前記事はこちらです。

 

大変勉強になったことばかりの大変満足な会でしたが、一つショックなことといいますか、残念だなあと思ったことがありました。

 

それは、

 

日本で一番オペラを愛してやまないであろう、最高にオペラにリスペクトのあるこのお三方をして尚、

 

オペラは歌詞が聴こえにくい

 

という認識が強いという事実でした。

 

 

別に、初耳!ショック!な内容ではありません。

よく聞く内容ですし僕もその気持ちはわかります。

 

 イタリアで、イタリア語で上演されたオペラをイタリア人が聴いたってよく聴こえないときはあるそうですし、日本で日本人による日本語の曲が歌われたときでさえ、字幕が欲しくなる場面はあります。

 

 日本で外国語で上演されたって言葉が正しいかがわかるのなんて予め歌詞を勉強したことのある人だけかもしれません。正確に発音されても、古い言葉だったりしてネイティブにも一瞬わかりにくい文だってあります。

 

 ですから、色や感情、響きを聴いて楽しむということだけでも充分楽しめます。オーケストラも含めて、多くの楽器が感情を能弁に語ってくれますから。それがいいところでもあります。

 

 

 

しかし、それでいいのかなあ。

 

 

マイクを使わない歌唱スタイル上、声量とか音高がきちんと出ているかということなど、音要素にどうしても偏るのは理解できます。

 

僕の大好きな世界最高のソプラノの一人が途中から歌詞をお忘れになって母音唱法になっているのにとんでもなく素晴らしく美しくて泣けるほどのクオリティで歌っていらしたこともありますし…そういうふところの大きさ、感動に貢献する要素の多さもオペラの器の大きさでもあります。大事なのは言葉が持っているニュアンスがきちんと響きに乗って(含まれて)いるということだと思いますので…。

 

 

 

田尾下哲さんが進行をする中で

 

字幕

コンタクトレンズ

ビデオ

 

の出現はオペラの発展にとってとても大きい役割を果たしたとおっしゃっていたのがとても面白く、そうだなあと思っていたのですが、字幕が意味を伝えてくれて、そしてそれにふさわしい最高に磨かれた響きや音楽で耳から味わう…まさにこれは字幕があってさらにパワーアップした良さであります。

 

 言葉も音楽も演技もぜーんぶ揃った素晴らしい歌手はやはりいらっしゃるので、まず業界をなんとかどうとかよりも、僕自身が言葉も響きも妥協なく追求していかねばなあ…!と思う次第でした。

 

今まさに『夕鶴』『修禅寺物語』に取り組む機会がありますので、この感情をバネに生かしていきたいと思います!

 

 

ゲストのお三方の名誉のために改めて書き加えておくと

 

「オペラは言葉がわかりにくいから字幕でなんとかして、別に言葉はどうでもいい」、というようなネガティブなニュアンスでの発言ではありませんでしたのでその点悪しからずご理解のほどよろしくお願いいたします。少しでもお客様に楽しんでいただくため、本当に色々なことを考えてくださっていることを再認識する会でした。