるべきだとか思っているわけではありません。
ですから、ただでさえ今震災後の不安な状況で苦労されている方を刺激したり、煽る気持ちは毛頭ありませんが、少し過剰反応と思われる方や反発を感じられる方もいらっしゃるかもしれないのを覚悟で今回の問題については綴りました。
自分なりのポジティヴな視点から言わせて貰えば、ヨーロッパはチェルノブイリ原発事故によって大被害を被りましたが、この原発事故によってヨーロッパ人が全員死に絶えたわけでも、全ての人が病気になったわけでもありません。
ただ、もしあの事故がなければ病気にかからなかった人も沢山いたであろう事実は否めないと思いますし、また長年に渡り土壌のモニタリングや厳しい食物検査を行って、目に見えない部分で多くの人達が、当時起こった原発事故と戦ってきたと思います。
イタリアで最も被害の大きかったベネチアのあるベネト州では、最初の数年放射能による土壌汚染が深刻でしたが、5,6年の月日を経て、土壌は安心できるレベルまで健全さを取り戻しました。
土壌汚染などの起こってしまったことはどうしようもありませんが、日々の努力によって気をつけられることや改善できる部分、対策はいくらでもあると思います。なによりも東電や政府に真実の情報開示をして貰い、正しい情報やデータを元に、日本及び海外の経験深い専門家の意見も取り入れながら、細心の注意を払って解決策を導きだして欲しいと思います。
現時点では被災者の支援・救出と危機的な原発問題の処理を最優先に考えなければならず、その他にも問題は山積みで、政府も泣きたくなるような状況であることは解ります。
ただ、日本国民の健康、特に若い人々の大切な将来を考えた時、政府は何歩も先に視点を置いて、この食物汚染の問題を棚上げせず、早急に他の問題と平行し最重要案件の一つとして、真摯な気持ちで取り組んで欲しいと切に思って止みません。
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それぞれの思い・・・一人じゃない日本
既に大地震に襲われてから7日目・・・事態がいろいろな意味でどんどん深刻化していくのを、申し訳ないことに、なにもできず、手をこまねいてU-ストリームで観ているのですが・・・
真夜中の12時までネットで日本の地震ライブ速報テレビを観て、次の朝祈りながらまたコンピュータのスイッチを入れて速報を観るのが・・・怖くて怖くててしょうがありません。
ただ、私が夕方から夜中にかけて速報テレビを観ている間に事態が良くも悪くも激変することがあり、ダイレクトで原発関係の東電の記者会見を私が見ているそんな時間帯は、日本の皆さんはお休み中だと思うと・・・朝、テレビのニュースをご覧になった時には私と同じように、深刻な事態に辛い思いをされるのかと・・・
ずっとテレビを観ていると、様々な角度から今回の震災の中心的被害である地震と津波、それに続く火災、余震や今一番深刻な問題となっている第二次災害の原発問題とその影響、被災地の救済と物資不足の為どんどん厳しくなる避難所での被災者の方々の生活など、あまりに沢山の問題に、もう何にプライオリティーを置いて考えたらいいのか?・・・判らなくなってしまいます。
津波によるダイレクトな被災者の方はもちろん、今回の福島原発事故問題で避難指示を受け、自宅を後にされた方々も一番大変な思いをされていると思います。
着の身着のままで家を追われた上、食べ物・水や医薬品、衣服、毛布や暖を取る燃料など生活必需品が入手困難な状況で、避難所をたらい回しにされるなど、上部からの一方的な指示に振り回され、挙句正確な説得力を持つ情報も無くて、明日どうやって生きていけばいいのかも、この先どうなるかも判らない不安な気持ちで日々を送っておられる方々・・・特に水や食べ物が無い日が続くと、いくら私たち日本人が礼儀正しく我慢強い民族といっても、心理的に殺気立ってきてしまう状況なのは、本当にインタビューを聴いていて辛いです。
義捐金がいくらあっても、実際に被災地まで届くはずの公的救援物資が大幅に遅れていること・・・・・津波の被害を同様に受けているのに、今だ連絡も取れず忘れ去られ、孤立した地域も沢山あること・・・
そんな中で、個人レベルでは心温まる支援も色々行われている様子・・・・地元のボランティアの婦人会が持ち寄りで、炊き出しの大量のおにぎりを一生懸命こしらえていたり、倒壊した自分のお店の食料品を全て避難所の人々に提供したりする店主さんがいたり・・・・
全国各地からも食料や衣料を中心とした個人ベース、団体ベースの支援物資が続々と送られて来ているようです。
災害に見舞われたタイの人々もみんなで折鶴を折ったり、インドネシアでは『自分たちの国が災害に見舞われた時に、日本は多大の援助をしてくれたので、このような機会にどうにか報いたい』と国で一億円の支援金と救援隊を出してくれました。
イギリスを始めとするEU各国でもスーパーなどでボランティアの募金箱が置かれ、アメリカはでは、昼夜を徹して原発事故の対策にあたっている東電の現場技師たち及び機動隊・自衛隊の方々に、危険を顧みずに多くの人命を救おうとしている無名の勇士たち・・・とエールを送っています。
国際ボランティア団体のパキスタンの人達が、被災者の人達へパキスタン料理の豆入りカレーの炊き出しをしてくれて、『パキスタンで以前地震があった時、日本や他国のボランティアの人達が来てくれて助けてくれたんですよ・・・みんな人間一緒だからね・・・助け合おうって・・・・』って一生懸命支援活動していたり・・・
またほんの少し前に地震で被害を受けた、ニュージーランドのクライストチャーチで活躍したレスキュー隊の人々もわざわざ日本に来てくれて、『ニュージーランドの地震の時に向こうで救助活動をしていましたが、日本の人達も沢山応援に来てくれて・・・』と笑顔で、雪の降る厳しい気候条件の中、被災地で一つ一つ瓦礫の山に逞しい手をかけながら、救助活動をしている姿に、助けに来てくれたんだというホッとした思いと同時に強く胸を打たれました。
今世紀最大の危機に見舞われている日本は、日本の他地域から応援されているだけじゃなくて、世界中から助け合っていこう!とこんなにも応援の手を差し伸べられている・・・困難に陥っている国の人達には快く手を差し伸べ続けてきた日本・・・そして自国が大変なときには素直に助けてもらう・・・そんな世界の中の日本を垣間見たような気がしました。
原発事故のトラブルは、今一番世界が注目していることであり、この第二次災害は今回の地震・津波以上の深刻で解決が厳しい問題・・・・・この地震があった時、私も主人も最初に頭を過ぎったのが原発だったのは、かなり昔のこととは言え、1986年のチェルノブイリ原発事故がヨーロッパ全体に少なからぬ被害を与えたことが背景にあるからだと思います。
当時チェルノブイリの事故後に放射性物質がヨーロッパに向かって風で運ばれ、広範囲において土壌を汚染してしまい、世界中からヨーロッパの生鮮食料品や収穫物・加工品に対して放射能汚染を懸念されました。今若い方はご存じないかもしれませんが、イタリア人の主食である小麦製品のパスタ類や家畜を原料にした生肉製品、牛乳・チーズなどの乳製品も例外ではなかったんです。イタリアでも食物連鎖を通じて数万匹のウサギが汚染され処分されました。
原発に関しては個人的にかなり深い思い入れがあり・・・ヨーロッパでは全体で143基の原子力発電所が稼動していましたが、今回の原発事故を受けて原発の安全性を見直す動きが加速しています。
原子力発電所保持国であるドイツが古い7基を当面3ヶ月稼動停止にすることを筆頭に、各国でも原発のリスクを考え直すと共に、原子炉の安全性検査を実施することになるようです。最新鋭の技術で原発を保持・稼動させてきた原発先進国の日本でさえ、このような事態になることは、世界の国々に大きな波紋を投げかけることになり・・・・
自分も含め、こんな大問題にならないと、日常生活で当たり前のように自分たちが使っている電力について、どうやって供給されていたか?殆ど知識も疑問も安全性への不安も持たない・・・・・使い放題使って生活していたことは、やはり考え直さなければならないと思います。
でもとにかく・・・・・当面の問題はこの原発事故をどうにか収拾させなければならないので・・・・・もう東電まかせにしているレベルの問題ではなく、国・政府レベルで世界中のエキスパートの意見を仰ぎながら解決していかなければならない深刻な問題ですが、こればかりは運を天に任せるような、祈るような気持ちで一杯です。
実際に被災していない日本の方も、目に見えない被爆の恐怖に怯えながら日常生活を送らなければならないこと・・・・・原発近くの地域でなくても、放射性物質は大気中に拡散されて風に乗って運ばれるので、軽視せずに自分でできる予防対策を行って、自分自身の身を守って欲しいですし、食物は日常長期間に渡り摂取するものなので、特に14,5歳以下の若年層や妊婦の方はもちろん、一般の方も今後自分の口にする食べ物にも十分注意して欲しいです。
