江戸時代の絵双六(えすごろく)。化粧品や長命寺の桜餅、山本山のお茶などが紹介されています! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆江戸の名物として紹介されたコスメは口紅の「玉屋」、化粧水の「江戸の水」でした!

 

こんにちは、山村です!

 

これまでにも何度か、

江戸時代の化粧品広告について

書いてきましたが、

今回は、絵双六(すごろく)の化粧品広告

をとりあげました。

 

絵双六は、サイコロを振り、

出た目の指示に従って駒を進めて

上がりをめざすボードゲームビックリマーク

 

運試しの要素もあることから、

昔から正月の遊びのひとつとして、

楽しまれてきました。

 

下の写真は国立国会図書館所蔵の

「新板大江戸名物双六」 嘉永5年(1852)

 

 

双六という題名がついていて、

一番下の振り出しは日本橋の魚市。

上がりは江戸城大奥です。

 

しかし、よく見るとそれぞれのマスに、

駒を進めるのに必要な一から六の数字が

書いてありません。

 

つまりこの版画は、双六の形式をとって、

江戸の名物や人気店を紹介する広告なのです。

 

江戸市中の名所や名品、食べ物屋などが

紹介されている中に、

美容に関わる店が3軒ありました。

 

まずは、化粧水の有名ブランド「江戸の水」ビックリマーク

容器はガラス製で箱入りです。

 

 

発売元は、『浮世風呂』や『浮世床』などの作者、

式亭三馬(しきていさんば)の化粧品店。

 

店は、本町二丁目(現在の東京都中央区

日本橋本石町)にありました。

 

三馬は商売上手で、商品PRのために、

自分が書く本の登場人物に

商品の良さを語らせて江戸の水を宣伝!!

 

「おしろいのよくのる薬」と銘打って、

チラシを配るなどのPRも功を奏して、

江戸の水は、あっという間に大評判になったのでした。

 

次に紹介するのは玉屋の紅。

内側に紅が塗られた紅猪口(べにちょこ)と、

匂い袋はてなマークが描かれています。

 

 

紅白粉問屋の玉屋は、京都が本店。

江戸の出店は、式亭三馬の店と同じ

本町二丁目にありました。

 

京都はファッションにおいても、

西陣織など高級ブランドの生産地。

 

江戸に暮らす女性にとって、京都の化粧品は

特別なブランド品に映ったのでしょう。

 

最後の3軒目は「たぼさし」の「よし屋」。

 

女性が手にしているのがたぼさし

たぼさしとは、日本髪の髷の下の「たぼ」の

部分にさし入れて、髪をふくらませるヘア用品ビックリマーク

 

 

伽羅の油(髪油)や白粉、紅などを売っていた

よしや留右衛門の店の商品と思われます。

 

店の場所は芳町。現在の日本橋人形町で、

かつては花街があった場所です。

 

芸妓が多いという場所柄、

化粧品だけでなく、髪に関わる品々にも

いいものがそろっていたのでしょうね。

 

ここに載っている3軒の美容関連のお店は、

どれも現在はありません。

 

実は、江戸時代から続いている化粧品店は、

ヘア関連に定評がある柳屋と、

キスミーやヒロインメイクなどで知られた

伊勢半ぐらい!! 

 

化粧品店に限っては、

江戸時代から続いている店は少ないのです。

 

明治時代に進められた近代化政策により、

化粧も徐々に洋風化していくのですが、

それに対応していくのは、大変だったのでしょう。

 

しかし、食べ物関連では、

現在まで続いている店が、

この双六にも登場していますビックリマーク

 

そのひとつがお茶の山本山。

 

江戸時代は諸国茶問屋で、

初代の名前は山本屋加兵衛。

山本山のお茶と海苔は、

今もお歳暮やお中元でも贈られるブランド品です。

 

そして、下の隅田川桜もちは、

隅田川の近くの墨田区向島にある

長命寺の桜餅ラブラブ

 

享保二年(1717年)から続いている名店です。

 

 

竹の籠(かご)入りは、現在もあります。

 

化粧の話題から離れてしまいましたが、

この桜餅はおススメ、私も大好きですドキドキ

 

皆さんも、機会があれば、

ぜひ召し上がってみてくださいビックリマーク

 

 

次回は11月6日頃更新予定。