また若い人がみずから世を去った。
こないだのプロレスラーもこのたびの俳優も、
名前も顔もまったく知らなかったが、
何はさておき、究極の精神状態に追い込まれたことは傷ましい。
しかし、2人の最後の決断は尊重すべきだ。
2人はその時点で、最良と思える選択をしたのだから。
実際、間違った決断とはとても思えない。
いまの世の中を眺めていると、
夢を持て! 希望を持て!
なんて、悪い冗談というほかない。
若い人が命を断つと、
ドストエフスキーのこの言葉を思い出す。
〈いったい、誰が40年以上も生きているか? (中略)
阿呆とやくざが生きているのさ。〉
(『地下生活者の手記』角川文庫/中村融訳)
この文章の前には、こうも書かれている。
〈40年以上も生きのびるなどは無作法・下劣・不道徳の沙汰だ!〉
この本の初読は23歳のとき。
内容のすべてを受け入れて今日まで来ている。
40をはるかに超えて生きのびている自分は、
もちろん阿呆かやくざだ。
その認識はつねに強烈にある。
もちろん40以前もだけど。
ドストエフスキーは42歳でこの本を書き、
59歳まで生きのびた。
彼も同類? そうかも知れない。
2浪のとき、おなじ予備校の仲間に、
ドストエフスキーをよく読んでいる、おない年の男がいた。
聡明で、もの知りで、ユーモアがあって、
話していて楽しい人だった。
入試前に2人きりになったとき、
わしゃァ、もうダメじゃ、
と彼が真面目につぶやいた。
彼はデッサンが上手ではなかったので、
入試が近づいたがゆえの、ありきたりな悩みだと思って、
かるく受け流した。
その後、彼と話す機会はなく、
彼は大阪の大学に受かり、
上京した自分とは、離ればなれになった。
その情報をどこから入手したか覚えていない。
新聞記事は読んだ記憶がある。
いずれにせよ入学して半年もたたないうちに、
彼は長野の山で心中した。
相手は広島では有名な、本通商店街の或る名店の娘さんだった。
そのころ自分は、ドストエフスキーは、
まだ何も読んでなかったが、
いろいろな思いが湧き上がったのち、
やはり彼は最良の選択をしたのだ、そして灰になった、
という結論に至った。
いまも、彼のことは時おり思い出す。
髪を肩まで伸ばし、ベルボトムのジーンズを履いた、
彼の素敵な微笑みが、懐かしくてたまらない。