現在自分が住んでいる国のことで恐縮ですが・・・・・・イタリアは歴史を遡ると原発先進国の一つであり、このエネルギーによって戦後の産業を大きく躍進・発展させてきたのですが、1986年のチェルノブイリ原発事故によって、その後の国民投票の結果、原発を廃止する政治路線を取って来ました。
イタリア国内に原発を持たないので14%ぐらいをフランスやスイスからの輸入に頼り、電力費はヨーロッパではダントツに高く、供給不安定な為、ブラック・アウト(停電)問題や電力高による商業製品の割高・競争力不足など産業不活発化の問題を引きずっていたのですが、ベルロスコーニ政権下で原発復活の方向に舵取りされ、既に建設予定に向かいつつあり・・・・・・もう直ぐ行われる国民投票によってもその是非が問われ、行方が影響されるようです。
ただ、地震の少ないヨーロッパの中で例外的に日本と同様の火山国であるイタリアでは、南イタリアを中心とした地震やナポリ近郊の海に眠る、巨大海底火山が引き起こすかもしれない大津波の懸念もあり・・・・・もちろん個人的には原発には反対なので、更に複雑な気持ちです。
最後に・・・昨日このような災害で、初めてビデオ映像でテレビを通じて、天皇陛下が被災者と国民へお見舞いのお言葉を国民に語られて・・・一方ではいかに事態の深刻かを思わせることでしたが、他方ご自身も高齢の上、体調を崩されていてお辛い中、被災者を心配された心温まるお言葉に、私自身も普段は感じない日本国民としての自覚を呼び覚まされた気がして、思わず襟を正したくなりました。
このお言葉で、被災地の方々が少しでも救われた気持ちになり、辛い中でも希望を持って前進していけることをお祈りしています。
イタリアにいる限り、募金や現在問題になっている人命救済・復旧作業の成り行きや原発のことを理解したり、自分自身が普通に生活できることに感謝しながら、丁寧に生きる以外できない無力な自分ですが、どんなに危機的な状況になったとしても、日本は一人じゃないことを思い、心を強く持って、自分の祖国が一日でも早くこの大災害から抜け出し、未来に向かって少しづつ歩き出せることを思って止みません。
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忘れかけていたこと・・・日本人の強さ
東北地方太平洋沖地震から早くも3日が過ぎようとしています・・・
東北のように直接大きな被害を受けなかった地域でも、今日から時間性の計画停電、食料やガソリンなどを中心とする物資不足、節電による公共交通機関のダイヤ縮小など、日常生活のありとあらゆる面で不便な生活を強いられている方が多数いらっしゃること・・・・・大変だと思いますが、頑張って頂きたいです。
そして実際に直接今回被災して亡くなったり、家族や家を失った方々の心身共の痛みや、まだまだ寒い中、水や電気・ガスもない被災地で過酷な生活を送っている方々のことを考えた時、他地域の節電による不便な生活も連帯と助け合いの一部として受け止め、国の復興に向かって既に動き出している、日本の人々の姿勢とその強さへ心から応援のエールを送りたい気持ちで一杯です。
私は日本の衛星放送がテレビで観れないので、この3日間、ネットのU-ストリームを通じて、フジテレビ&NHKの地震特別放送のライブを、起きている間はつけっ放しにしながら、刻々と変わりつつある地震状況、明らかにされる被害・被災者の方々の様子を観るにつけ、どんなに辛いだろう、無念だろう・・・と心を痛めて日々を送っていました。
こちら、イタリア現地放送のテレビニュースでも、毎日のように日本の今回の地震のことが必ず第一に取り上げられ、被災地を中心とした、かなりショッキングな映像が時には特集として組まれて流され、被災地の被害状況、津波の威力の恐ろしさ、これからも続くであろう余震や原発への不安や成り行きなどが専門家を招いてディスカッションされています。
いつも付き合っているイタリアの友人たちはもちろんのこと、普段は頻繁に会わないイタリアの人達からも日本の状況を心配し、私の家族の安否を気遣う電話を沢山頂いて、随分精神的に癒されたり励まされたりし、また、日本は沢山の国々から援助の手を差し伸べられ、そして実際に迅速に日本入りして活動を開始し始めている国の人々を見て、本当に心からありがたい・・・と思いました。
今回の天災に対しては外国新聞の批評、外国テレビではイタリアの放送を中心に追っていたのですが、やはり非常時に対する日本人の冷静かつ迅速な対応、パニックに陥ったり叫んだりすることなく、逆にこのような大変な状況においても、他人に気を使ったりする心を忘れず、無償の助け合いの精神をもち合わせている日本人の国民性を絶賛するイタリアの人達の声を多く聞きました。
崩壊してしまった我が家を目の前にして『みんな平等だから・・・しょうがない・・・ね・・・悔しいけれど・・・』ってちょっと目を潤ませながら淡々と語る初老の方、やっと救出されたご老人が、それこそ大変な思いをされただろうに『大丈夫、大丈夫・・・』と微笑を浮かべさえして・・・
被災地の子供たちも、自分のことだけで精一杯な中、老人などを一生懸命介助しながら避難したり・・・・・心を打たれる映像を多く目にして、胸を締め付けられるようでした。
外国人にとって日本人の第一印象というと、優しく誰にでも親切で、秩序と規律を重んじる大人しい人達・・・
でも、そんな親切で優しい日本人は、落胆して泣き崩れて我を失うべきであろう悲惨な状況下でさえ、涙も見せず冷静さを失わない芯の強さを持った国民だ・・・という驚きと敬意の声を多く聞き、とても感動し誇らしくさえ思った自分がいました。
外国に初めて住むと、最初の頃は日本にいて感じたりしていた日本と、海外から第三者的目を通して見た日本との差を、大きく感じることが誰にでもあると思います。時にはポジティヴなこともあり、しかしネガティヴなことがあることも否めません。
そして外国生活が長くなると、日本人としてのアイデンティティーや、さまざまな日本的なことや習慣を知らず知らずのうちに忘れてしまうこともあるのではないかと思います。
そんな中で、このような災害を目の辺りにして思うのは、同じ日本人が、自分の美しい祖国が、人の力では太刀打ちできない天災によってズタズタになっていく無念さ、悔しさ、やり切れない悲しみ・・・知らず知らずのうちに目を覆い、涙が止まらなくなってしまうこと・・・・・
そして、悲惨な状況下でも必死で助け合い、励ましあっている日本の人達の芯の強さ・・・・・日本人はこんなに強かったんだ・・・とあらためて思い、一方でその人々に募金や心を痛める以外では今何一つ力になれず、イタリアで足踏みしているだけの自分の非力さ・・・・・
今回の天災による日本のダメージは計り知れないものがあると思いますが、ただ、関東大震災を含めた多くの震災に加え、第二次世界大戦における空襲、原爆投下など、今まであらゆる困難を乗り越えて、現在の日本を築いてきた日本の人達は、今回の災害も絶対に乗り切って、更に素晴らしい日本を築いていけると確信しています。
言いたいことがなかなか上手く言葉にならないのがもどかしいですが・・・・・・これから日本は被災地を中心とした復興に向けて、国民の気持ちを一つにして前に進んでいかなければならないでしょう。
自分としては、ほんの限られたことしか貢献できないけれど・・・・・ただ、春には帰国して日本人の一人として、草の根レベル、日常の家族・友人や仲間レベルのどんな小さなことでもいいから、今回の災害に対してなにか少しでも役に立てたらと・・・・・思っています。
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地震
先程東北地方を中心に起こった大規模な太平洋沖地震・・・ 被災地にお住まいの皆様のご無事を心からお祈りしています。また不幸にも被災されて亡くなられた方へ、心からお悔やみ申し上げます。
かなり広範囲に渡って起こり、マグニチュード9近くを記録した大規模地震であったようで、イタリアでも朝のニュースのトップで大々的に報道されていました。
私の家族は親戚も含め、全員東京に住んでいるので、ビックリ仰天して直ぐに電話をかけたのですが、全く繋がらず(普通電話から携帯、スカイプと様々な通信手段を使っても無理で・・・)、最後は唯一の通信手段のメールで状況を知らせて欲しいと・・・・・・
イタリアのテレビとネットの情報を目の前にして、気を揉むばかりでしたが、先程メールがやっと入り、家族は一応全員無事だということがわかりました。
