龍馬像を作った人々。 | 山もっティの独り言。

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「被災地と共にある」

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写メは、長崎の風頭山にある坂本龍馬像です。高さは約3メートル。この作者である山崎和國氏の特集が昨日の長崎新聞に載っていました。しばらくこの話題を続けます。
この像を作るにあたり、山崎氏は「写真そっくりに作るつもりは無かった」というコトを書いておられます。たくましい、自分のイメージの中の龍馬像、それで正解と思います。依頼人や見る人々の多くが納得する選択肢だと思います。
かの有名なロダンが、小説家バルザック像を作った時、「考える人」ぐらいに考え込み苦悩するバルザックの姿を作りました。多くの人々は爽やかで「ドヤ顔」のバルザック像を期待していたので、苦悩するバルザック像を見て散々に悪口を言いました。山もっティはバルザックのファンですので、あの細かい情景描写や人物や環境の設定ぶりを思えば、考え込み苦悩するバルザックの方が実像に近いと思います。バルザックの目標とした「人間喜劇」においてはなおさらそうだと思います。コレは例えば、「ゴリオ爺さん」という作品の主人公が、彼の別作品でも登場してる、という具合です。
話がそれましたが、山崎和國氏の師匠が富永直樹氏でそのまた師匠は北村西望氏であります。北村西望といえば長崎の「平和記念像」を作ったヒトであります。彼は島原半島に「天草四郎像」を作っています。天草四郎は島原の乱のリーダーで、美少年であったとされています。しかし、島原にある天草四郎像は平和記念像にソックリです(笑)
この場合は、美少年を期待したヒトはガッカリし、平和記念像の作者と同じだと喜ぶヒトもいて複雑です(笑)
芸術家は個性や自分なりの思い入れが大事ですので、坂本龍馬が似ていなかったり、天草四郎が美少年でなくても問題は無いと思います。山もっティの場合は芸術家ではないので、ひたすら写真ソックリに作るのが目標です。それでも全然似ないのはシロウトだからですが(笑)
たくましさとソックリさの両者を盛り込もうとしたのが、高知県檮原の「維新の門」という彫刻群で坂本龍馬像を作った浜田浩造氏だと思います。実物はまだ見たコトが無いですが、写真を見る限りはそう思います。
まだ見たコトが無いのは、高知県桂浜にある巨大な龍馬像です。足さえネンザしてなければ日程内に行けたハズなんですが…(泣)
桂浜のは本山白雲氏。高村光雲のお弟子だそうです。光雲は西郷サンを作り、弟子は龍馬サンを作るという、コレも縁なのでしょうかね~
縁つながりでまたダラダラ書きます。本山白雲氏の母親は女丈夫?で、坂本龍馬と将棋を指したコトがあるのだとか(笑)さっきのロダンの話、コレは高村光雲の息子、光太郎が翻訳し、詩なども作っています。高村光太郎は直接ロダンに弟子入りしてはいないようですが、傾倒している点では山もっティと同じかも(笑)
さらに、山崎和國氏の経歴を見ていたら福山雅治と母校同じですな(笑)
龍馬サンに関わる人々というのは何か縁や共通点が多いのかもしれないですね~。
長くなりついでにもう1つ。東日本大震災により、「ひとつになろう日本」という協力や団結を呼び掛ける言葉が踊っていますね。コレはまさに龍馬サンが維新回天の時にやろうとしたコトではないかと思うのです。黒船来航により、列強の脅威に一致団結しなければならない時に、国内では幕府を倒そうとか、雄藩の対立、対立する者を斬れ、という潰し合いが始まりました。勝海舟や龍馬サン達がいなかったら、もっと悪い方へ歴史は転がっていたでしょう。今年は、去年以上に龍馬サンを思い出して欲しい年になりました。