感染した人は悪くない | 誰にでも一つくらい・・・

誰にでも一つくらい・・・

誰にでも、一つくらい他の人より秀でたことがあるってよく聞くけど、本当に?私の中の『誰にでも一つくらい・・』を探します。

昨日放送のワイドナショーで大橋アナが富川アナウンサーが番組復帰時に謝罪したことに触れた上で「不当にバッシングされすぎていなかったかと思う」と語っておられたらしい。
なんであんなに謝らなきゃいけなかったんだろう、と。

本当にその通りだと思う。

先週、関西テレビのニュース番組中、山中伸弥教授が、新型コロナウイルスに感染した人には、他の人に感染させてはいけないという思いやりを持って欲しい、と言っていた。

たまたまテレビを見た時にそう言っていたのであって、その前の話の流れを聞けていないので、なんらか私の勘違いがあるのかもしれないのだけど、私はそれを聞いて、そうじゃないだろう、思いやりは感染した人に対してこそ持つべきだろうと思った。

もちろん、感染した人が周りにうつさないように気をつけることは大切だ。
だけど、思いやりに関してはどちらかというと、感染していない人が、感染した人に対して持つ方がいいと思う。

そうでなければ、感染した人の周りで二次感染が起こった場合、初めに感染した人に罪があることになってしまう。
けれど実際は初めに感染したと思われる人よりも早くに感染していながら無症状の人がいる可能性もあるはずなのだ。

誰もが感染する可能性はあるし、誰もがすでに感染している可能性もある。
それなのに、感染して症状が出た人にのみ思いやりを求めたりするのは違うと思う。

もし感染して症状が出た人など、感染が明らかになった人ばかりが責められるのであれば、人は感染を隠すようになるだろう。
そうではなく、気軽に感染を知らせることの出来る雰囲気の方が必要だと思う。

不幸にして感染した人に責任を求めるのではなく、災難だったね、と労える空気。
そっちの方が感染抑止には効果がないか?

一昨日、娘の発熱に愕然とした。
が、その後平熱に戻った体温はそのまま平熱を保っている。他の症状もない。
一昨日の夕食時には息子までが37度台の熱があることが分かり、もう間違いないのではないかと思ったが、息子自身は夏風邪だと言った。その通りだったようで、昨日、今日と体調が戻っているようだ。

娘はもともと今日は有休を取っていたので休み。
私は何事もなかったとして、出勤する。

だけど一昨日は私自身にはなんの症状もなかったけれど、この先どれくらい休みを取らないといけないのだろうと考えた。
そもそもの有休付与日数が少ないから、有休などすぐになくなる。
給料が減ることになるんだろうな、などと、この先の生活に対する不安が一気に高まった。

研修会等は全て中止になっているとはいえ、たまにやって来るお偉いさんも高齢者施設の人ばかりなのだから、一般の職場よりも長く休むことが求められるだろう。

おまけに狭い場所に5人の女性が働く職場では、状況的に出勤しても良いという時であっても、出勤するのは迷惑がられるだろうし、かと言って長く休めばそれはそれで職場復帰した時の他の人の視線や態度が怖い。
(そもそも、そんな風にしか思えない日頃からの職場の雰囲気がダメなんだろうけど。)

日本では死亡率が低いという世界的にみると少し安心出来る材料があり、日本のコロナ対策は成功しているとみなされていながら、そこに生活していると新型コロナウイルスそのもの以上に不安を覚える状況がある。

新型コロナウイルスに感染した人に謝罪を求める風潮、日本人のパニック感の現れなのだろうけど、どうにかならないか。
こういう場面こそメディアの出番だと思うのだけど。メディアは視聴者の意識を操作することができる。実際に意図的か否かというのは別にして、意識操作がされていると感じることがある。ここはぜひとも感染した人に罪がないこと、感染した人に謝罪させる世間は何様?と言うような意識操作に励んでほしいところだと思う。

そうそう、今、新型コロナの感染者数は落ち着いているけれど、相変わらずPCR検査は受けられないようです。
一昨日、保健所の人に、発熱外来を受診してもらったらいいけど、検査を受けられるとは思わないで下さいね、と釘を刺されました。
検査の敷居は依然として高いようです。