実際に被災されて負傷されたり、不幸にも亡くなられた方やそのご家族、ご家族の安否が確認できない方、交通機関マヒの為、自宅へ帰り着けない方など非常に大変な思いをされていて、心配は尽きないと思いますが、一日でも早く状況が良い方向に進展することを願って止みません。
今回の地震は今まで起きた地震の中でもかなり規模が大きく、地球の地軸を10センチぐらい動かしてしまったという報告が、既に火山研究専門の学者たちから出されています(過去、チリの大地震と時も同じような事態になったようです)
これからまだまだ余震などの可能性もある為、気を抜けない状況ですし、第二次災害の火災や原発の問題、津波の被害に遭われてしまった方々の救済など、問題は山積みだと思います。
海外に居住していると、祖国日本の緊急時、いざと言う時に手をこまねいているだけで、即戦力にならない自分が歯がゆいですが、皆様是非この逆境下、力を合わせて乗り切り、早く通常の日常生活を復活させて欲しい気持ちで一杯です。
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アンティックのお店と修復工房・・・VIA MAGGIO パート3
外出すると寒くて寒くてホット・チョコレートを飲みにカフェに駆け込む日もあれば、ポカポカ陽気で汗をかきそうな日もあるフィレンツェ・・・春はもうそこまで顔をだしているようです。
さて、今回はいよいよヴィア マッジョの最後のブログ、パート3です。
今回は前回のお話しのように沢山の説明は加えませんので、お店の中の様子や工房をご覧になって、雰囲気を味わって見てください。
最初にご覧いただくのはヴィア マッジョにあるアンティックのお店のうちの一つです。
外から見えますが、ショーウインドを飾っている、木製の彫刻・・・・・アンティックオリーブの優しい風合いの衣装をまとった女性像です。なんて穏やかな優しい表情をしているんでしょう・・・・・
個人的には白いマーブル像よりも、木のぬくもりを感じさせる、温かみのある木製像が大好きです。年代を遡ると、イタリアには多色使いの木製像が沢山存在します。
床に置かれた台に乗った、小さめの彫像たち・・・・・
お店の入り口を入るとすぐ、左手に木製像が飾られていますが、あとはウナギの寝床のように長い店内・・・
白いマーブルの彫像はギリシャ時代に遡るものも多いです。アンチックの家具というよりは、彫像を専門にしたお店・・・
こちらはキリストの磔刑像とやはり木製の女性像・・・・・
目を閉じた顔がとても穏やか・・・・・中型位の大きさの像です。
重厚なアンチック家具の上には、やはり木製の磨きがよく入った小さめの像が・・・・・片方の像は左手が欠損していますが・・・・・踊るような姿がとても素敵です。
教会などで使われていた長いすでしょうか・・・・背もたれの細かい彫り物と、磨かれた椅子の表面のそこここにある傷が長い時代の流れを感じさせます。
店内のライト使いにはとても気を使っているようです・・・・・お店によっては全館均一に照明を当てているところもありますが、ここはかなり作品へ部分的に光を当てて、雰囲気を盛り上げています。
オーナーのブルーノさん・・・・・代々アンチック商を営む家系に生まれ、お父様のお仕事を継がれましたが、若い頃は画家を目指されて絵や美術史の勉強をされていました。
大好きなアートの環境の中でずっと生きてこれた自分は、本当に恵まれていると思うと、しみじみ話されます。
彼はかなり若い頃から、アンチック商の才能があったと、よくお父様や周囲の方から言われていたそうです。というのも、2,3歳の頃からお父様に連れられていろいろな古物商や海外のオークションを見学したり、蚤の市を回ったりした時に、必ず本物を見分けられたそうなんです。
もちろん基礎的な美術史のお勉強やアンチックに関する知識は当然持っておられるのですが、なによりもずっと本当の物のアンチックやアートばかり見て育った彼の目は、直感で偽物と本物を見分ける能力のようなものが身についたようです。
秘訣は?・・・・・・・・・・・・・・・・美しい、本物だけを見続けること・・・・・・・だそうです。
さて、今度はこれも山猫の家の近くの家具修復工房に行ってみましょう。アルノ川の向こう側にある山猫の家の側は、沢山の職人さんの工房がそこここにあります。
ピッティ宮殿が建てられて貴族たちが次々と移り住むまでは、もともとは町外れの下町だった地域なので、家具の修復工房やガラス屋さん、靴屋さん、タッペッツィエーレ、貴金属工房、額縁の製作工房、家具の真鍮部品を専門に扱っているところなど、ありとあらゆる工房が洒落た個人ブティックの間を縫うように軒を並べています。
この工房は家具の修復・デコレーション、作りかえなどを行っています。瀟洒なパラッツォの奥の方になにやら明かりが見えますね。
貴族の屋敷が立ち並ぶこのあたりは、パラッツォの造りもかなり大振りで豪奢なので、表の扉から奥の中庭に行くまでに少し距離があります。
パラッツォが大きいと中の方の部屋は日が入らなかったり、窓が作れなかったりするので、採光の為に中に中庭(コルティーレ)を設けています。
この工房は結構大きくて、内部にも細かい作業をする部屋があるのですが、大きめの家具の修復作業をするために中庭も使っています。修復された扉や家具が立てかけてありますね。
ここでは自分の気に入ったデザインを持っていって、ビンテージの古木で家具を作ってもらうことも出来ますし、アンチック家具を塗り直してもらったり、自分の好きなデザインに塗ってもらうことも可能です。
新居に移って家の修復をした時、ボロボロの古い両開きのドアを蚤の市で購入したのですが、上にかかっているニスを全部剥がして、自分の気に入った色とデザインで修復してもらったことがあります。
見違えるほどかなり素敵に出来上がったので、キッチンと書斎の通路の壁を広げて、出来上がったドアをはめ込んでもらいました。ドアの取っ手や蝶つがいもアンチック部品専門店や蚤の市で、揃えることができます。
お店の内部には見本の家具なども置いてありますが、基本的に注文形式なのでお店の人とよく話し合って、どういうものを欲しいか、どういう風に修復したいかカタログなどを見ながら、自分のイメージを上手く伝えて検討します。
時間は結構かかっても、家の内装や自分だけのオリジナル家具を、細かいことまで言って注文できたり、わがままを言えるのは最高の贅沢のような気がします。
今回はVIA MAGGIO 最終回のパート3、アンチック通りのお店と工房を訪ねて、中の様子などを皆さんにご覧頂きました。長い間お付き合い頂いて、本当にありがとうございました。
また、なにかの機会に職人さんの工房については綴りたいと思っています。
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フィレンツェ風野うさぎ肉のフリカッセで夕食を・・・
やっと春一番が吹いて、本当に暖かい日が多くなった今日この頃のフィレンツェ・・・皆さんのお住まいの地域では如何でしょうか?
春の気配に誘われて外食・家問わずイタリア人と共に食事をすることが多いのですが、友人や知り合いを家に招待するのが大好きなイタリア人・・・どちらかというとレストランよりも正式で心温まるおもてなしという感じで、こういった習慣はイタリアでは幅広く日常生活に取り入れられているのですが・・・
ところで、インヴィテーションのタイミングというのは、どちらかというと、早く知らせて貰らえれば結構都合がつけやすいですよね。自分のスケジュール調整はもちろんのこと、なにをお土産に持って行こうとか考えなきゃならないし・・・
ところが・・・・・これはもしかしたら私たちの周りのイタリアの友人が特に変わっているのかも?しれないけれど・・・本当に急という場合が多いんですよ。まさにその日の午後遅く、今日の夕食はどう?とか、今から2時間後とか・・・・・なにも予定がなければ、直行とか・・・・・汗
というわけで・・・・・今回は先日エルバ島から戻る途中の車に連絡が入り、急きょポッターさんからお誘いがかかった夕食のお話しを・・・・・
出先から家に戻らず直行したので、ちょっと早めにポッターさんのお家にお邪魔してしまい恐縮していたのですが、家中にいい香りが立ち込めていて、ローザさんはリゾットをこしらえている最中・・・・・と思いきや・・・これ、お米ではありません!
少ししてから、久し振りに会うキアラさんとアレッサンドロさんも到着・・・・・今日は6人だけなので、立食パーティーではなく、テーブルにみんな座って・・・・ゆったりと・・・
アレッサンドロさんはトリノ出身の人ですが、彼以外はロンちゃんの学生時代の友人たち・・・昔からの友達なので、気が置けない仲間たちです。
さて、先程のリゾットらしきもの・・・・色が気になるでしょ?これ、お米の代わりに麦を使った変わりリゾット・・・(リゾってお米のことなので、ちょっと表現が可笑しいかな?)
