明治時代の女性の仕事 ① 上流家庭に奉公する小間使いは、結婚相手を世話してもらえることも! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆あくまで主家が主役なので、奥さまやお嬢さまより美人はNG!

 

こんにちは、山村です!

今回は女性の仕事について。

明治時代の「小間使い」をとりあげましたビックリマーク

 

国をあげて近代化政策がとられた明治時代。

 

男性が断髪にしたり、

女性がお歯黒と眉そりを段々しなくなるなど、

庶民の暮らしも、少しずつ西洋化していきます。

 

とはいえ、江戸時代の価値観は

引き続き残っており、

結婚に関する意識は旧来のままでした。

 

女性の場合、適齢期とされていた

17から19歳ぐらいの間に、

親の決めた相手と結婚するのが

世の常だったのは、

このブログの

「明治時代の女性の若さと結婚観」

でも述べたとおりショボーン

 

少し裕福な家庭の娘は、

14歳位で小学校を卒業したあと、

女学校に行ったり、

結婚まで家事手伝いをするほかに、

華族や実業家といった上流家庭に、

「小間使い」として奉公に出ることもありましたビックリマーク

 

わざわざ小間使いを雇うような上流家庭では、

たくさんの女中が働いています。

 

その女中には序列があり、

家族の世話や接客など、

奥向きの仕事をする上(かみ)女中と、

炊事洗濯などを担当する下(しも)女中

ふたつに大きく分けられました。

 

下の図版は、

明治43年(1910)刊の

『婦人画報増刊 東京婦人風俗』のイラスト。

奥向きの上女中が描かれています。

身なりもきちんとして、

ヘアスタイルも流行の束髪です。

 

 

 

小間使いとは、奥向きで

「主人の身の回りの雑用をする女性」ビックリマーク

身元のしっかりした若い娘が選ばれました。

 

たとえば、華族の家に小間使いとして

奉公するためには、

それなりに教養があり、琴、生け花、

茶の湯なども心得ている必要があったようです。

 

興味深いのがその選考基準!!

 

『婦人画報増刊 東京婦人風俗』によると、

上流階級の奥さまやお嬢さまの

ご用をする小間使いは

顔もちょっとこぎれいで、

外出のお供をしても見苦しくない女性

が望まれるとのこと。

 

ただし、あんまりきれいだと、

お嬢さまや奥さまの方が見劣りがするので

ほどほどのさじ加減が求められる

というのです爆  笑

 

要するに、お仕えする

奥さまやお嬢さまより美人はNG!!

雇い主以上の容姿の小間使いは、

あらかじめ排除されたわけですね。

 

また、小間使いは、

半分お友達的な仕事なので、

性格はおとなしく、少々内気な方がよく、

一番求められるのは、

都の風に触れない、田舎の良家の娘

だったそうです黄色い花

 

奉公してまじめに3年から5年勤めると、

大きな商家などでは、

出入りの好い人をみつけて、

縁談をまとめてくれることもありました。

それは華族の家でも同様でした!!

 

上流階級の人脈に連なる人のなかから、

良縁をみつけてくれるのですから、

娘を結婚させたい親にとっても、

娘の奉公は、まさに好都合な話だったのです音譜

 

小間使いが、

気は使うけれども、行儀見習い的な面もある

良家の娘の仕事だったのに対して、

炊事や洗濯などがメインの下女中の待遇は

ブラック企業そのもの。

ハードな肉体労働が待っていました筋肉

 

次回は、その下女中の仕事について。

 

7月31日更新予定。