昭和初期の働く女性 ② 現代のネイリスト、マニキュアガール | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆働く場所は美容院や理髪店。でも、休みは月に1日だけのハードな仕事でした。

 

こんにちは、山村です。


今回は、昭和初期の働く女性のなかから、

マニキュアガールとりあげます。


昭和6年の『東京朝日新聞』に、

マニキュア(美爪術)を施術する女性が

紹介されています。

 

美容室や理髪店で、

お客さまに「マニキュア(手の爪のお化粧)」

をほどこすのが仕事。

 

下の写真は、その仕事風景です。

 

『東京朝日新聞』 7月2日より

 

今でいうならネイリストですが、

この記事には、当時、

この職業を何と言ったかは書かれていません。


「マニキュアガール」という言葉は、

昭和7年の『都新聞』に出てきます。


なんでも、昭和6年頃から東京市内の

高級理髪店で美爪術をするようになり、

7年には市の内外に、

300名近くのマニキュアガールが働いていたそうです。

 

ちょっとしたブームになっていたようですねドキドキ

 

○○ガールというと、

バスガールやデパートの昇降機ガール

(エレベーターガール)などがありますが、

ガールがつくだけで、

なんだか時代の先端をいく、モダンな感じがしますラブラブ

 

昭和6年の『東京朝日新聞』から、

マニキュアのプロセスを要約しましょう。

 

① やすりをかけて爪の形を整えててから、石鹸湯にひたす。
② オレンジスティックや紙やすりを使い、爪の間の汚れや甘皮などの処理をする。
③ 再度ぬるま湯で爪を洗って、クリームをつけ、爪紅をさし、

 爪ブラシをかけて粉のポリッシュで磨く。

 

こうすると、美しい桜貝のような爪になる

というのです。
つまり、この記事では、

ネイルエナメルはまだ使ってはいません。

 

国内のメーカーでは、

資生堂が昭和7年に、

ネイルエナメルを発売しています。

 

最初は「ばら色」と「無色」の2色でした。

「ばら色」がどんな色だったのかは、

残念ながらわからないそうです。

 

翌年、昭和8年の『読売新聞』では、

美容家のメイ牛山さんが、

ペディキュア(足爪の美爪術)を紹介しています。

 

そこには「赤いエナメルをつけてもいい」

と書かれているので、

舶来品の赤いネイルエナメルは、

すでに日本に入っていたのでしょう。

 

マニキュアガールの仕事の話に戻りますが、

仕事は楽ではなかったようです。


6年の『東京朝日新聞』の記者が聞いた、

マニキュアの施術者の休みは、月にわずか1回。

それなのに収入は、ひと月25円程度。


休みが少ない割に、

当時の女工より給料は低かったのです。

 

マニキュアの流行そのものについては、

またの機会に詳しく取り上げるつもりです。

 

次回は12月28日更新予定。