お米でリゾットを作るのと全く同じ要領で、麦を使ってローザさんが作ったのは、フンギ・ポルチーニがたっぷり入った、本当に香ばしい一品・・・程よいバターの風味が芳しく、パルメザンチーズのすりおろしがとっても良く合います。
外食する場合は急なお誘いでも、お互いに都合がつけばそれでOKなんでしょうが、昔はイタリア人のお家に食事に行くとなると、料理して招待してくれる友人になにを持っていこうか?どうしようか?などと結構気を使ったりしたものです。
でもね、こういった招待をしてくれる友人たちは、多くの場合『今日の料理は特別美味しく出来たし、沢山作ったから、みんなを呼ぼうか? うん、それに決まり!』とか、『ちょっと美味しいお魚やお肉が見つかったから、せっかくだから今から食べに来ない?お土産? 何も持ってこなくていいから、早く早く!』という感じなんですね。ちょっと家族や親戚みたいな・・・・・
多分こういう気持ちの根底には、『美味しくできた料理だから、是非○○○にも食べさせてあげたい・・・』とか、『今日は旅先ですごい美味しいものを見つけてきたんだ・・・せっかくだからこの材料で料理して、ゆっくり家で旅の写真を見ながら、旅先で起こったハプニング話しをするから、良かったら食べに来いよ!』なんていう、一緒に食卓を囲むことを通じて、気持ちの交流を図ることをなによりも大切にする、暖かい思いがあるのだと思います。
今日はポッターさんたち田舎に行ってきて、農家から美味しい野うさぎのお肉を手に入れたので、ポッターさんが自ら男手をふるって料理した、野うさぎのフリカッセ!フリカッセは一般的に鶏肉、子牛のお肉などが使われる、フランスの代表的なお肉料理ですが、ホワイト系のソースを使うのが決め手・・・
ローズさんにお肉を取り分けて貰った後、付け合せの野菜サラダと温野菜のブロッコリーは、各々好きなだけお皿に取って回しあいます。
ポッターさんのイタリア風オリジナル・レシピはというと・・・・
野うさぎのお肉と香味野菜をフライパンでオイルソテーしてから、少量のブイヨンで煮込み、最後に卵黄とレモンを合わせたソースをプラスしてとろみをつけて味を調えたものです。
『ねえねえ、美味しい?今日は僕が腕によりをかけて作った野うさぎなんだよ~・・・遠慮せず、どんどん食べてね~!』
と、美味しいお料理をパクパク豪快に食べていく私たちを見守るポッターさんたち・・・
それぞれ近況報告やポッターさんたちの田舎の話、私たちのエルバ島でのことなど、飲んだり食べたりしゃべったりしながら、お世辞抜きで本当に美味しいポッターさんたちのお料理を堪能しました。
さて、結構お腹一杯食べた後は・・・・・
山猫たちは先程も言った様にエルバ島から直行して来た上、今日は日曜日だったので、なにもお土産らしいお土産が買えず・・・でも、旅先で購入したエルバ島のドルチェとオリーブオイルがあったので、急きょお土産代わりにしてしまい・・・・・
エルバ島独特のワインを使ったドルチェです。赤ワインが入っているので、見た目がビックリするほどピンク色なのですが、しっとりと柔らかくてお味は結構いいんですよ。
キアラさんたちはビンサントを一本お土産に持ってきたので、ポッターさん早速開けてみます。
食後のリキュールとしてポピュラーに飲まれているビンサント・・・ドルチェにとても合うので、結構好きなリキュールの一つ・・・・
ビンサントは、カンテゥッチ(プラトーのアーモンド入りビスケット)をつけて食べるのが定番となっていますが、本当によく考えたな~という組み合わせ・・・
ビンサントにつけると、カリカリのかなり硬めなカンテゥッチがちょっとだけ柔らかくなって、リキュールに含まれているアルコール分&アロマの芳香と、アーモンドの入ったシンプルなビスケット生地が絶妙な味の調和を見せてくれるんです。
旅が大好きなポッターさん夫婦・・・いつも旅先各地でお気に入りのモチーフ、太陽の壁飾りを購入・・・
それにしてもさまざまなお顔の太陽があるもんですね。
ドルチェとリキュールの後は、やっぱり〆にエスプレッソ・・・
今夜もまた夜中の1時を軽く回ってしまいました。イタリア人の凄いところは、かなり夜遅くまで騒いでいても、次の朝物凄い早起きすること・・・5時起きなんていうのは当たり前みたい・・・私は・・・・・・ついていけません・・・汗
今回はエルバ島から帰途につく途中、お誘いがかかったポッターさんのお家の夕食会のお話しを綴ってみました。最後までお付き合い下さって、本当にありがとうございます。
お客様を家へ呼ぶとなると、家をピカピカに掃除したり、見た目のいいお料理を考えたり、失敗したらどうしようとパニックになって結構身構えてしまうことが多いですが、、丁度美味しくできたので、是非食べて欲しいから・・・・・という逆のやり方で、あまりかしこまらずに、友人たちとの楽しい時間を飾りけの無いナチュラルモードで共有すると、インヴィテーションも日常生活の一部として、自分自身もエンジョイしながらこなせるのかな?と思えるようになったこの頃です。
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愛に生きた女 ビアンカ カッペッロ VIA MAGGIO パート2
皆さん、こんにちは・・・・・先週のヴィア マッジョ通り、アンチック街に続けてアップしようと思っていたお屋敷のお話・・・ですが、週末エルバ島に行くことになってしまい、アップを伸ばしていたビアンカ・カッペッロの愛の物語を今回は綴っていこうと思います。
フィレンツェはドォーモを中心に、あまりにも沢山の美術館や重要な建造物があるので、観光でいらした場合、アルノ川の向こう側の地域に関しては、時間の関係などからピッティ宮殿ぐらいまでで足を止めてしまわれる方が多いのではないでしょうか?
特にヴィア マッジョ通りはアンチック街として豪華で美しいパラッツォが軒を並べていたとしても、ちょっとしたお土産を買いに・・・・・とは、なかなかいかないですよね・・・でももしお時間が許すならば、是非訪ねて頂きたい通りです。
前回のブログでもお話したように、この通りには沢山の貴族たちが競って館を建築したので、パラッツォの中にあるコルティーレ(中庭)などの美しさは、目を見張るものがあります。
今回はそれらの美しいパラッツォの中で唯一、ファサードがとても美しく優雅にデコレーションされた、ビアンカ カッペッロのパラッツォにまつわるお話しをしたいと思います。
お話しに入る前に、今回のブログを綴るにあたって利用したり、読んだ資料のご紹介を少し・・・
塩野七生さんはイタリアを中心に地中海の歴史を書かれている、あまりにも著名な作家さんなので、ご紹介するまでもないと思いますが、機会のある時にテーマ『山猫文庫』の方でご紹介させて頂きますね。
塩野さんの書かれる本はとてもオリジナリティーに富んでいて、彼女の独自の視点でかなり時代検証にも力を入れて書かれているので、ファンの方は多いのではないかと思います。
あとの3冊はイタリアの本なのですが、
フィレンツェのパラッツォ散策に欠かせない『I PALAZZI STORICI DI FIRENZE』(ANTONIO FREDIANELLI 著)、
メディチ家の女性たちに焦点を当てて綴った『LE DONNE DI CASA MEDICI』(MARCELLO VANNUCCI 著)、
そしてそのものずばり4世紀半前のミステリーと題して、科学的に彼らの死因を検証し、420年のミステリーに終止符を打たせた、フランチェスコ一世とその妻ビアンカ・カッペッロの死『UN GIALLO DI QUATTRO SECOLI FA』(FRANCESCO MARI ELISABVETTA BERTOL ALDO POLETTINI共著)です。
さて、これらの本の中ではビアンカ カッペッロについて書かれた一節もしくは、主題として書かれたものがありますが、塩野さんの方は、150年前にビアンカ・カッペッロの屋敷で発見された、ビアンカ・カッペッロ自身によって綴られた回想録に基づいて書かれていて、塩野さん自身もかなり好意的にビアンカについて語っています。
他のイタリアの本ではかなり客観的な立場にたってビアンカ・カッペッロを語っていて、詳細な年代考証が詳しくのっていたので、両方をよく突合せながら綴っていこうと思います。
ビアンカ・カッペッロはヴェネチア貴族の中でも1,2を争う高貴、高名な家柄カッペッロ家に1548年に生まれた、貴族の娘でした。
しかし、幼い頃母を亡くして、その後継母との折り合いが悪く、年頃になる前に尼僧院に入れられそうになります。
当時貴族の女性は結婚をすると、実家では名家に相応しい持参金を持たせなければならなかったので、尼僧院に小額の寄付で済まそうという継母の考えに、実父までが同意したらしいのです。
丁度その頃、ビアンカはフィレンツェの銀行のヴェネチア支店で働いていた、洒落た男前のフィオレンティーノ、ピエトロと知り合います。
いろいろな書物や資料で書かれていますが、ビアンカ カッペッロは最高の品性を備え持った美しく、その上深い教養もある才色兼備の女性だったようです。当時の絵画でもその様子を、確かに伝えているものがあります。
美しい屋敷に住み、物質的には恵まれた環境に取り巻かれていたビアンカですが、継母の陰謀による将来の不安を思うと、ピエトロとの恋に落ちた末、家を捨てて駆け落ちする決断をするまでに、時間はかかりませんでした。
ビアンカ15歳、ピエトロ18歳でした。
1563年の11月末、二人はヴェネチアを後にし、フェッラーラまでは船を使い、追手の影に怯えながらあとは陸路でボローニャ、アペニン山脈を越えてピストイア、そしてほうほうの手でフィレンツェにたどり着いたのです。
しかし彼らをフィレンツェで待ち受けていたのは、あまりにも過酷な現実でした。
ビアンカとピエトロの駆落ちはもはや家と家の間のいざこざという枠を越え、ヴェネチアの元老院は、ヴェネチア貴族の娘が外国人のフィレンツェ人にかどわかされたとして、ピエトロの首に2千デュカートの懸賞金をかけていたのでした。
また、ピエトロはビアンカに自分の家をかなり裕福であると嘘を語っていましたが、実際はかなり貧しい家庭であったことも、ビアンカを打ちのめした要因の一つだったようです。
