FAIRFAXで通勤+α -11ページ目

屋久島道中チャリ栗毛 (22) ~エピローグ(10年後)~

あれから10年程が経ちました。


今年、37歳(私)と42歳(Mさん)のオッサン二人が出来上がりました。


縁あってMさんとは、親戚になり、今は家族ぐるみでのお付き合いが続いています。


去年の夏、私が自転車通勤を始めた数ヶ月経った頃に、


Mさん宅で家族同士での飲み会をしていた時に、


私の一つの思いを話ました。


もう少し、私の脚力に自信が付いた時には、琵琶湖を走ってみたいと。


Mさんは、目を輝かせて、言い出しました。


M「その話乗った! 俺も走る! いつにする! 今年するか? その企画毎年やろう!」
(す、凄い 勢いだ)


私「ちょ、ちょっと待って下さい。私の今の力では、また迷惑を掛けるのでもう少し待って下さい。」


M「そうかぁ、じゃぁ、来年やろぉ!」





今年、2009年。Mさんは、何かと忙しいそうで、


「ごめん!今年はちょっと忙しくて琵琶湖に行けない」 と申し訳なさそうに言われました。


そうですかぁ、いいんですよ。


あなたとの付き合いは、まだこれから何十年も続いていくのでしょうから


いつでも行けることでしょう。


あの日、超スロースピードでしか走れなくて、何度も待ってもらい、おまけに


屋久島では自転車で走れなくなり迷惑をかけっぱなしだった私。


今度、本当にMさんと琵琶湖を走れるのなら、もう迷惑は掛けたくない。


今度はMさんと同じスピードで走りたい。


だから、私にもう少し特訓する時間を下さい。


ひょっとすると、私は今、そんな想いの中、自転車で走っているのかもしれません。







~おわり~





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これで、「屋久島道中チャリ栗毛」は終了致します。

大した文章力も無く長々と書いたブログを読んで頂いてありがとうございました。<( _ _ )>

コメントを頂いた皆様、本当に感謝、感謝で一杯です。<( _ _ )> <( _ _ )> <( _ _ )>

また、いつの日か、Mさんと一緒に走ったことを書ければいいなぁと思っています。


では、今日は失礼します。 <( _ _ )>

屋久島道中チャリ栗毛 (21) ~旅の終わり~

いよいよこの旅もクライマックスです

つづきをどうぞ・・・。

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博多駅から、さぁ、今から長い々在来線の列車の旅です。
(まだ乗るのかよぉ~、一晩中、列車に乗っていたのにぃ~、なんて言っていられません)


十時間前後の電車の旅は長かったです。
(「世界の車窓から」 じゃ、ないんだから)


途中で幾度かある電車を乗り継ぎの際に、



M「あれ!財布が無い!」



私「え~!」



車内にMさんが財布を落としてしまい、


財布を取り戻す為に再度、元来た駅に戻ったり。


昼食は、お金がも無く、ほぼ無人化した駅に降り立ち、


駅前にあった駄菓子屋さんに入ると、カップ麺があり、


そこのお店のお婆ちゃんにお願いして、お湯を頂き、


店先で食べさせてもらったりと色んなことがあり、


ついに目指した駅、姫路駅に到着しました。


正直、姫路城が見えた時には、「ホっと」しました。


そして、私鉄に乗り換えて、あの数日前に出発した駅に生還です。
(本当は東から帰ってくる予定が、西から帰ってきましたけどね)


この時ほど、旅行から帰ってきて「帰ってきた~!(戻ってこれた~!)」


と思ったことはありません。
(今でもありません)


私一人では、絶対出来なかった経験です。


こんな経験をさせてくれたMさんには、本当に感謝で一杯でした。


そして、翌日から、またオジサン二人は平穏な呑んだ暮れの元の生活に戻っていきました。


(この後、自転車に目覚めるまで、10年間深い眠りにつくのでした。)





つづく・・・。
(え~!まだ、つづくのぉ~?)

明日は、いよいよ最終回です。
(お願いです、最後まで付き合ってください。)

屋久島道中チャリ栗毛 (20) ~別れ、そして再会~

彼に青春18切符を譲ってもらいにいったMさん。

彼は譲ってくれるのだろうか?

つづきをどうぞ・・・。

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彼の座席に行き、青春18切符を譲ってくれないかと相談しに行ったMさんだったが、


彼は、まだ、残り回数が沢山あるので譲るのは、勘弁して欲しいということだった。


それでも、Mさん、へこたれません。
(頑張れ!Mさ~ん!)


M「じゃぁ、今回二人分だけ売ってくれなかぁ、そして、帰宅したら必ず君のところへ郵送するから」と交渉。


残り分が戻ってくるならば、いいですよと、彼は快諾してくれた。
(いい人だぁ!)


そうして一時的に、青春18切符は私達の手元に渡ってきました。
(こ、これで、おうちに帰れる~)


これで一安心とばかりにMさんは眠ってしまいした。
(私も頑張って眠らなければ!)


数時間後、早朝、博多駅に到着しました。


やはり夜行列車では一睡も出来なかった私。
(そんな気はしていたんです。眠い…。)


別れ際、彼の提案で記念に3人で並んだ写真を1枚撮りました。

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数ヶ月後、Mさんは彼と連絡を取り合ってくれて、


神戸の彼が勤めている、ショットバーに連れて行ってくれました。


その時には、彼は日本一周は達成していたようです。


バーテンダー姿の彼は、ナカナカ格好が良かったです。


あの時フェリーに乗れなかったことも、その時には笑い話です。


彼は日本一周の夢と、もう一つの夢があるそうで、自分のお店を持ちたいということでした。



そして数年後、Mさんから聞いたのですが、彼は本当に自分のお店を手に入れたそうでした。


何でもやり遂げてしまう彼は本当に関心してしまいます。
(お前が、何もしてなさ過ぎなんだよ!)




つづく・・・。