上野撮影局跡なう。 | 山もっティの独り言。

山もっティの独り言。

「被災地と共にある」

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バスケ観戦した後、まっすぐに帰宅せず、飛び乗ったバスで「町(まち)」の方に来ました。
「町(まち)」と言うのは、山もっティぐらいの世代にとっては「浜のまち」を指します。浜のまちをブラブラする「浜ぶら」という言葉もありますし、そもそも「長崎ぶらぶら節」なんてのがあるぐらいですから、ブラブラしてるのは伝統かもしれません(笑)
江戸時代の人々がブラブラした町、特に中島川を眼鏡橋から上野撮影局跡ぐらいまでをブラブラしてみました。
上野撮影局には、今は特に思い入れが強いです。山もっティが参考にして毎日のように眺めている写真の何枚かはココで撮られたからです。
上野彦馬サンに弟子入り?した土佐藩の井上俊三が撮影したと伝えられています。上野彦馬サンが化学を学び、ポトガラヒ(写真撮影)を学ばなければあの写真はありませんでした。ついでに言うと、日本では入手できないアンモニアを得るために、彦馬サンが牛の頭を煮て腐らせ、異臭騒ぎを引き起こしたりしてなければ、あの写真は無かったかもしれないのです(笑)
当時は得体の知れない変人の扱いだったかもしれません。
屋根すら無い小屋で撮影されたため、坂本龍馬の写真や他の写真に、上から射し込んだ光が三角形に写っています(笑)
亀山社中も川を渡って登った所にありますから、感慨深いモノがあります。
いろんな想いのする場所からお送りしました(笑)