父の逆鱗に触れて、ヴェネチア共和国市民の権利と貴族の権利を剥奪されて一文無しになったビアンカ・・・・・・
フィレンツェ入国後、直ぐにピエトロと結婚式をあげて女児を授かりますが、ヴェネチアからの追手を恐れたピエトロの家族たちは、ビアンカの外出を硬く禁じました。
当時、ピエトロ一家はフィレンツェのサン・マルコ広場に面した家に住んでいました。
毎日のように家の窓から外を眺めて過ごしていたビアンカでしたが、ある日彼女の姿がその広場を横切って近くの植物園へ向かうトスカーナ大公コジモの後継者、フランチェスコ王子の目に止まります。(王子の通っていた植物園は過去ブログで紹介したIL GIARDINO DEI SEMPLICI DI FIRENZE ←過去ブログはここをクリック)
運命の出会いでした・・・・・
その時からビアンカ カッペッロの人生は一転します。
上の肖像画はトスカーナ大公コジモの後継者、フランチェスコです。フランチェスコはメディチ家の後継者でしたが、政治に関心が薄く、芸術や草花を愛した、メランコリーな王子様だったようです。
フランチェスコは始めのうちは人目をはばかってビアンカと会っていたようなものの、次第に公然と人妻ビアンカを愛人として寵愛し始めるのです。
1565年、フランチェスコはトスカーナ大公国の為に、オーストリア大公、ドイツ王フェルディナンド1世の息女、17歳のジョバンナ ダズブルゴと政略結婚を強いられます。
右の肖像はフランチェスコの正妻、ジョバンナ ダズブルゴです。少女のように若く、とてもか細く小さくて、北国特有の真っ白な小さい顔、縮れ毛の金髪・・・・・
どちらの本の中でも、ジョバンナはフランチェスコの愛を得るには至らない、冷たく面白みのない女性のように書かれいて、才色兼備、亜麻色の髪に豊かな体を持つビアンカとは対照的な女性だったようです。
正妻を迎えた後も、ビアンカを愛しむフランチェスコの気持ちは、ますます強くなるばかりでした。
ただ女性の立場から言うと、政略結婚とは言え、彼女も若くして異国から一人で嫁いで来たので、生涯夫に愛さず、見向きもされなかったというのは、ちょっと可愛そうだったと思いますが・・・
フランチェスコは1567年、ピッティ宮殿に近いマッジョ通りに、ビアンカの名義で立派なパラッツォを購入しました。
これがビアンカ カッペッロのパラッツォと呼ばれるようになるのです。
フランチェスコはベルナルド・ブォンタレンティに、このパラッツォの修復、デコレーションを依頼します。
ベルナルド・ヴォンタレンティはピッティ宮殿、ボーボリ庭園、フィレンツェ郊外のプラトリーノのプロジェクトを手掛けた、ルネッサンス期のフィレンツェの芸術家の中では、その存在が欠かせない人物です。
このパラッツォはヴォンタレンティがフランチェスコの為に行った最初の仕事で、その後フランチェスコはさまざまな仕事を依頼し続け、終生ヴォンタレンティをお抱えの芸術・建築家として寵愛します。
彼が手掛けたプラトリーノの別荘や洞窟は、実際フランチェスコがビアンカとフィレンツェの郊外で、二人っきりの時間を静かに過ごす為にヴォンタレンティに依頼した仕事ですが、その洞窟の美しさはプラトリーノをヨーロッパ中で有名にしました。
入り口のアーチの上にはヴェネチアの生家、カッペッロ家のステンマ(紋章)が彫刻されています。
ステンマは文字の代わりに、そこに住んでいる館の主を表していました。
実際ビアンカが住んでいたパラッツォですから、カッペッロの紋章が入っていて当然ですが、フランチェスコ大公は、そういった細かい配慮も忘れなかったのですね。
ファサードは一面にデコラティヴに装飾されていますが、パラッツォの中心ぐらいにメディチ家の紋章も描かれています。
一番上の丸型の窓もフィレンツェの建物の窓としては、稀有な存在です。
1572年、名目上のビアンカの夫、ピエトロが彼自身の愛人問題の絡みから殺害されます。
フィレンツェの人々は、ヴェネチアからやってきた外国人ビアンカを、フランチェスコ大公をたぶらかした愛人という軽蔑の目で見ていましたが、彼女の夫、ピエトロの死は彼女の企てた計画的犯行だなどと噂するようになりました。
しかし、ピッティ宮殿を居城にしていたフランチェスコは、妃である自分の妻にさえ公然と、目と鼻の先のマッジョ通りにたつ屋敷、夫を失い未亡人となったビアンカのもとへと通い詰めました。
左の写真はマッジョ通りの終わり、サンタ・トリニタ橋に出る少し手前の右にある三叉路なのですが、小さい屋根つきテラス、お分かりでしょうか?
ここは私の家から目と鼻の先にあるので、始終よく通る場所なのですが、突き出たテラスの下にはメディチ家の紋章が、その下にはマスケラから湧き出る噴水を白いマーブルの優雅な水槽が受け止めています。
言い伝えによると、ここはフランチェスコ大公が、ビアンカに会いに行く為に通った場所だそうです。
深くビアンカを愛するあまり、フランチェスコ大公は彼女の住むパラッツォを、この突き出たテラスの窓から密かに見つめてビアンカの動きを探る為に、時としてしのんでいたとさえ言われています(ちょっとストーカー?・・・苦笑)
でも実際にここに立って見ると、手前のパラッツォがジャマして、すんなりとビアンカのパラッツォが見えるわけではありません。たぶん・・・これは私の推測なのですが、手前の邪魔をしているパラッツォは、当時今のように建てられていなかったか、引っ込んでいたか?存在していなかったのではないかと・・・
確かにこの不思議なテラスの造り、ビアンカ カッペッロの屋敷の方向に向けて作られた窓からは、わずか100メートルもしない先にビアンカの住むパラッツォが左手にあるんです。ここはまた、待ち合わせに使われたのでしょうか?
メディチ家の紋章をテラスの下に掲げ、特徴的な美しい噴水まで作らせたフランチェスコ大公・・・・・
いずれにしても、ビアンカに向けられた真っ直ぐな愛は、本物だったようですね。
コジモ大公が亡くなると、フランチェスコはトスカーナ大公国の主となりましたが、小さな体で6人もの子供をフランチェスコに授けたドイツ人大公妃ジョバンナ ダズブルゴ も、1578年にわずか30歳でこの世を去ってしまうのです。
晴れてフランチェスコとの愛をまっとうできるようになったビアンカでしたが、ここでもフィレンツェの人々はビアンカを美女の仮面を被った魔女だと陰口を叩き続けました。
しかし大公妃の死後、周囲の反対を押し切って2ヵ月後に大公フランチェスコとビアンカは密かに結婚し、喪が明けると直ぐに結婚を公式に発表しました。
フランチェスコの誠実な愛は、ビアンカをこのまま愛人に甘んじさせるには、あまりにも大きく深かったのです。
また、ビアンカはこの結婚によって、ヴェネチア共和国で剥奪された権利を復活させることが出来ました。
王と結婚するのに相応しい地位をビアンカに与えたことによって、ヴェネチアはトスカーナ大公国にここぞとばかりに恩を売ったのですね。
回想録の方はここで終わっているのですが、その後大公フランチェスコとビアンカは、愛を分かち合う文字通りのオシドリ夫婦として、これから先の生涯を全うするはずでした・・・・・
が、幸せは長くは続きませんでした・・・・・
1587年にポッジョ・ア・カイアーノの別荘に狩を楽しみに行った二人でしたが、大公フランチェスコがいきなり高熱を出して寝込んでしまい、その後ビアンカも同様に高熱を出して1週間以上苦しんだ後、2人とも急死してしまったのです。
弟のフェルディナンドによる毒殺が疑われましたが、結局当時はマラリアということで片付けられてしまいました。
塩野さんの本でもマラリアであろうと書かれていましたが、彼女の『愛の年代記』が出版されたのは、1978年頃のかなり前なので、塩野さんは当時のマラリア説を引用されていたのでしょう。
ところが数年前に・・・・・マラリアではなく、毒殺であることが立証されたのです。
フランチェスコ一世とその妻ビアンカ・カッペッロの死『UN GIALLO DI QUATTRO SECOLI FA』では、フィレンツェやメディチ家の歴史的経緯に触れながら、この書籍の著者であるフィレンツェ大学の毒物学の権威の教授陣4名がフランチェスコとビアンカの肝臓の小片を分析し、致死量の砒素が検出したことが詳しく記載されています。致死量ではあっても即死させる程の量ではなかったため、2人は何日も苦しみぬいたようです。
この著書は2007年に発行されたものですが、とても客観的事実に即していますし、フィレンツェのカラー写真も豊富に挿し入れられていて、歴史書としても読みやすいので、ビアンカ・カッペロとフランチェスコ大公について興味がおありでイタリア語が解る方にはお勧めです。
というわけで・・・・・フィレンツェ大学の教授陣によってやっとベールが剥がされたミステリーな愛の物語は、この毒殺という新事実によって、政治能力に長けていたフェルディナンド大公の歴史上の評価に、人格面で一つの黒い影を落としてしまいました。
ここまでは、なるべく事実の側面に基づいて皆さんにご紹介させて頂きましたが、私も塩野さんと同様に、このルネッサンス期のフィレンツェで最大のスキャンダルとされた、大公フランチェスコとビアンカ カッペッロとの愛の物語にとても心を打たれました。
優雅なベネチア貴族から転落したビアンカは、慣れない異国の地フィレンツェで、今日明日いつなにかの拍子に覆されるかも知れない自分のはかない人生を、魔女のような愛人という世間の酷評に耐えながら、フランチェスコの愛だけを信じ、全てを託し何年も生きてきたのです。
もちろん、この愛の物語には、倫理面での賛否両論はもちろんのこと、当時のヨーロッパに置けるメディチ家の政治上のポジションや策略が深く関わっています。
また、ビアンカ、フランチェスコ大公、双方にお互いに対する有余るほどの愛情はあるものの、ビアンカは自分の脆弱な立場を必死で守る為、跡継ぎとなる男子がいなかった大公の子供を産むことを切望して画策するという、大公に対する駆け引きや利己的な思惑など、歴史上の様々な角度・視点から観ると、彼女に対するネガティヴな意見も実は多いのですが、こういったマイナス面全てを差し引いても、ここまで一人の男性に真っ直ぐな愛を注がれた彼女は、たとえ短い一生であっても女性として最高の幸せを味わった一生ではなかったでしょうか?
