終戦記念日。 | 山もっティの独り言。

山もっティの独り言。

「被災地と共にある」

やっと作っていた自作PCが動き出した

ので,途中からは新しい自作PCにて

投稿しております(笑)


この日は,朝食の後に知人にバッタリと

出くわし,長話をした後,自作PCに取り

付ける,青く光るケースファン(12㎝)を

買いに行き,コンビニに寄ったりして

いたら,帰宅中のクルマの中で終戦の

サイレンを聞く事になってしまいました。

さすがに運転しながら黙祷はできない

ので,一瞬だけ目を閉じて運転を続け

ました。


15日の正午が終戦記念日というのは,

戦争を知らない世代であったり生き残った

方々であったり,そういう人にとっての

終戦記念日なのだという気がします。

戦争で鉄砲のタマに当たったり,爆弾に

当たって亡くなった方々にとっては,

命日が戦いの終わりなのだと思います。


最近,軍人サンには恩給があったけど,

空襲で家が焼けたりした人々には何も

無かったという話を聞きました。民間人

で戦争の被害に遭った人々には何も

無かったと…。戦後の苦しい時代には

そういうお金が死活問題であったかも

しれません。まぁ,戦争で家族を失った

場合はお金はいいから命を返して,と

いう感じだと思いますが。広島と長崎の

被爆者に対しては援護法が出来て少し

は救われた面もありますが,多くの

民間人には何も無かったのです。

さらに言えば,被爆者だからと言って

苦しい差別を受けたり,差別がイヤで

被爆した事を隠し続けたりした話を

思い出すと,苦しみがさらなる苦しみ

を生んだことにやりきれない思いに

なります。


このところ,ずっとNHKで戦争に関する

特集番組などを見て,見るだけでも

重苦しい気分になりました。実際に

戦争で亡くなったり苦しい思いをした

方々のつらさはいかばかりかと,もう

気の遠くなるような思いです。


親が広島で被爆した子ども達を取材

した番組も見ましたが,次から次に

別の病気が出てきて,毎日不安である

というお話でした。私はとりあえず2つの

病気が出ているだけでも苦痛なのに,

放射能のせいで次々に病気が出て来る

というのは計り知れない苦しさだと思い

ます。


終戦記念日に近い,8月12日には

日航機墜落事故についても多くの

特集番組がありました。もう25年も

経つのですね。ある遺族は,お父さん

に,子ども達の所に寄って欲しいと

言ったために事故機に乗ったのだと

話しておられました。その事をずっと

今でも悔やみ続けていると…。


その話を聞いた時に,何とつらい話

だろうと思いました。飛行機に乗る時に

墜落して死ぬ事なんて全く考えません

し。しかし,戦争を起こして多くの人々を

死なせた政治家や指導者というのは,

戦犯として処刑されたりはしたかもしれ

ないけど,あとあと悔やんだり責任を

感じたりというのはあまり無かったので

はないかと思います。いつも苦しむのは

善良な市民とその家族である。戦争とは

そういうものではないかとつくづく感じる

終戦記念日なのでした。