江戸時代はリサイクル社会。髪の毛も回収されて「つけ毛」として販売されていました! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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髪の毛を回収するのは女性の仕事。「おちゃない」と呼ばれていました!

 

こんにちは、山村です!

 

しばらく更新をお休みしていましたが、

そろそろ元のペースに戻すつもりです!

 

久々の今回は、江戸時代の髪のリサイクルについて。

 

ここ数年「サステナブルな社会の実現」を目指して、

さまざまな取り組みが行われています。

私たちが日常的にできるものでは節電や節水。

モノのリサイクルやリユースなどもそのひとつ。

 

でも、歴史的にみれば、

資源が限られていた江戸時代も、

いってみれば循環型のサステナブル社会でした。

 

着物を例にとると、庶民は、

古着屋に売られた着物を手頃な値段で買い、

体型に合わせて仕立て直しはあたりまえ。

穴が開くと継ぎを当てて使い、

古くなるとふとんの生地や雑巾にするなど、

最後の最後まで使い切っていたのです。

 

そうしたリサイクルの中には、

髪の毛も含まれていました。

 

というのも、女性が結った日本髪は、

特に江戸時代後期になると、大きくなりました。

 

地毛の量には限りがあるので、

女性たちは髪をおぎなうためかもじと呼ばれる

つけ毛を使うことがありました。

今でいうエクステですね。

 

下の女性が手に持っているつけ毛は、

かんざしとかもじがセットになっています。

現在よくある留め具付きのつけ毛のルーツです。

 

「江戸名所百人美女 大音寺まへ」 安政5年(1858) 国立国会図書館所蔵

 

このかもじには、

髷(まげ)の部分の髪を増やすタイプ、

両サイド用、髷の下のたぼ用、前髪用など、

用途に合わせてさまざまな種類があり、

それぞれで名前も違っていました。

 

下の図版は安永8年(1779)に、

当時のファッションの中心地、

京都で出版された『当世かもじ雛形』。

 

江戸時代中頃に流行したヘアスタイル26種を

紹介したカタログです。

かもじなど当時のつけ毛が14種載っていますビックリマーク

 

『当世かもじ雛形』 安永8年(1779) 国立国会図書館所蔵

 

それでは、こうしたかもじの材料である髪の毛は、

どうやって調達したのかはてなマーク

 

実は、江戸時代には、

市中から、抜け落ちた髪の毛を回収する

「落ち買い(おちゃない)」とよばれる

職業の女性がいたのです。

髪の毛の「落ちは無いか」と呼び歩いたので、

「おちゃない」と呼ばれるようになったとか。

 

『百人女郎品定』 (享保8年〈1723〉)という本には、

髪を入れる風呂敷のような袋を頭に載せて

町を歩く、「おちゃない」が描かれていますビックリマーク

 

下の図版の左の女性が「おちゃない」です。

 

国立国会図書館所蔵

 

このほか、女髪結いの弟子も髪を集めて売ったとか、

髪を切って売る女性もいたといわれています。

 

集めた髪は職人が加工して、できあがった商品は、

化粧品などを売る小間物店や

「髢売り(かもじうり)」などが販売していました。

 

循環型社会の中では、

髪の毛でさえ有効利用していたのです!!

 

ただ、人毛の一番の入手先は、

死体を取り扱う寺院がメインだった

とも言われています。

 

確かに、大量に長い髪を確保するには、

それが一番だと思いますが、

吹聴することではないので、

その部分は表には出てきていないようです。

 

私もそれについて書かれた原典の資料は、

残念ながら目にしたことがありません。

資料がみつかれば、ご報告したいと思っています。

 

次回は11月23日頃更新予定。