江戸の絵双六 ➁ 「美艶仙女香」「江戸の水」など江戸ブランドのコスメが登場! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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自分の本に広告を載せるなど、広告上手で知られた化粧品店が3軒載っています!!

 

こんにちは、山村です!

今回は、前回同様、江戸時代の双六から

化粧品店をピックアップしました。

 

 

今回紹介する双六は、天保7年(1836)頃の

「狂詠江戸のはな」(東京都立図書館所蔵)ビックリマーク

 

前回と同じで、双六の形をとった広告です。

 

 

一番下にある振り出しの位置には日本橋。

中央の上りは吉原の桜ビックリマーク

 

とりあげられた名所や有名店の数は

マス目の数の41か所!!

 

その中に、化粧品のブランドが3つあります。

 

江戸後期には、

京都の化粧品の出店が東京でも人気でしたが、

今回の3つは、いずれも、

広告上手で知られた江戸の店音譜

 

まずは、江戸を代表する白粉ブランド

「美艶仙女香(びえんせんじょこう)」。

このブログで何度も紹介しています。

 

 

京橋(現在の東京都中央区京橋)の坂本氏は、

浮世絵や小説、落語、歌舞伎などに、

化粧品名を登場させる

メディアミックス型の広告を展開ビックリマーク

 

双六にも広告を載せていたのですね。

 

「仙女香」「美玄香」が紹介されていて、

どちらも和紙の包みに入っています。

 

「美玄香」は、白髪染めの薬。

当時の本の広告によると、

白粉の「美艶仙女香」と同じ値段の

「一包み四十八銅(=48文)」

で販売されていました。

 

油煙や木炭の粉?などの黒い粉末を、

自前の鬢付油などに混ぜて髪につけていたのでしょうかはてなマーク

どんな商品だったのかは、謎が残ります。

 

「中ばしのおまんが紅も

京橋のおせん女香のつやにおよばじ」

と狂歌が添えられていますが、

中橋の「おまんが紅」とは、

享保(1716-36)の頃、京橋中橋にあった

お満稲荷で売っていた紅。

 

おまんが紅より仙女香の艶の方が上だ

という内容ですが、その裏には、

紅売りおまんを演じた美貌の歌舞伎役者

佐野川市松よりも、仙女香の名の由来となった

名女形瀬川菊之丞の方が上だという意味が

込められているように思います。

 

次に紹介するのは、

化粧下地にもなる化粧水「江戸の水」。

江戸のスキンケア商品の代表格です。

 

『浮世風呂』『浮世床』などの作者、

式亭三馬が副業として出していた店の

看板商品でした。

前回の双六にも江戸の水は載っています。

 

 

最後は、式亭三馬と同じく有名な戯作者、

山東京伝の白粉。

 

 

店は現在の銀座一丁目にありました。

作家業の副業として、

はじめて店を出したのが寛政5年(1793)。

 

最初は紙製煙草入れだけの店でしたが、

次第に取扱品目が増え、化粧品も販売するように。

 

ベストセラー作家であり、

画家(作品は北尾政寅名義)でもあった京伝は、

式亭三馬同様、自分が書いた

小説やチラシの中で商品を宣伝したのでしたビックリマーク

 

双六では「御薬おしろい 白牡丹」「水晶粉」

の看板が出ています。

 

「水晶粉」は京伝の弟、京山が製造した薬。

本の広告では、キメを細かくしツヤを出し、

色を白くするだけでなく、ひび、しもやけなどにも

効果があるとPRされた商品でした。

 

この双六、化粧品以外にも

いろんな店がありますので、

次回は少し横道にそれますが、

他の店も紹介したいと思っています。

 

次回は11月19日頃更新予定。