季節の花と化粧 秋編 菊の被綿(きせわた) | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆平安時代のアンチエイジング、菊の被綿(きせわた)

 

こんにちは、山村です。

 

「いつまでも、若くきれいでいたい」

と願うのは、多くの女性たちの心の声!

 

高齢化社会を迎えた今の日本で、

そんな女性たちをとりこにしている

魔法の呪文が

「アンチエイジング」ですビックリマーク

 

でも、若さを保ちたいと願うのは、

何も現代女性に限ったことではありません。

今回は、平安時代の、

菊にまつわるアンチエイジングの

エピソードをご紹介しましょう。

 

今を去ること約1000年前。

平安時代にも、

不老長寿を願う宮中行事がありました。

 

それは、旧暦の9月9日

(現代の暦だと10月中旬)に

おこなわれていた、

重陽の節句(ちょうようのせっく)です。

 

重陽の節句は、中国から伝わった風習です。
この日、宮中では菊の花を愛で、

菊の花を刻んで入れたお酒を飲み、歌を詠む

「菊花の宴(きっかのえん)」が催されました。

 

さすがに貴族の生活は優雅ですね。


菊は、古代中国で、

邪気を払い長寿をもたらすといわれた花ビックリマーク

菊が日本に伝来したのは、平安時代前期頃。

宮中でも栽培され、珍重されていたのです。


節句の前日9月8日の夕方、

菊の花を真綿でおおって夜露にさらします。

翌朝、湿って菊の香りが移った真綿を

顔にあてて、若さを保とうとする行事が

「菊の被綿(きせわた)」でした。

 

江戸時代になってからは、

染めた綿が使われるようになり、

白菊には黄色、赤色の菊には白、黄色の菊には

赤い真綿でおおうようになりました。

 

写真は、東京・杉並区にある大宮八幡宮

再現された「菊の被綿」です。

 

 

 

写真を撮りに行ったのが、

秋の大祭の前だったので、

大宮八幡宮には、

たくさんんのお祭りののぼりが、

風にひるがえっていました。

 

敷地が広く、緑が多くて、

とても落ち着く神社です。

 

 

この「菊の被綿」について、

『源氏物語』の作者紫式部が、

微妙なエピソードを日記に書いています。

要約するとこんな感じ。


9日に、藤原道長の正妻から

菊の真綿を託された女官が

紫式部のもとにやって来て、

「これで念入りに老いをぬぐい捨てなさい」

と伝言を伝えます。

 

紫式部は、

私は少し若返るぐらいでいいですから、

持ち主のあなたに千年の寿命はお譲りしましょう

と返礼しようと思ったところ、

正妻はもういなくなっていたので、

そのままにしたというのです。

 

道長の正妻、源倫子は当時45歳。

紫式部より年上でした。

 

年上の倫子が年下の紫式部に、

「老いを念入りにぬぐえ」と菊の真綿を贈るのはなぜはてなマーク

という疑問がわきます。


実は、紫式部は道長のお手付きの女房だった

という説があります。

 

もしそうなら、このやりとりは、

「正妻対愛人」の女のバトルです。

そして、渡せなかった紫式部の返事も、

かなりしたたかだったといえるでしょう。


もちろん、単純な好意から、

真綿を女官に持たせたという見方もありますが…。

 

「菊の被綿」は、現代人からすると、

アンチエイジングのおまじないに過ぎません。

 

でも、占いやまじないが

毎日の生活の一部だった平安時代、

貴族たちは、「菊の被綿」の

アンチエイジング効果を、

本気で信じていたのだと思うのです。

 

それは、アンチエイジングをうたった

サプリメントなどに期待する、

現代の私たち以上だったのではないでしょうか。

 

次回は現代のアンチエイジングについて。

 

9月22日更新予定。