◆「パーマネントはやめましょう」という歌もありました!
こんにちは、山村です!
6月に、私も参加している、
化粧文化研究者ネットワークが主催した
読書会に参加しました。
テーマにした本は、
『非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ』
私たちは、戦時下の女性はパーマネント禁止で、
モンペ着用だったと思いがちですが、
戦況が悪化した1938~9年(昭和18、9)頃でも、
電気ではなく炭火を使ってパーマをかけたり、
モンペでなく洋服を手作りするなど、
オシャレをしていた女性が
けっこういたという内容です
「非国民と言われようともオシャレがしたい」
という女性たちの熱い思いが、
伝わってくる一冊でした
東京だけでなく、
地方のエピソードも丹念に調べられていて、
私もとても勉強になりました
戦時統制下のおしゃれに興味のある方、
おススメの本ですよ
実は戦時下の化粧も傾向は同じで、
日中戦争に突入した
1937~1942年(昭和12~17)頃までは、
化粧品の生産量は概ね、
数量ベースで増えています
化粧は女性にとっての身だしなみと考えられ、
派手な化粧こそNGですが、
化粧水やクリーム、石鹸などの
スキンケア製品や白粉などは使われていて、
生産もされていました
ただ、化粧品は工業生産品。
原料となる物資が政府の統制下にあり、
さすがに1943、4年ともなると、
生産量が減っています
その点、美容院は個人経営が多く、
電気の使用はできなくても、
顧客に炭を持ってきてもらい、
それを使って代替パーマをかけるという連携が、
終戦近くまで、うまく機能していたようです
パーマネントウェーブが大々的に
バッシングされはじめたのは、
1939~40年(昭和14~15)頃でした。
主導したのは、国民精神総動員委員会。
法的な強制力はなかったのですが、
朝日新聞をはじめとするマスメディアも、
追随して一斉にパーマヘアを非難しました
下の写真は、
「アサヒグラフ」の1939年7月12日号
「電髪葬送曲」というキャッチフレーズに、
わざわざ「パーマネントよ、さようなら」
とルビが振られています。
しっかり美容院の広告が載っているんです
この時期、
「パーマネントはやめましょう」
という歌が歌われていました。
歌詞はいくつかパターンがあるようですが、
そのうちのひとつが下の通り
「パーマネントに火がついて
見る見るうちに大やけど
禿げた頭に毛が三本
ああ恥ずかしや 恥ずかしや
パーマネントは止めましょう」
この歌について、当時東京在住、
現在90歳になった男性に聞いたところ、
まさに昭和14、5年、
当時の国民学校4、5年の時に、
友達と一緒に、パーマの女性を見かけると、
その前でこの歌を歌ったそうです
歌詞の内容を確認してもらうと、
1、3、5行目はこの歌詞でしたが、
2、4行は覚えていないという話でした。
誰が考えたのか、
子どもを使ってパーマの女性を非難する、
あざといやり方です。
戦局が悪化する前から
オシャレを許さないなどと、
精神論を振りかざす時点で、
あの戦争は負けが決まっていた気がします
戦後76年経って、今はコロナ禍。
別の意味で非常事態を迎えています
果たしてマスメディアは、変わったのでしょうか
SNSなどを含め、あふれる情報の中から、
何が正しいのか、何が自分に必要なのかを、
冷静に見極める目を、
現在の私たちは持ちたいものです
次回は8月28日頃更新予定。