明治時代の女性の仕事 ② 朝から晩まで働き通し。現代の家事代行、下女の仕事は重労働! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆水汲み、炊事、掃除、洗濯と、ひたすらハードな毎日でした!

 

こんにちは、山村です!


今回は前回の続きで、女中について。

 

中流以上の家庭に住み込んで、

掃除、洗濯、炊事などの下働きをするのは

下(しも)女中。

当時は下女(げじょ)と呼ばれていました。

 

貧富の差が

現代よりはるかに大きかった明治時代。
貧しくて兄弟姉妹が多い家の女の子は、

口減らしのため子守りや下女などの

奉公に出されます。

 

たとえばNHKの朝ドラ『おしん』。

昭和58年(1983)に放映されて、

今では考えられない

平均視聴率50%超えをたたき出した番組ですキラキラ

 

明治から昭和時代を生き抜いた

女性の一代記ですが、

主人公おしんも、明治34年(1901)、

数えの7歳の時に、わずか米1俵と引き換えに、

材木問屋に子守り奉公に出たという設定でした。

当時はそういう女の子がたくさんいたのです。

 

奥さまお嬢さまのお相手をする小間使いに、

ある程度教養があって、

ちょっと見た目のよい良家の娘が

好まれたのに対して、

炊事など台所まわりの仕事をする下女は

ひたすら体力勝負筋肉

 

身体が丈夫であることが第一条件でした。

 

下の写真2点は明治36年刊の

『下女読本』のイラストです。

 

忘れてならないのは、

明治から大正時代の家事は、

水道がない家では水汲みは井戸から。

座敷の掃除はほうきと雑巾。

食事の支度はガスがなければ

薪(まき)のかまどを使い、

洗濯はたらいと洗濯板だったということガーン

 

 

家事労働にかかる労力は、

現代とくらべてはかりしれません。

だからこそ、中流家庭でも女中が

必要とされたのです。

 

 

『女中使ひ方の巻』(大正7年刊)によると

「ご飯炊き」の下女の一日は

朝5時頃からはじまりました

 

朝は、台所の掃除や、

使用人一同と主人夫婦食事の用意。

そのあと拭き掃除をして、

食器洗い、流しの掃除、洗濯をすませて、

自分の身づくろいをします。

 

終わると雑巾さしなどをして、

11時から昼食の準備。

 

正午に昼食のあとは、後片付け、裁縫、

風呂の焚きつけなど。

 

4時から夕食の準備。

5時には使用人の食事を用意して、

6時に主人一家の夕食。後片付けをして、

8時頃から各自の自由時間。就寝は夜10時。

 

1日15時間拘束の重労働ショボーン

しかも、決まった休みは盆と正月の2回だけ。

 

このスケジュールは上流階級の家庭のもの。

上流階級では、

女中の数が多く分業になるので、

多少楽になるのですが、中流程度の家庭で

「一人女中」の場合は、まさしくワンオペビックリマーク

 

休日も自由時間もなく、

寝る時間さえ満足にとれないほど、

こき使われたという話もたくさん出てきますむかっ

 

明治後期になると、

小学校教員や看護師など職業婦人が

注目されはじめますが、

そうした職業につけた女性はまだ少数!!

女工や住み込みの女中が、

多くの女性の働き口だったのです。

 

次回は8月7日に更新予定。