昭和初期の働く女性 ① 美容師は、昔から女性が自活できる仕事でした! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆昭和初期の美容師は、4か月で一人前に!

 

こんにちは、山村です!

 

前回まで、

昭和初期の令嬢についてとりあげましたが、

今回からは、

同じ昭和初期の働く女性の仕事について、

ご紹介しましょう。

 

昭和初期に、女性が働く動機はさまざま。
嫁入り前の数年働いて、

結婚の際に持参する着物を増やすのが

目的のお嬢さまもいれば、

生計の補助、生活そのものを支えるために

働く女性もいました。

 

そんななかでも美容師は、

その前身の江戸時代の女髪結いの頃から、

女性が自活できる仕事でした。

 

下の写真は、美容家の山野千枝子さん。

(昭和3年の『婦人画報』4月号より)

 

 

山野千枝子さんは、明治28年(1895)生まれ。

結婚後の大正7年(1918)に、

夫の仕事で、ニューヨークに赴任。

美容学校で技術を学び、11年に帰国。

 

12年3月に、東京駅前の丸の内ビルヂング

(通称丸ビル)に、「丸ノ内美容院」

開店しています。

 

丸ビルは、大正12年2月、

関東大震災の前に建てられた

8階建てのビル。

 

9月の震災後に補修をして、

大正15年から再利用された、

昭和モダンのシンボルでした。

 

オフィスビルにショッピングモールが入った

最初のビルでもありました。

 

山野千枝さんといえば、

パーマネント・ウェーブやコールド・パーマ

などの技術を広めた、

美容業界のパイオニアのひとりです。

 

本人も、女性誌のグラビアを飾り、

美容記事にも、名前がよく出る有名人でした。


丸の内美容院では、美容師の養成もしていました。

 

昭和6年の『東京朝日新聞』の記事によると、

美容師の養成について、

「ガルボ、キャロル、ピックフォード、シャラー等々、

映画女優のブロマイドが壁一面に張った下に、

磨き上った鏡がズッと並んで、

その前で二十前後の娘さんが、

髪コテを振り回したり、

マニキュアスティックをいじっている」とあります。

 

当時の美容師が、

ハリウッド女優の化粧やヘアスタイルを参考に、

勉強していた様子がうかがえます。

 

山野千枝子さんのところでは、

本科に入ると4か月、

速成科なら2か月の修行で、

ひととおりの技術を習得できたようです。

 

現在の美容専門学校は、

基本的に2年制なので、

それと比べると、ずいぶん短いですよね。


その間に、結髪法から美髪、美顔、化粧、

美爪、生理衛生、営業法規、消毒法に

化粧品の講義、修身、作法などを習ったとのこと。

 

ちなみに、授業料は本科が月30円。

速成科は50円ビックリマーク

 

タイピストの月給が、月に30円位だったので、

技術を習得して独り立ちすると思えば、

それほど高くはないと思います。

 

1997年に、NHKの連続テレビ小説

「あぐり」のモデルになった、良行あぐりさんも、

山野千枝子さんの内弟子になって、

教えをうけました。

 

山野千枝子さんには、生徒たちに対して、

たとえ夫が亡くなっても、

手に職をつけてやっていける女性でいてほしい、

という思いがあったそうです。

 

アメリカ帰りだけあって、当時としては、

先進的な考え方の方だったことがわかります。

 

次回は、昭和初期のマニキュアガールについて

 

12月21日更新予定。