フランチェスコ大公は死の迫ったベットの上で最後までビアンカのことだけを心配し、彼女が再婚しない限り彼女に現在享受している権利を与えて続け、財産を残す遺言を残しました。
そして『妃は再婚などしないと思うが・・・』とつぶやき、微笑さえ浮かべた・・・・と塩野さんの本にあります。
フランチェスコ大公の亡くなってから、半日もおかずにビアンカも静かに息を引きとりました・・・・
今回はビアンカ カッペッロとフランチェスコ大公の愛の物語に長らくお付き合い頂き、どうもありがとうございました。フィレンツェにはマッジョ通りだけでなく、数え切れない程の素晴らしいパラッツォが立ち並ぶ通りが沢山あり、それと同じ数だけパラッツォのまつわる人間模様が存在します。
また、興味深いお話がありましたら、是非皆さんにご紹介させて頂きますね。
次回は最終回、マッジョ通りのアンティック店と修復の工房内部を、少し皆さんとご一緒に覗いてみれたらと思っています。
週末ちょっと忙しくなってしまうので、勝手ながらコメント欄を閉じていますが、メッセージの方は開けてありますので、ブログに関してご意見などありましたら、少し遅れてのご返事になりますがお受けしていますので、どうぞ宜しくお願い致します。皆様どうぞ良い週末をお過ごしくださいね。
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エルバ島での一日・・・
先週末からエルバ島に仕事で出かけて、どうにかフィレンツェに戻ってきた山猫です。春うららの今日この頃、皆さんも良い週末をお過ごしになったでしょうか?
さて・・・・・今日は早速エルバ島での一日を・・・全く大した内容ではないのですが、春一番の海での一日ということで少し綴ってみたいと思います。
エルバ島はこれまでに何度か過去ブログで綴ったことがあるので、ご興味がおありの方は
をご覧下さるとナポレオンにも所縁の深いエルバ島について、概要がザッとお分かりになるかと思います。
さて・・・・・今回はいつも宿泊するポルト・フェッライオの港から一歩入った市内のホテルではなく、ちょっと気分を変えて海沿いのホテルを取ってみました。
海岸沿いにあるこのホテルは同時に道路沿いでもあるのですが、ちょっと小高くなった山場に張り付いたように建っているので、ホテルから海のパノラマ前景を見渡せるのが魅力的です。
道路を渡って長めの細い石段を下って行くと、ホテル専用の自然のプライベートビーチがあるので、海水浴や日光浴に最適!
今日は早朝から物凄い強風と寒さで、かなり心はブラックになっていた山猫・・・・・というのも・・・ロンちゃんの仕事のことは何度か前ブログで触れましたが、この寒さの中海にクルーザーを出して、海岸の地形調査と分析の為の砂の採集をしなくてはならず・・・
イタリアは日本と同様ほぼ全土が海に囲まれているので、最近問題になっている海水の上昇、海の波や潮流による海岸侵食がかなり深刻な問題になっていて久しいんです。
国土や自然を守ることももちろんですが、観光国イタリアでは風光明媚な沿岸地帯の多くが、夏の観光客向けのビーチとなっていて、一般に海の家はそれぞれ地方自治体から、ビーチの一部を借受契約して営業しています。
ですから、波の侵食によってビーチの形が著しく変わってしまったり、砂浜が侵食されて海の家が営業できなくなったりすると、ビーチ需要を基盤に全て観光に寄りかかって営業しているホテル、ショップ、レストランなどで働いている地元民たちは生死に関わる大打撃を受けてしまうわけです。
もちろん国や地方自治体はかなりの資金をさいて、大学や専門の研究所に波のダイナミズムの分析をさせたり、海底モニタリングを依頼しながら侵食を防ぐ防波堤の建設、著しく侵食されてしまったビーチなどでは、海に持って行かれてしまった砂を人工的に海の沖から持ち込んで敷き詰めて海岸線を守る作業を進めていますが、常時海底の地形や海岸線を測量チェックして、必要な対策を立て続けなくてはなりません。
というわけで・・・・・話しが長くなりましたが、この強風の中・・・朝の5時からクルーザーで沖に出て力仕事をすることになったわけですが、私は先日からこじらせていた風邪がようやく治ったばかりだったので、実は寒い中海に出るのが死ぬほどいやで・・・
そうしたら・・・・・・・・なんと、マックスさん夫婦が偶然エルバ島の海のお家に来ていて、彼が私の代わりにロンちゃんの仕事を手伝ってくれるって名乗りを上げてくれたんです!
もう、いつも冗談を言って人をからかってばかりいるマックスさんが素晴らしく、神々しく見えてしまいました(笑) 持つべきものはやっぱり友 !
ホテルの4階は野外テラスになっていて、瓦屋根の向こうには遥か彼方まで、早春のエルバ島の海岸が広がっています。
いきなりいつもの泥臭い力仕事から解放された山猫~!
もちろんちょっと寒いけれど、マックスさんの奥さんのタティアーナさんと久し振りに女性2人だけで町でショッピングをしたり、食事しようということになりました。もう、ウキウキです。
タティアーナさんと港で待ち合わせて、風は強くて寒いけれど、太陽の眩しいポルト・フェッライオのハーバーを歩き始めました。
すると・・・・・結婚式を終えた新郎・新婦さんがカメラマンに写真を撮ってもらっている光景に出くわして・・・
ウェディング・ドレスというと真っ先に白をイメージしてしまいますが、こんなビビッドな赤も素敵ですね。
二人の新たな人生の旅立ちには・・・・・可愛いショッキング・ピンクのシトローエンのクラッシックカー2CV・・・
昔風の蛇腹のオープン・ルーフや上下に半開きになる窓ガラスがアンチックでとってもキュートですね。
遠くから望遠レンズで撮っていたのですが、ようやく発車すると、運転していた新郎の方が私たちに気づいて万遍の笑みでこちらへ投げキッスをし、ブーンと去っていきました。
どうぞ・・・お二人とも末永くお幸せに~・・・・・
エルバ島はトスカーナの海の観光スポットとして地元のイタリア人たちにとても人気の高い場所ですが、年間を通じて住み暮らしている島民は沢山いるので、バカンス用のビレッジのように冬場、ゴーストタウンのようになることはありません。
ポルト・フェッライオの港はいつも大小のヨットでギシギシ一杯・・・さすがに強風の今日、海に出ている人はいないようですが・・・
フィレンツェでは結構外にでしぶって家にこもっているので、薬局や化粧品屋さんでいろいろ足りないものをまとめ買い・・・
港沿いには洒落たブティックが沢山あるのですが、まだ春になるかならないかのこの時期は、オープンしているところはチラホラ・・・
あ、山猫もタティアーナさんもお気に入りのポール & シャーク! オープンしている上に季節はずれの50%オフのセールをしています。
ポール & シャークは日本であまり馴染みがないかもしれませんが、イタリアでは結構メジャーなメーカー・・・
マリン・スポーツをモチーフにしていて、シンプルかつ原色色使いのウェアーが中心で、スポーツ・ウェアーと言っても結構お洒落な雰囲気のものが多いので、海を離れてタウン・ウェアーとしても着まわしできる素敵なアイティムを出しています。
フィレンツェにもお店はあるのですが、セールなどしていなかったし、ここのお店はポール & シャーク 以外にもカナディアンズのコートやダウン、ガントの可愛いウェアーなど数種類のメーカーのものを取り揃えているので、セール時には本当にお買い得です。
冬物だけでなく、春に着れるトレンチなどもセール対象になってたので、思わず手が伸びて・・・・結局、春物で薄手のベージュのトレンチコートと冬場の白のコンパクトなダウン、マリンの雰囲気を出したブルーと白の太めのボーダー使いが可愛い、コットン地のジャケットを購入してしまいました(でも全て50%オフだったので、とっても得した気分に・・・)
観光でイタリアの海に見える方は、水着や海辺で着るようなウェアー、マリン・ルックなどの商品は絶対に島や海の町で買うことをお勧めします。大都市のお店より断然にセンスが良くて、素敵なオリジナル商品などを購入できること請け合い!
