32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

2020.6.17 夫は永眠しました。
妻です。自分自身が前に進む為にも、敢えてこのブログで吐き出させて貰います。思いはとても、複雑です。



正直、色々ありすぎて記憶が定かではないですし、まとまりのない文章になってしまうかもしれませんが…
子供たちを置いて一人家出をした去年の6月~約半年間の私の「迷いと決断」の話しになります。

「私の選択。」からの続きとなります。


家出をしたその日の夜、夫からLINEと着信があったけれど、最初、私は電話にも出なければLINEの返事も返さなかった。
何度か着信があり意を決して電話に出て、今何処に居るのか聞かれたので、実家に居ると答えた。

自宅は関東、実家は東北。
新幹線で直ぐと言えば直ぐだけれど、そう簡単に来れる距離でもない。
この時、夫と何を話したのかは覚えてないけれど、次の日の朝、実家の電話に、義母から電話があった。
私に代わって欲しいとの事で電話を代わったら、怒りの電話だった。
まあ、ある意味、当たり前と言ったら当たり前だけども。
何も言わずに出て来たから。

子供たちはどうするの?とか、仕事は急には休めないのよ!とか、犬も飼ってたから、飼ってる犬も置いて行くなんて無責任じゃないの?とか、色々言われました。
それらに対しカチンと来て、何かを言い返したけれど、何て返したのかは覚えてないです。

夫ともその後連絡を取り合い、最悪、離婚も考えているという事を伝えました。
私たち夫婦は、多分きっと、2人で話し合った所で何も変わらない。
きっと同じ事を繰り返すだけだと思い、私は夫と自分の両親にも話し、双方の親を巻き込んで話し合いをする事に決めました。

夫に、義母と子供たちを一緒に連れて来て貰い、話し合いの間は私の姉に子供たちの事をお願いして、実家にて私の両親も交えて話しをした。
夫は離婚はしたくないと言っていて、色々話しをしていく中で、私はその時、初めて夫の涙を見た。
離婚も真剣に考えてた、だけど、もう一度頑張ってみようと、その時はそう思った。


義母は、両親が居る前で、私にこう言った。
「あの家にずっと居るつもりはなくて、出て行こうと思ってたの。寮が付いてる仕事も見付かったし、早い内に出て行くから安心して」と。
だけど、これが後に、嘘だという事が分かった。
正確には多分、採用されなかったんだと思います。

此処でまた、私の気持ちは揺れ動きました。
だけど、夫が嘘を吐いた訳でも何でもないし、その件について悪いのは、良い加減で嘘吐きな義母の方。
夫は夫、義母は義母と、そこは切り離して考えなければと思い、取り敢えず、義母があの家を出たら自宅に戻るという事を夫に伝えました。

義母の引っ越しと、上の子の幼稚園が夏休みに入るタイミングで私も自宅へと戻り、じゃあこれで解決かな?と思うかもしれないけれど、私は自宅に戻っても尚、まだずっと迷っていた。
多分きっと、夫は何も変わらない。
きっと、同じ事を繰り返し、また同じ事で悩む。
その事に薄々気付いていたし、自宅に戻って、ひと月ふた月と過ぎて行き、やっぱり夫は何も変わらなかった。

子供が居なかったらきっと、離婚していたと思います。
子供が居るからこそ、そう簡単には決められなかった。
周りに相談をして、意見を聞いた。
両親含め、みんな口を揃えて言うのは「離婚はしない方が良い」でした。

それは「お金の為に」でした。


とても嫌な話し、もし夫が亡くなれば入って来るお金がある。
これは夫本人にも言われたのですが、夫が離婚をしたくない理由の中には、お金の事もありました。
もし離婚をして自分が亡くなった場合、私には何も入らなくなるから、と。

子供を育てるにはお金が掛かる、大きくなればなる程、お金は必要になって来る。
その事を考えると、離婚はしない方が良いというのが、周りの意見だった。


離婚するかしないか、毎日考えていた。
一度だけ夫に、聞かれた事があった。
「結局どうするか、決めたの?」と。
正直まだ分からない、迷ってると言ったら、「もし(離婚)したいなら、そうしても良いよ。◯◯(私)がそう決めたなら、それは仕方無いと思うし」と夫は言った。

それからも暫く毎日悩んで、考えて考えて考えて悩んだ結果、私は「離婚をしない」という選択をした。
子供たちの為でもあったけれど、一番はお金の為だった。
私はお金の為に、離婚をしない事に決めた。


此処からが本当に、苦しかった。
何度も「離婚しておけば良かった」と思ったし、でも今まで頑張って来た分、貰えるものは貰っておこうと、そう思わなければやって行けなかった。





夫は多分、寄り添い方が分からない人だったんだと思います。

寄り添うと一言で言っても、寄り添い方は人それぞれで、感じ方もまた、人それぞれだと思います。
なので、寄り添うとはどういう事か?と考えると、きっと正解は無い。

私自身が思う寄り添うという事は、相手の気持ちや思いを考え、頭から否定しないということ。
バイクが好きだった夫、癌が分かってからもバイクは続けたいと言っていた。
私自身、色々思う事はあったけれど、夫のその気持ちも分からない訳ではなかったし、何よりも分かってあげたかった。
だから、好きな事をすることに対して、反対はしなかった。

