山口県東部の瀬戸内海に浮かぶ周防大島、
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島全体が山口県大島郡周防大島町に属し、「屋代島」の通称でも知られています。
特産品のみかんを使った名物の「みかん鍋」に
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夏休み期間中の毎週土曜日に行われる「サタフラ」ことサタデーフラダンス、
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別名「瀬戸内のハワイ」と呼ばれることもあって観光資源に恵まれ、山口県民のオアシスと化しています。
しかしながら、生粋の福岡県人である僕にとって周防大島は
この世の地獄
何故ならば周防大島町の大島地区、昔の山口県大島郡大島町にかつて所在した更生施設
「山口県大島青年の家」
にて恐ろしい思いをさせられたからです。
僕は中学生時代、2ヶ所の学校に在籍していましたが、そのうち1ヶ所目の中学校は軍隊を意識した新設校であり、校風自体に軍隊臭がプンプンしていました。
仮に1ヶ所目の学校を「軍隊中学校」としましょう。
軍隊中学校では毎年度9月に
「合宿訓練」という名の宿泊研修
が学校行事の一環として実施されていました。
ただ、僕が軍隊中学校へ入学した1986(昭和61)年度の場合は諸事情により6月へ変更した上で行われましたが、その実施場所が例の大島青年の家だったわけです。
青年の家の職員による罵声・暴言・暴力、
そして極めつけは非力の中学生に対して
往復20kmにも及ぶ社会人レベルの「カッター訓練」を強要
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入学から僅か3ヶ月目にして学校に対する信頼を完全に失いました。
合宿訓練の終了後、
善悪の区別が分からない、いや分かっていても校風の関係で分からない振りをしなければならなかった同級生が暴走するのに時間はかかりませんでした。
その大元は青年の家の職員陣が吐きまくっていた罵声や暴言に他なりません。
一例として「順番待ち」の為に並んでいた際、
「お前は列に割り込む度胸すら無いんかちゃあ!!」
最早、憲兵や特高警察のレベルですね。
でも僕にとっては逆にラッキー、
何故ならば地獄から解放された「夏休み」という天国が訪れる前に見切りを付けられたからです。
もし、大島青年の家での合宿訓練が例年通り9月に実施されていたら…、
未だに想像しただけで震えが止まりません。
ただ、軍隊中学校の肩を持つとするならば1980年代の中学・高校ではこの類の管理教育が奨励されており、特に新設校では顕著でした。
軍隊中学校のケースは極端ですが、これに類似した経験を持つ「団塊ジュニア世代」の方々は多いと思われます。
その周防大島の玄関口となっているのが、山口県玖珂(くが)郡大畠(おおばたけ)町、現在の柳井市大畠地区に所在するJR西日本・山陽本線の大畠駅、
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ホームに吊り下げられている「(周防)大島方面のりかえ」の電照式看板がそれを象徴しています。
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駅舎を出ると山口県東部の足となっている防長(ぼうちょう)バスの姿が…、
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大畠駅には防長バスのターミナルが併設されており、
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周防大島方面へ向かう路線バスの拠点となっています。
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周防大島は離島ながらも1976(昭和51)年に完成した大島大橋のお陰で実質的に「本土」、
大畠駅の上りホームに並行し
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通行量の多い道路は
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国道188号、
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大畠駅から暫く進んだ場所に位置する「大島大橋入口」交差点からは
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周防大島へ向かう国道437号が分岐し
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ループして大島大橋へ
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遠方には飯の山展望台が見えます。
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山陽本線の車窓に写る風光明媚な大畠瀬戸も
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僕にとっては「生き地獄の海」、
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それは合宿訓練から38年を経た現在でも変わっていません。
合宿訓練の帰り道、
軍隊中学校の生徒一同を乗せた「西鉄」西日本鉄道の貸切バスが大島大橋を渡り終えて「本土」の大畠に辿り着いた時は夢みたいな気分でした。
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大畠から西へ…、
道路の国道188号に対し、線路は山陽本線、
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今や線路は地元・福岡と京阪神、名古屋、東京とを往復する際に必ずお世話となる「通い慣れた道」と化しました。
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あっ、大畠から東へ向かう道路と線路も同じですね。
果たして「生き地獄」のマイナスイメージを覆せる日は来るのでしょうか…。
私は福岡県在住の「特定社労士」こと特定社会保険労務士です。
私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り
「合格基準が透明な社労士試験」
「受験生の努力が報われる社労士試験」
の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!
私の事務所のホームページです。