北方館
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納沙布岬の近くにある北方領土に関する資料を集めた博物館である北方館に立ち寄って見た。まずは最初に、古地図を見て回る。上の写真は、色丹島(250㎢)歯舞群島(94㎢)の古地図である。
 
 

 

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次に国後島(1,489㎢)
 

 

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最後に択捉島(3,167㎢)。あまり知られていないが、日本列島主要4島(北海道、本州、四国、九州)を除けば一番の大きさの島であり、沖縄本島や東京都、大阪府や香川県の大きさよりも大きい。
 
 

 

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四島(しま)のかけはしの麓にあった祈りの火へ北方領土返還を願う中学生のメッセージが貼ってあった。北方領土に住んでいた経験のある住民は高齢化が進み、人口も減り続けている。このままでは行けないと、次世代にも北方領土返還要求運動のバトンパスをしようと、こういった取り組みが行われている。
 
 
 
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1807年に間宮林蔵によって描かれた択捉島の地図も展示してあった。約200年前と考えると、この地図の正確性が非常によく分かる。
 
間宮林蔵はかの日本地図の父・伊能忠敬の弟子で、伊能忠敬に見込まれて西蝦夷地の測量を行った。樺太が島であることを発見したのもこの伊能忠敬である。樺太とユーラシア大陸(ロシア)の間の海峡は間宮林蔵から取って間宮海峡と呼ばれている。
 
 
 
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これも蝦夷図の一種。択捉島と得撫島が描かれている。本当に今の地図とも遜色がないくらい正確で驚愕したのを覚えている。
 
 
 
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第68代・69代内閣総理大臣大平正芳による北方館の題字が飾ってあった。管理人は10代なので大平首相なんて名前、正直初めて聞いた…
 
 
 
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様々な貴重な資料が展示されている。
 
ちなみに、蝦夷志は1720年に描かれた初めて北海道を描いた本格的な地誌。
 
 
 
 
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写真に光が反射してしまった。
 
 
 
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日露修好通商条約に関する文書と樺太・千島交換条約に関する文書。北方館、想定以上よりもすごい博物館だった。
 
 
 
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最上徳内の蝦夷草紙、近藤重蔵の辺要分界図考。
 
 
最上徳内と近藤重蔵の2人も間宮林蔵と同じように蝦夷地測量に関わった。最上徳内は1786年に東蝦夷地の測量に携わり、箱館(今の函館市)から東蝦夷の海岸線に沿って測量を行い、最終的に国後島、択捉島、得撫島を測量を行った。 近藤重蔵は1807年に西蝦夷地の測量に携わり、西蝦夷の海岸線に沿って測量を行い、宗谷まで測量を行った。
 
 
 
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日ソ共同宣言の文書。これも相当貴重なものだろう。
 
 
 
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後編でも北方館についてお届けする。
 
 

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