ふと気がつくと、なんと1時前・・・こんなに長くお店で粘っていたのかと・・・恥・・・でもお腹がさすがに空いてきたので、2人で行くのに丁度いい港近くのレストランに入りました。
ここで、そろそろガールズ・トークのお時間・・・・・昼間だし女性二人だけだけれど・・・鬼の居ぬまに・・・思わず、よく冷えた白ワイン、GEWURZTRAMINER を一本注文して・・・・・
タティアーナさんはボンゴレ入りのマルタリアータ(手打ちのパスタ生地をアットランダムに切ったパスタの名称)、 私はボンゴレを普通のスパゲッティで頂きました。
しかし・・・・・・女性ってよく話しますよね・・・我ながら感心・・・もうナイヤガラの滝のように溢れる話題で・・・・いっぱい・・・笑
普段、4人の時には話さない内緒のお話なんかも???出たりして・・・笑
私はさすがにセコンドをパスしたのですが、タティアーナさんは獲れたてフレッシュなタラのフライとポテトのオーブン焼きを注文・・・
とにかく、2人でワインを一本空けてしまったので、結構酔いが・・・汗・・・・・酔い覚ましにはやっぱりデザート・・・タティアーナさんはババと生クリーム、私はフレッシュなパイナップル・・・
パイナップルってイタリアではどこのレストランでもおいてある定番のフルーツなのですが、消化を促進してくれるような気がして、いつもドルチェの代わりに注文してしまいます。
でも・・・・・せっかく酔いが醒めそうだったのに、お店の人に勧められてリモンチェッロを飲んでしまい・・・汗
RISTORANTE LA BARCA
VIA GUERRAZZI 60/62
57037 PORTOFERRAIO(LIVORNO)
ISOLA D'ELBA
TEL +39-0565-918036
タティアーナさんが購入した商品をちょっと家に置いて、一休みすると言い出したので、小高い城壁の中にある彼らの夏の家へ・・・
ここからは先程まで居たポルト・フェッライオの港が、手の中に入りそうな大きさで可愛らしく見えて、遠くにはマリンブルーの海が広がる絶景が堪能できます。
タティアーナさんは午後エステティック・サロンに髪の毛のトリートメントの予約を前もって入れていたので、私もお供・・・今日は週末とあって地元の人達で込み合っています。
ここのエステティック・サロンは髪の毛の他にマッサージなどの全身美容、様々な最新器具を導入した美顔なども幅広くやっているので、タティアーナさんを待っている間にマッサージぐらいして貰おうかな?と・・・
マッサージを終わって戻ってきてみると、意外に髪の毛の方、時間がかかっているみたいです。彼女は髪を染めてストレートパーマもかけているので、髪が痛むのを恐れてトリートメントを定期的に入念にしているみたい・・・
トリートメントオイルを熱で浸透させたり、髪に潤いをプラスする為に特殊なトリートメント剤を使っているようです。
私は生まれてから今まで、髪を染めたこともパーマをかけたこともないせいか、(なんだか普通の人じゃないですよね?)、いつも美容院の人に褒められるほど髪だけはやたら丈夫なので、カットする時ぐらいしか美容院に行かないのですが・・・汗
エステティックサロンを出たら、もう結構暗くなっていたので、2人で数軒、食料品店を回って、エルバ島名産のオイルやワイン、お菓子などを購入します。
エルバ島のオイルは野性味が強いというか、とてもオリーブオイルらしい風味が豊かなので、いつも何本か、買いだめしてしまいます。
お菓子は赤ワインを使ったトルタが有名・・・
さて・・・男性軍は夕方遅くまで仕事をして、夕食に出る為にホテルに戻ってシャワーを浴びたり、休んだりしていたようですが・・・・・クルーザーの上でパニーノしか食べなかったみたいで、物凄いお腹を空かしている様子・・・
さすがに昼間白ワインを2人で一本空けたことは言えず、でも・・・私・・・さすがにいつもの調子で赤ワインはスイスイ飲めません(汗)
今夜はBOLGHERI の CAMPO AL MARE 2008 で美味しいワインなのですが・・・
とりあえず・・・乾杯・・・マックスさん、本当に今日は山猫に代わってお仕事してくれてお疲れ様でした。本当にどうもありがとうね。なんだかマックスさん、今日一日で日焼けしちゃって、顔が真っ赤になっている・・・汗・・・
プリモにはタティアーナさんがパッパルデッレを野うさぎのお肉のラグーで合えたものを・・・これ、野鳥獣肉の定番トスカーナ料理で、とても風味とコクがある野うさぎソースが嬉しい一品・・・
マックスさんもとてもお腹が空いているのか、ペコリーノ・ロマーノチーズとコショウの効いた、CACIO E PEPE のパスタを・・・
これ、大好きなパスタの一つなのですが、私は家でクリーミーに作るのが難しくって・・・
ロンちゃんはプリモを取らずにアンティパストにユデダコとジャガイモのマリネを・・・・タコは新鮮でとても柔らかく美味しく茹でてあるのですが、フレッシュなことが判る歯ざわりも残していました。
ここは、ポルト・フェッライオの港の中心にある結構メジャーなレストランなのですが、最近お店の内装をシックに改装して、さらに居心地いい雰囲気になりました。
島や海辺のレストランの中には魚専門店も多く、肉を置いていないところもあるのですが、ここは肉、魚両方とても美味しく頂けれるので、マックスさんたちのお気に入りの場所・・・
セコンドはロンちゃんがフレッシュなメルルーサを、野菜などとシンプルに蒸したものを注文・・・・・
私は・・・・・あまりお腹が空いていなかったので、アンティパストもプリモのパスしてコトレッタ・ミラネーゼを・・・昼にお魚を食べたので、どうしてもお肉を口にしたくて・・・
バターを使ってフライしてある、薄々の骨付きコトレッタです。
タティアーナさんもお魚をパスして、フィレ肉のゴルゴンゾーラ・ソース添え・・・
ちょっと味見させて貰いましたが、焼き加減も丁度レアレアで、とっても柔らかいお肉でした。
最後は当然ドルチェです。タティアーナさんの注文した、チーズケーキ、森のフルーツのソース添え
甘味が少なく、思ったより軽い一品・・・ホームメードのケーキってやっぱり美味しいですね。
私は、ラッテ・ポルトゲーゼ(クリーム・カラメル)・・・ドルチェというと、クリーム・カラメルのプレーンのものを必ずと言っていい程注文するのですが、ここのは沢山のナッツ類(ピスタッキオやマカデミアン、アーモンドなど)上下に混ぜ込んであって、一味捻ってあって美味しかったです。
こんなやり方もできるのかと・・・今度家で試してみたいです。
男性軍はいつものようにグラッパを注文・・・・夜が更けてきたので・・・・・・やっと12時頃レストランを後に・・・・・イタリア人って本当によくしゃべる上、食事に時間かけますね・・・・・・汗・・・
RISTORANTE STELLA MARINA
VIA VITTORIO EMANUELE 2,
PORTOFERRAIO(LIVORNO)
ISOLA D'ELBA
TEL +39-0565-915983
今回は長々とエルバ島での一日を綴ってしまいましたが、最後までお付き合いくださった皆さん、本当にありがとうございjました。
トスカーナの中では最大の島、エルバ島はフィリーで小一時間の距離にある、山あり海ありの美しい島ですので、皆さんに是非いつか訪ねて頂きたいです。
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余り物でスープと肉巻き揚げを
ようやく週末・・・日本でも春の訪れを告げるそよ風が吹き始めているのではないかと思いますが、フィレンツェでもなかなか天気のよい、暖かい日が続いています。
海洋関係の仕事をしているので、海のコンディションがいいと急に仕事が入るのですが、今回もそんな感じで週末にかけてエルバ島に急遽発つことになりました。そこで・・・先日お話ししたヴィア・マッジョの続きは来週に回すことにして、今回は週末冷蔵庫を空にする為にクイック料理をしたので、そのお話しをちょっと・・・
仕事で家を空けることは結構あるのですが、日帰りや1泊ぐらいだと気にならない冷蔵庫の中も、3,4日の小旅行の時はなるべく素材を使い切っていく習慣がある山猫です。
殆ど食材を買いだめしないので、使い切るといっても生鮮食料品の生野菜や肉、パン、チーズ、ハムなのですが、少しづつ余ってしまった物を一気に使うのも結構大変なもの・・・・
そこで私がいつもやるのが、野菜類をふんだんに使ったスープ、肉類でも野菜を組み合わせたり、手持ちのものでソースを作ったりして食材を消費するようにしています。
チェーチ(エジプト豆、ひよこ豆)はイタリアではポピュラーなお豆ですが、とても香ばしい独特の触感が大好きな食材の一つ・・・・・質の良い乾燥物を購入して、ある程度の量を一気に茹でて何日かで使い切るようにしているのですが・・・・・今回これが余っていて・・・・・
野菜はジャガイモ、ニンジン、ズッキーニ、玉ネギ、プレッツェーモロ・・・などが残っていたので、チェーチをベースに野菜スープを作ってみました。チェーチはバーミックスにかけてスムーズにしてもとろみがついて美味しいですが、今回はスプーンの背で荒く潰してチェーチの風味と触感を残します。
野菜類は5~7ミリの角切りに切り揃え、最初に玉ネギのみじん切りをよく炒めてから、後の野菜類と材料がかぶるぐらいの水を追加して野菜に火が通って柔らかくなるまで煮込みます。水は少なくなったら常時追加して・・・
最後の方で荒く潰したチェーチを追加し、塩・コショウして出来上がり・・・本来は肉の骨や鶏がらなどから作ったスープがあれば利用したいところですが、今回はクイックだし、手持ちのスープストックがなかったので省略・・・・・
コンソメなどの市販固形スープストックは添加物や塩分も意外と多いので基本的には使いませんが、野菜とチェーチだけのお出汁で十分に美味しいスープが出来ます。
