明治の絵はがき美人 ③ ドレスを着た美人 | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆明治時代、ドレスはセレブでおしゃれな女性のシンボルでした!

 

こんにちは、山村です! 

 

今回は、明治時代の洋装ファッションについて。

 

下の美人絵はがきは、

明治末期の洋装写真です。

きりりとした顔つきのモデルは

芸妓と思われますが、

残念ながら名前はわかりませんでした。

ご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてくださいビックリマーク

 

 

写真は、花咲き乱れる田園風景にたたずむ

乙女といった風情ですが、

撮影場所は写真館。

花は本物でも、背景は書割です爆  笑

 

美人絵はがきのなかでも、

洋装の全身写真はそう多くありません。
その理由はドレスが高価だったことに加え、

小柄な日本女性では、

きれいに着こなせる女性が少なかったからでしょう。

 

その点、この絵はがきの女性は、

当時としては、ほどほど上背があり、

ドレスを見事に着こなしています。

 

肩幅もフィットして、

裾(すそ)の長さもちょうどいいので、

借り物ではなく、

自分用にあつらえたのかもしれません。

 

ハイネックのドレスに、

流行の造花のついた帽子やパラソルは、

外出時のコーディネートドキドキ

 

明治中期の鹿鳴館時代に、

上流階級の女性が礼装用のドレスを着て

舞踏会で踊った時は、

コルセットが息苦しくて

食事もままならなかったとか、

ダンスのさなかにすそを踏んで転んだとか、

慣れないドレスに苦労したそうです。

 

明治39年の『風俗画報』には、

普通のドレスは30円から40円

(飾りなどの好みをいえば150から160円)、

礼服は大礼服が150円から300円とあります。

 

これに靴や帽子、パラソルなどの

洋装小物を合わせると、

最低でも40、50円はかかったはずビックリマーク

 

当時の小学校教員の初任給が10円から13円。

大卒国家公務員の初任給が50円程度。

庶民にとっては、ドレスを着るなど

夢のまた夢でした。

 

ドレス本体はこのように高価でしたが、

帽子やパラソル、スカーフなどの洋装小物は、

娘を女学校に入れるくらいの、

そこそこお金に余裕がある家庭なら、

手が届く値段でしたラブラブ

 

ドレスより先に洋装小物が流行した背景には、

そんな理由があったのです。

 

参考までに、下の写真は、

女性誌『婦人世界』の広告(明治44年)です。

 

 

帽子が1円95銭と1円。

洋傘(パラソル)が5円前後より15円位とあります。

 

広告主の関口洋品店は東京・新橋にあった店。

三越呉服店、天賞堂と並ぶ有名店でしたキラキラ

 

私としては、広告の一番上、

「最も完全無欠な汗除帯(アンダーベルト)」

も気になります。

和服用のアンダーウェアと思いますが、

まるで和風のブラジャーですよねニコニコ

 

さて、次回は明治・大正時代の新聞や雑誌を

見ていて気になった「老嬢」について。

「老嬢」の意味、そして当時の女性にとっての

若さと結婚について考えてみました。

 

6月6日更新予定。