司馬遼太郎先生、
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©㈱中央公論新社
言わずと知れた我が国に於ける歴史小説の第一人者ですね。
本日は2024(令和6)年2月12日(振替休日・月曜日)、
司馬先生が72歳で天に召されて丁度28年となりましたが
時代を越えた大ロングセラーとして余りにも有名な『竜馬がゆく』をはじめ
日露戦争を舞台とした大作『坂の上の雲』
新選組のイケメン鬼副長・土方歳三が主役の『燃えよ剣』
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の「三英傑」を取り扱った『国盗り物語』『新史太閤記』『関ヶ原』シリーズ
等等、現在でも多くの読者から支持を得ています。
しかしながら司馬先生自身が自画自賛している作品は真言宗の開祖・弘法大師空海を題材とした随筆
『空海の風景』
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「おそらく〜だったであろう」「〜と思われる」といった推測調の文章が目立つのが特徴であり、司馬先生は空海を神秘的な人物として捉えていることが伺えます。
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©㈱コーキ出版
読者からの人気を集めている作品と作者自身が愛着を持っている作品は必ずしも一致するとは限りません。
生前、司馬先生は作品を執筆する際に要となる史跡等を取材するためタクシーを使いまくっていましたが、『空海の風景』の場合も例外ではありません。
地方豪族の出身ながら、役人への道を捨て無一文の修行僧となった空海は己を求め阿波国(現在の徳島県)から土佐国(現在の高知県)へ向かったと言われています。
空海の軌跡を辿るために司馬先生は徳島市内から個人タクシーに乗ったわけですが、
その際にお世話となったタクシー乗務員の方は有名な四国八十八ヶ所を何度も回り
タクシーのトランクにはお遍路を目的とするお客様のため常に鈴とワラジを入れているほどサービスが行き届いていました。
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その関係で司馬先生と話が合い、おそらくは御礼の意味も込められていたのでしょう。
文中にタクシー乗務員さんの実名がフルネームで紹介されていました。
宮本富太郎さん、
1934(昭和9)年よりタクシーに乗務している大ベテランであり、還暦を超えても無事故を通している模範乗務員です。
明治時代以来の歴史を誇る月刊誌「中央公論」に1973(昭和48)年1月号から1975(昭和50)年9月号まで連載された『空海の風景』、
連載時期からして司馬先生が宮本乗務員の個人タクシーに乗ったのは多分1971(昭和46)年か1972(昭和47)年頃と思われます。
宮本乗務員の生死に関しては不明なものの、当時既に人気作家であった司馬先生が「お客様」としてタクシーに乗ってくれたこと自体が極稀な確率、
それに加え自身のフルネームが載った作品が後に単行本化を経て文庫本化され
令和の現在でも絶版されることなく書店に並んでいます。
『空海の風景』は宮本富太郎乗務員のご家族や血縁者にとって家宝そのもの、
司馬遼󠄁太郎先生は「福の神」を遥かに超えた存在でしょう!!
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私は福岡県在住の「特定社労士」こと特定社会保険労務士です。
私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り
「合格基準が透明な社労士試験」
「受験生の努力が報われる社労士試験」
の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!
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