戦時下の化粧 敵性語のパーマネントは「淑髪」や「電髪」に! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆銃後の女性にふさわしい髪型を美容業者が自ら提案しています!

 

こんにちは、山村です!

 

前回とりあげたパーマネントウェーブを、

今回は、美容業者の視点から見ていきますビックリマーク

 

電気で髪を縮れさせる

パーマネントウェーブには、

都市で流行し始めた1935年(昭和10)頃から、

「外国かぶれ」「頭が雀の巣」

などの批判がありました爆  笑

 

そのパーマネントの

排斥運動が激しくなったのは、

国民精神総動員委員会が、

「婦女子のパーマネント、華美な化粧の廃止」

を決定した1939年頃からビックリマーク

 

どんなことがあったのかは、

前回をご参照ください。

 

 

さて、外来語の「パーマネント」は、

敵性語でもあるわけで、

この決定に前後して、

東京と大阪の美容業者の団体は、

「パーマネント」の自主規制を打ち出しました。

 

パーマが禁止されないよう、

先手を打って、

自主規制で乗り切ろうとしたのです!!

 

まずは1939年6月、

東京市内の約800の美容業者が、

大日本電髪美容連盟を結成。

 

東京ではパーマネントを「電髪」に言い換え、

女学生のパーマネントを断るなどの、

自粛プランを申し合わせました。

 

同じ年の7月には、大阪の約400の業者が、

大阪淑髪美容協会を設立ビックリマーク

パーマネントを淑髪と呼び、

雀の巣のように派手な形にはしない方針を

打ち出します。

 

大阪淑髪美容協会は、同じ年の9月に、

国民精神総動員委員会の審査をうけた淑髪

を発表しました。

 

いわば、圧力団体のお墨付きの

ヘアスタイルですニコニコ

 

下の写真は、

1939年10月4日発売の「アサヒグラフ」。

提案された淑髪は11種で、

そのうち8種が載っています。

 

 

淑髪については、

以下のような説明がついています。

 

「今までのパーマネント組が、

この非常時を認識して、

自シュクの心持ちを表し、

日本女性らしく、

貞シュクに髪を縮らせたのが淑髪」。

 

あくまで地味にするだけで、

東西の美容業者がともに、

パーマをやめる気は、さらさらなかった

のがよくわかりますね爆  笑

 

ネーミングに関して言えば、

東京の「電髪」は、電気を使うという

機能を重視した言い換えですが、

大阪の「淑髪」は、貞淑の淑の字をとって、

淑(しと)やかなウェーブをイメージした言葉。

 

化粧やファッションは、

江戸時代から、江戸は粋を重視、

大阪は派手な気風で、

その美意識は現代まで続いています。

 

こんな言葉選びにも、東京と大阪の

美意識の違いが表れているようで、

個人的には、面白いと感じた次第ですラブラブ

 

次回は9月10日頃更新予定。