小学生のとき、2ヶ月に1回くらいだったか、

映画鑑賞の特別授業があった。

 

古びた木造校舎ばかりの学校で、

体育館などという新時代の施設はなく、

その代わりに広い講堂があって、

1学年400人の生徒全員が集められ、

皆、体育坐りをして映画を観た。

 

授業なので、原爆にまつわる映画や、

教育的色彩の強い映画ばかりだった。

娯楽的なものはなかったと思う。

 

その授業で、たまに映画館に足を運び、

上映中の新作映画を観ることもあった。

学校から歩いて10分で行ける範囲に、

2つ映画館があって、どちらかで観た。

 

その頃はもう、映画からテレビに時代は移っていたが、

人口3万いくらの町に、まだ4つも映画館があった。

いずれも映画全盛時代の遺物という印象で、

子供たちが吸い寄せられるような雰囲気はなかった。

しかしそれにしても、4つもなんて、

当時の映画人気のすごさがよくわかる。

 

映画館で観た映画を、1つだけ覚えている。

『キューポラのある街』。

いま調べてみると62年公開とあるから、

自分が5年生のときになる。

 

授業で観た映画を、すべて忘れてしまっているのに、

断片的ではあれ、その映画だけ記憶にあるのは、

公開時17歳、撮影時点では16歳だった小百合さんの、

溌剌とした姿が印象的だったからだろうか。

 

小学生のときに、授業以外で映画を観たのは、

『鉄腕投手 稲尾物語』(59年)

『モスラ』(61年)

の2つだけ。

この2つの映画も覚えているシーンがあり、

ともに楽しい映画だったという記憶がある。

 

しかし、楽しさはつねにその場かぎり、

自分が映画の魅力に取り憑かれるのは、

はるか後年になってからだった。

 

映画に限らず、魅力的なものはそこらじゅうにある。

しかし、心が眠っていると、何も気づかない。

映画、音楽、美術、文学…

自分の場合、芸術の魅力に気づかせてくれたのは、

中学の早熟なクラスメイトである。

彼らのおかげで、徐々に心が目覚めていった。

 

持つべきものは友である。

そのことに関しては、間違いなくそうだった。