まだまだ龍馬~♪
行け行け竜馬~♪
…と,一昔前のスポーツの応援のフレーズを
思い出したりしています(笑)
龍馬像がまだまだだ,と言いたいだけなんです
けど(笑)
働くようになってからようやく,全国の寺社・
仏閣を訪れ,多くの仏像などを見たコトで
目が非常に肥えました。
目がメタボです(爆)
目メタボ?(笑)
その目メタボな山もっティが「まだまだ違うし!」
とキビシク見るので,なかなか合格点はあげ
られまへんな(笑)
眼鏡橋の上でチリンチリンアイス(アイスクリン)
の写メを載せた前の記事の,その後の行動です
が,ブラブラと町をさるいていました。
長崎では町歩きを,方言の「さるく」を用いて最近
よく観光の手法として位置付け,ガイドさんなども
いたりしますが,山もっティはほとんど1人で
さるきます(笑)
ブラブラと町をさるいていたら,上野彦馬サンの
誕生地という説明プレートがありました。
銀屋町にある誕生地をこれまで特に行って
みようとは思っていませんでしたが,コレも
何かの縁でしょう。龍馬サンの写真が残って
いるのは何よりもこのお方のおかげですから。
龍馬像もこれらの写真が無ければ,また,
実物を目にしていなければ作るコトは
無かったのであります。説明を読むと,彦馬
サンは父親の影響も強く受けている感じです
ね。ただの絵師ではなさそうなので今後調べて
みなければ…
龍馬サンの気分を味わう?ために亀山社中の
辺りをウロウロしてみます。
「龍馬通り」と名付けられた坂道の路地には
亀山社中のメンバーの説明プレート?が
何枚かあります。写メは沢村惣之丞です。
他のメンバーのでなく,ナゼ沢村惣之丞の
写メを載せたのか?
理由はカンタンです。顔が山もっティに似てる
からです(笑)
もっと太らせると山もっティにさらに近づき
ます(爆)
亀山社中跡が見えて来ました!…と言いつつ,
写メは実は帰る時に撮っていますが(笑)
亀山社中跡は,もう入れる時間を過ぎて
いたようですが,門前にいたオネエさんが
「どうぞ~」と言ってくれたので入れました。
ココ亀山社中跡は,以前は個人のお宅の
一部として公開されていましたが,その後
ゴタゴタあって公開が中止されたりして
いましたが,今はこういうオネエさん方が
いたりして,長崎市の管理になっている
ような気もします。(←確認していないので
このような書き方です)
龍馬サンがよく寄りかかっていたという柱です。
個人宅の時代にはもっと黒く,龍馬ファンが
さすったトコロだけが磨かれたように木の色が
見えていましたが,今のようにリニューアル
した際に全部磨いちゃったようですね。
再現したブーツと,お龍さんが得意としていた
月琴が展示してあるのが写ってます。
亀山社中から見た稲佐山…を撮りたかったの
ですが,電線が入りまくりなので外に出て
撮りました(笑)
東京タワーと同じ333メートルの高さである
稲佐山は,亀山社中から見るといい感じ
ですな~
「日本の夜明けぜよ!」と龍馬サン本人が
言ったのかどうか知りませんが,写メは
夕焼けです(笑)
ゴールデンウィークというコトもあって観光客
もまぁまぁ多かったようです。
山もっティが作っている龍馬像もいつかは
亀山社中跡や桂浜などに連れて行って
あげたいモノです(笑)
似てなければ恥ずかしくて持って行けない
ので頑張らねば…
帰り道にある木下逸雲のお墓を参ったり
して帰りました。