今回はチェーチとお野菜だけでしたが、麦や穀類を足してもとろみが増して更に美味しく仕上がります。
出来が上がったら、お皿にスープを取り分け、お好みでエクストラ・バージン・オリーブオイルをクルリと回しかけ、最後にプレッツェーモロのみじん切りを上にパラリと・・・トーストした黒パンにバターを塗ってサーブします(これ、トーストにバターが結構決め手なので、是非試してみてくださいね)
チーズがお好きな方は、摩り下ろしたパルメザンチーズをかけるとコクが増すと思います。
豚の薄切り肉が少々、スペック、野菜、チーズがまだ残っているので、今度は肉巻きに挑戦・・・・・本当はシンプルな肉巻きをフライパンでソテーしようと思ったのですが、卵もあったので、肉巻上げに・・・・・
ニンジンとズッキーニはサッと茹で火を通し、スティック状に切っておきます。
豚肉の薄切りと余っていたスペックです。
スペックはちょっと生ハムのような感じですが、スモークしてあるので風味がかなり濃くて、味わい深い北イタリアを代表する生ハム・・・・・そのまま薄切りをアンティパストとして食べても、ちょっとした料理のアクセントに使っても本当に重宝する食材です。
豚肉はなるべく薄くなるように、包丁の背で叩いて延ばしました。スペックを肉の長さに切り揃えます。
塩・コショウはしません。スペックから十分に美味しい風味が肉に移るからです。
肉の上にスペックを乗せて、巻き始めの側にニンジン、ズッキーニを適宜置いて巻き巻きします。バジリコが少し余っていたので、一緒に巻き込んでみました。
フライパンでソテーする時は巻きが外れないように楊枝を打つのですが、今回はフライにするので楊枝を打ちません。クルクル巻いたお肉に薄く小麦粉をまぶします。
後は、糊の代わりをするとき卵にくぐらせて、パン粉をまぶします。
肉巻き揚げの用意ができました。後はサラダオイルを熱して夕食の直前に揚げるだけ・・・・・
サラダオイルは結構多めに使うと、カラリと揚がるので私は好きです。
イタリア料理は揚げ物も大体オリーブオイルを使うことが多いのですが、ちょっと重くなるので、特別の場合を除いてはサラダオイルを使ってしまいます。
まだ時間があったので、少し余っていたゴルゴンゾーラチーズを使って付け合せのソースを・・・・・ゴルゴンゾーラはフライパンで弱火にかけると簡単に溶けます。
もし最初のうち冷たくて溶けにくかったら、牛乳を少し加えて溶かしていくとやりやすいです。
最後に少しだけ生クリームを加えました。
ソースはゴルゴンゾーラチーズのものと、トリフの粒を生クリームで伸ばしたものを2種類用意しました。
肉巻上げの出来上がりです。
さっぱり召し上がりたい方は、揚げたてにレモンなどを絞れば、このまま食べても十分美味しいです。
野菜を中心に入れたので実質的に肉の量がそれ程なく、ちょっと重めのソースをプラスしてもクドクならずに割と美味しく頂けました。
揚げ物はちょっと・・・・と言う方は、肉巻きに小麦粉だけまぶしてフライパンでシンプルにソテーして、最後にワインなどでフランベさせたり、レモン汁で仕上げてもいいかと思います。
本日は週末のエルバ島へ発つ前の冷蔵庫の整理を兼ねて、余り物でスープと肉巻き揚げを作ってみました。最後までお付き合い下さって本当にありがとうございます。これで冷蔵庫を空にして掃除もしたし、サッパリした気分で旅立てます(笑)
週明けには戻ってきますが、申し分けありませんがペタなどができないと思いますのでご了承下さい。
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バカンスの相談夕食会
フィレンツェは暖かい春の兆しが漂うそよ風の吹く日が続いていますが、皆さんは如何お過ごしでしょうか?
前回のヴィア・マッジョの続きをアップしようと思ったのですが、その前に・・・・・
実はロンちゃんの仕事で3月の末にモロッコへ行く予定になっていて、その話しをするとマックスさんたちも是非旅程の一部分だけでも同行したいというので・・・・・
アフリカ・中近東を始めとするイスラム諸国は今大変な騒ぎになっていますが、モロッコはかろうじて今のところ難を逃れている様子なので、少しづつ旅行の計画を立てようということになりました。
マックスさんのお家は以前にブログで何度も紹介しているのですが、今回もおじゃましてしまいます。
本格的な夕食に入る前に、先ずはビールを飲みながら旅程や旅行の段取り、予約しなければならないエアー・チケットやホテルのことなどを話し合います。
ビールは普通そのまま飲むのですが、私とマックスさんの奥様はいつもビールを割って飲んでいるんです。
何で割るかと言うと・・・・・驚かないで下さいよ・・・・・レモン汁とタバスコ・・・・
聞いただけでビックリする組み合わせですが、結構これがいけるんです。レモン汁を絞って(結構豪快に)、タバスコはお好みで・・・ビールは最近気に入っているイタリアビール、モレッティのLA ROSSA・・・アルコール分の強い黒ビールっぽいビールです。
おつまみ代わりのアンティパストは・・・ペペロンチーノのツナ詰め、黒オリーブ、にんにくのオリーブオイル漬け、ポテトチップスなど・・・・ビールを飲み、おつまみを摘みながら、それぞれPCに向かってネットを開いてディスカッション開始!
エアー・チケットはイタリア~北アフリカ間は結構リーズナブルなものが出ているので、とりあえずネットで予約・・・
あとはマラケシュやフェズを中心に砂漠地方に点在するホテルの予約です。
マラケシュまで飛行機で飛んで、そこから砂漠を回ってフェスから発つ旅程を組んだので、最初と最後のホテルはモロッコ気分が存分味わえる豪華ホテルに、あとは私たちも仕事があるので、それぞれカップルは時として別行動ということに・・・・・
砂漠地方はツアーオペレーターなどの人に頼らず、4×4のジープを一台レンタルして回るとかなり楽なので、レンタカーの手配も考えなければ・・・汗
メインの仕事などそっちのけでマックスさんたちとバカンス気分になっている山猫とロンちゃんですが・・・こんなにいい加減でいいの~?
とりあえずマックスさんたちに大体の旅程の概要を掴んで貰って、一段落したので、お食事の方へ・・・・・
マックスさんの奥様は何も作らなくていいといったのに、オリジナルのラザーニャをこしらえてくれました。
このラザーニャはサルサ・ジェノヴェーゼとベシャメルソースを合わせて、ラザーニャ用パスタの間に引き込んだだけのクイックレシピ・・・・上に乗っているのはピノーリ(松の実)です。
シンプルなレシピですが、とてもクリーミーでデリケートなお味なんですよ。思ったほどクドくありません。
サルサ・ジェノヴェーゼのバジリコの香りがフワッと漂い、本当に食が進む一品・・・・・ジェノベーゼ・ソースとベシャメル・ソースがあるとあっという間にできるので、不意のお客様へのもてなしに重宝するレシピです。
ワインは・・・・・山猫が日本に行っている間にロンちゃんは何度かマックスさんのお家にお邪魔しているのですが、私がイタリアに戻ってくるまで開けるのを待っていてくれたARGENTIERA BOLGHERI SUPERIORE 2007・・・
タンニンが程よく利いている中にエレガントな深い芳香を放つ、本当に美味しいワインの一つです。
とってもお肉に合うワイン・・・
ところでセコンドは・・・・・というと・・・・キアニーナ牛のフィレ肉なんですね。牛肉の中ではキアニーナ、ピエモンテーゼはポピュラーな中でも美味しいお肉として有名ですが、フィレ肉は肉質も柔らかく、美味しく頂けるんです。
マックスさんの奥様は脂身のないフィレ肉の味の単調さを緩和する為に、肉の周囲にベーコンを一枚薄く巻いています。
さて、用意も整い・・・・・グリル用の鉄板に油を薄くしいて、煙がモワッと立ち上るまで、強火で鉄板を熱し続けます。
マックスさんのお家にはマキ用の暖炉があるので、そこで炭火焼にしようか、もしくはお庭でバーベキューにしようか?と言っていたのですが、後始末が大変だし、あまり寒くなかったので・・・・今回はキッチンで手早く・・・
まずは常温に戻したお肉を並べて表裏をサッと焼き付けます。
あとはプレス用の鉄の重しを乗せて・・・・・焼き上げます。
出来上がり~・・・・・ポテトのグリルのコントルノを添えて・・・・・一人350グラム(山猫のだけ250グラムにしてもらったんですが・・・)の結構大きなフィレ肉は、かなり食べ応えがあって・・・・・・汗
でもワインと本当に相性が良くて、食がドンドン進んでしまいました。これ、ダイエットの大敵ですね。
中は程よくミディアム・レアに焼かれていて、本当に柔らか~いお肉・・・・味のアクセントにバルサミコ酢をちょっとだけかけてみました。
お腹が本当に膨れたので、食後酒の助けをかりて、一休み・・・・・・
私はあまり食後酒を沢山揃える習慣がないのですが、マックスさんはお酒が大好きなので、いつもカウンターの上にズラリとリキュールやウイスキー類が豊富に並んでいます。
最後は・・・・・山猫たちが持ってきたドルチェを・・・・・デザートに・・・
今日はロンちゃんのお好みで、メリンガを・・・・焼きメレンゲの間に生クリームのフィリングを入れたとてもシンプルなお菓子ですが、イタリアでは昔からあるなかなか根強い人気のドルチェ・・・・
もうお腹がはち切れそうになったので、ソファーにグッタリ倒れこみ、モロッコが題材の映画を皆で観ながら遅くまでおしゃべりに花が咲きました。
今回はモロッコ旅行の計画を立てるためにマックスさんのお宅にお邪魔して、夕食をご馳走になりました。最後までお付き合い下さってどうもありがとうございます。
アフリカの混乱の動向が一日ごとに変わり、仕事の旅行もどうなるか解りませんが、是非行きたいモロッコです。
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