これが、私の夫への寄り添い方でした。


此処からは、子供の通院の話に戻ります。
夫は、平日に急遽、仕事が休みになる事もたまにあって。
その時にたまたま病院の日が重なれば、一緒に行ってくれました。
でもその他は基本、やっぱり一人でした。

夫に、お願いした時もありました。
○月○日、病院の日だから仕事休み取って一緒に行って欲しいと。
でも夫はいつも微妙な顔をして「厳しい」と言いました。
それでも何とかお願いして、半休を取って貰って一緒に来て貰った事もあったけど、でも何かが可笑しい事に気付きました。

夫は、自分の為(バイク)には、仕事の休みを取れるのです。
それはもしかしたら数ヶ月も前から調整をして休みを取っていたのかもしれないけれど、病院だって1ヶ月も前から予約が入っているので急遽休みを取って欲しいとお願いしていた訳ではない。
ましてや、自分の子供の事。

夫に対する不満は、どんどん大きくなっていきました。


仕事をしている以上、休みを取る事も中々難しいのは分かっていたし、何がなんでも休みを取って欲しいとも思ってなかったし、無理なら無理で別にそれで良かった。
要は、言い方一つで相手の受け取り方も変わるという事。

心配に思う事、不安に思う事、それらを話した上で、出来れば仕事を休んで一緒に行って欲しい事をお願いする。

それに対し、頭から「厳しい」と言われるのと、「取れるかどうか分からないけど、調整してみる。取れなかったらごめんね」と言われるのとでは、相手の受け取り方は全然違います。

私は、頭から「厳しい」と言われるのではなく、口だけでも良いから「調整してみる」と言って貰いたかった。
それだけでも、少しは私の気持ちは救われたと思うんです。








時系列が少しバラバラになるけれど、この記事では上の子が産まれて~1歳前後の時の話しをしようと思います。

「根っ子にある部分」という記事でも軽く触れましたが、私は結婚をして地元を離れ、知らない土地へと行きました。
実家も離れ、友達とも離れ、知り合いも誰も居ない中、私が頼れるのは夫だけでした。
この知らない土地で、友達も誰も居ない中での子育ては、想像以上に大変でした。
それが、初めての子育てであれば尚更。


私は里帰り出産を希望していたので、産前産後を合わせたら、4~5ヶ月位実家に居ました。
本当は1ヶ月検診が終わったら自宅に戻る予定で居たのですが、その事を助産師さんに話したら、車での移動距離が長いと赤ちゃんに負担が掛かるから、生後2ヶ月経つまでは自宅に戻るのを待った方が良いと言われ、帰る予定が少し長引きました。

産まれてからの上の子は、吸う力が弱かったのか、それとも直ぐにお腹いっぱいになってしまうのか、ミルクを飲む量が少なかった。
私は混合でやっていて、先ずは母乳をあげてからミルクをあげていた。
お腹が空いて泣くけれど、咥えると直ぐに寝てしまう。
寝てしまったら口元を刺激して起こしてあげてという指導を受けていたので、その通りにやって行ってた。
出産し、退院して実家に戻り、毎日これで良いのか、私のやり方であっているのか、ミルクの量は足りているのか、不安で心配だった。
そして1ヶ月検診の時、私は更に不安になった。

「体重が余り増えていない」と言われたから。

検査をしてみた方が良いと言われ、こども病院を紹介され、両親に一緒に付いて来て貰った。
検査をした結果は、特に異常は無く、甲状腺を刺激するホルモンの数値が少し高いのが気になるけど、でもそこまで気にする必要も無いとの事だった。
里帰りで帰って来てる事も話し、自宅に戻ったらそちらの病院で見て貰えるようにと、小児医療センターへ紹介状を書いて貰った。

自宅に戻り、紹介状を持って医療センターに掛かった。
そこでも検査をして貰ったけど、特に異常は無くて、経過観察をして行く事になった。
ここから1歳までは、月一ペースでの通院でした。

何もかもが初めてで、右も左も、前も後ろも分からない。
何が正解で何が不正解なのかも分からず、毎日不安と心配で心がいっぱいだった。
月齢が上がるごとに、ミルクの量も増えてはいる。
身長体重も、緩やかではあるけれど伸びてはいる。
それでも、次病院に行った時「増えてなかったらどうしよう」「何か異常が見付かったらどうしよう」「診察では先生に何て言われるだろう」、そう思うと、病院に行く日はとても怖くて仕方なかった。

当時住んでいた家から病院までは、歩いても行ける距離にあった。
私は基本、病院へは一人で行っていた。
夫に「仕事を休んで付いて来て欲しい」とは、中々言えなかったから。
でも、病院に行くと周りは殆どと言って良いほど付き添いあり。
祖父母が付き添っていたり、夫婦一緒に来ていたり。
そんな中私は、誰の付き添いも無くいつも一人。
一人で行き、一人で先生の話しを聞き、例え何を言われたとしても、その言葉を受け止めて子供と一緒に家に帰らなければならない。

これが、どんなに怖かったことか。


私は、不安や心配な気持ちを、夫に話して来なかった訳ではない。
不安で心配で堪らない事、病院に行くのが怖い事、先生の話を聞くのが怖い事、全部話してた。
でもいつも夫から聞く言葉は「大丈夫でしょ」や「大丈夫だと思うけどね」でした。
夫は夫なりに、私を励まそうとしてくれてたのかもしれない。
でも私には、それはとても冷たく映った。