私の選択。 | 32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

2020.6.17 夫は永眠しました。
妻です。自分自身が前に進む為にも、敢えてこのブログで吐き出させて貰います。思いはとても、複雑です。


同居してから約一年、夫の癌が分かってから4ヶ月が経った去年の6月の事。
私は今までで一番、思い切った行動に出ました。
こうでもしないと、夫にも義母にも、私の大変さと私の気持ちは、何も分からないと思ったから。

それは、私の父の一言から始まりました。


親子の間に挟まれながら2人に振り回されてばかりの日々に、プラスして2人の子供の子育て。
そして、夫は癌になった。
見付かった時にはもう既に転移していて、ステージ4だった。
夫も夫で、きっと、自分の事だけで手一杯だったのかもしれない。
けれど私にも、精神的に全く余裕は無く、自分の家なのに落ち着ける場所も無い。
そのしんどさについて、夫にまた話しを持ち掛けた。
言わなきゃ何も伝わらないと思ったから。

・同居というのは少なからず気を使うということ
・そしてまた、ストレスにもなるということ
・親子の間に私を挟まないで欲しいこと

簡単にまとめると、この3つを夫に話しました。
そこで夫から返って来たのは「自分だけストレスがあると思って」でした。

夫はバイクが好きでした。
バイクが大好きで、一番のストレス発散になっていたと思います。
そのバイクを辞めろとも、バイクに行くなとも、今まで一度だって言った事はなかったです。
夫が癌になってからも、一度だって言った事はない。
好きな事を辞めろと言う権利は私には無いし、それを奪う権利も無いと思ってたから。
好きな事をするのが、一番のストレス発散になるだろうと思ってたから。

もし私が「自分だけストレスを抱えている」と思っていたら、バイク辞めろ行くなと言っていたと思います。
そうじゃないからこそ何も言わなかったのに、夫にはその辺の事は何も解って貰えてなかったみたい。

もうどうしようもなくなって、夜コッソリと家を抜け出し、泣きながら母に電話をした。
その時はもう夜も遅かったし、電話で話すだけ話して気持ちを落ち着かせて電話を切ったんだけど…
次の日だったかな…?(定かではない)

父が「子供たちを置いて、一人で帰って来なさい」と言った。
そうでもしないと、夫も義母も、私の大変さは何も分からないからと。

凄く悩みました。
今まで実家に帰る時は子供たちも連れて行ってたし、子供たち置いて一人で帰るなんて、どう考えても無理だと。
でも父は、良いから帰って来なさいと。

その日は確か日曜日で、義母は仕事で居なくて、夫も子供たちを連れて出掛けていたので、家には誰も居なかった。
父は、敢えて何も伝えずに出て来なさいと言った。

私は考えて考えて、その日一日ずっと悩んで考えた結果、子供たちには悪いけれど、一人実家に帰る事を決めた。
そして、最悪離婚する事も考えた。