明治の絵はがき美人 ② 新橋の芸妓、栄龍。化粧品広告によく登場しています! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆日本髪から束髪(そくはつ)へ。リボンがかわいい太眉美人、栄龍

 

こんにちは、山村です!
今回は明治末期の美人絵はがきから、

新橋の芸妓・栄龍をご紹介します。

 

栄龍は明治29年(1896)生まれ。

数えで14歳の時に、

新橋の菊三升(きくみます)でお披露目をした

といわれています。

 

下の写真は半玉(はんぎょく)時代の写真。

明治42、3年位のものか。

 

 

この栄龍、

年齢的には前回ご紹介した万龍より2歳年下。

 

三越呉服店をはじめ、

化粧品のレート(平尾賛平商店)や

美顔水(桃谷順天館)など、

多くの広告に登場した人気芸妓で、

絵はがきも多いですビックリマーク

 

ぽっちゃりした顔立ちで鼻筋が通り、

目は一重まぶたラブラブ

一重とはいえ細いわけではありません。

切れ長のアーモンド形の目は、

和風美人の典型でした音譜

 

個人的には、

江戸時代の浮世絵美人を写真にすると、

栄龍を少し面長(おもなが)にした感じに

なるんじゃないかと思っています。

 

この写真で注目してほしいのがヘアスタイル。

日本髪をアレンジした和洋折衷の

「束髪(そくはつ)」です。

 

束髪は手入れが簡単で結いやすく、

和服にも洋服にも合うことから、

明治中期から少しずつ広まりました。

伝統的なヘアスタイルから洋風へアに移行する、

過渡期のファッションです。


ちなみに栄龍の前髪は、

地毛のなかにヘアパッド(束髪用の入れ毛)を

入れてふくらませたもの。

地毛だけでは、これほどふんわりとはなりません。

 

そして、もうひとつのポイントが大きなリボンリボン

束髪にリボンといえば、

当時は女学生の間で流行していたスタイルでした。

その流行を芸妓も取り入れているのです。

 

明治時代になると、西洋風であること、

「ハイカラ」がおしゃれのキーワードにビックリマーク

セレブの女性は社交の場で

ドレスを着用することもありましたが、

仕立て代を含めて、

今の金額だと数十万から数百万円ともいわれ、

ごく一部の上流階級や富裕な人々に限られていました。

 

一方、庶民は、ヘアスタイルや髪飾りなど、

それほどお金がかからない範囲で

欧米の流行を取り入れて、

ハイカラファッションを楽しんだのですドキドキ

 

次回は明治時代の洋装について。

 

5月30日に更新予定。