32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

2020.6.17 夫は永眠しました。
妻です。自分自身が前に進む為にも、敢えてこのブログで吐き出させて貰います。思いはとても、複雑です。


夫が亡くなって一年が過ぎました。
コメント、全て読みました。
色々な意見があるのは分かっています。
ごめんなさい。

一周忌が過ぎ、亡くなった当初に比べれば私の気持ちの方も少しは落ち着いては来ました。
それでもまだまだ複雑で、何とも言えない思いもあります。

此処最近はあまり無いですが、前は良く夫の夢を見てました。
いつも顔は見えず、声も聞こえない、私が一方的に話しかけてる、そんな夢ばかり見てた。

今年に入ってから少しずつ泣けるようになって、思い出しては泣きたくなって、苦しくなって。
前に進めてるのかも分からない、そんな毎日。
子育ても難しくなり、今子供たちとは離れて暮らしてます。

亡くなった夫の事、子供たちの事、これからの事、考えると泣きたくなって、現実と向き合う事が出来ない。
やる気も気力も起きなくて、でもそれでも日々過ぎて行って。

今はただ、此処で立ち止まってるのが精一杯。
自分を生かす事だけで精一杯。

一年経った今でも、昨日の事の様に思い出せる。
苦しむ事もなく、静かに息を引き取ったあの日。
誰にも言えなかったけど、私は怖くて、夫の手を握る事が出来なかった。


まとまりなくて、ごめんなさい。
この記事を含め、私が書いた記事はその内削除しようと思います。

ごめんなさい。




正直、色々ありすぎて記憶が定かではないですし、まとまりのない文章になってしまうかもしれませんが…
子供たちを置いて一人家出をした去年の6月~約半年間の私の「迷いと決断」の話しになります。

「私の選択。」からの続きとなります。


家出をしたその日の夜、夫からLINEと着信があったけれど、最初、私は電話にも出なければLINEの返事も返さなかった。
何度か着信があり意を決して電話に出て、今何処に居るのか聞かれたので、実家に居ると答えた。

自宅は関東、実家は東北。
新幹線で直ぐと言えば直ぐだけれど、そう簡単に来れる距離でもない。
この時、夫と何を話したのかは覚えてないけれど、次の日の朝、実家の電話に、義母から電話があった。
私に代わって欲しいとの事で電話を代わったら、怒りの電話だった。
まあ、ある意味、当たり前と言ったら当たり前だけども。
何も言わずに出て来たから。

子供たちはどうするの?とか、仕事は急には休めないのよ!とか、犬も飼ってたから、飼ってる犬も置いて行くなんて無責任じゃないの?とか、色々言われました。
それらに対しカチンと来て、何かを言い返したけれど、何て返したのかは覚えてないです。

夫ともその後連絡を取り合い、最悪、離婚も考えているという事を伝えました。
私たち夫婦は、多分きっと、2人で話し合った所で何も変わらない。
きっと同じ事を繰り返すだけだと思い、私は夫と自分の両親にも話し、双方の親を巻き込んで話し合いをする事に決めました。

夫に、義母と子供たちを一緒に連れて来て貰い、話し合いの間は私の姉に子供たちの事をお願いして、実家にて私の両親も交えて話しをした。
夫は離婚はしたくないと言っていて、色々話しをしていく中で、私はその時、初めて夫の涙を見た。
離婚も真剣に考えてた、だけど、もう一度頑張ってみようと、その時はそう思った。


義母は、両親が居る前で、私にこう言った。
「あの家にずっと居るつもりはなくて、出て行こうと思ってたの。寮が付いてる仕事も見付かったし、早い内に出て行くから安心して」と。
だけど、これが後に、嘘だという事が分かった。
正確には多分、採用されなかったんだと思います。

此処でまた、私の気持ちは揺れ動きました。
だけど、夫が嘘を吐いた訳でも何でもないし、その件について悪いのは、良い加減で嘘吐きな義母の方。
夫は夫、義母は義母と、そこは切り離して考えなければと思い、取り敢えず、義母があの家を出たら自宅に戻るという事を夫に伝えました。

義母の引っ越しと、上の子の幼稚園が夏休みに入るタイミングで私も自宅へと戻り、じゃあこれで解決かな?と思うかもしれないけれど、私は自宅に戻っても尚、まだずっと迷っていた。
多分きっと、夫は何も変わらない。
きっと、同じ事を繰り返し、また同じ事で悩む。
その事に薄々気付いていたし、自宅に戻って、ひと月ふた月と過ぎて行き、やっぱり夫は何も変わらなかった。

子供が居なかったらきっと、離婚していたと思います。
子供が居るからこそ、そう簡単には決められなかった。
周りに相談をして、意見を聞いた。
両親含め、みんな口を揃えて言うのは「離婚はしない方が良い」でした。

それは「お金の為に」でした。


とても嫌な話し、もし夫が亡くなれば入って来るお金がある。
これは夫本人にも言われたのですが、夫が離婚をしたくない理由の中には、お金の事もありました。
もし離婚をして自分が亡くなった場合、私には何も入らなくなるから、と。

子供を育てるにはお金が掛かる、大きくなればなる程、お金は必要になって来る。
その事を考えると、離婚はしない方が良いというのが、周りの意見だった。


離婚するかしないか、毎日考えていた。
一度だけ夫に、聞かれた事があった。
「結局どうするか、決めたの?」と。
正直まだ分からない、迷ってると言ったら、「もし(離婚)したいなら、そうしても良いよ。◯◯(私)がそう決めたなら、それは仕方無いと思うし」と夫は言った。

それからも暫く毎日悩んで、考えて考えて考えて悩んだ結果、私は「離婚をしない」という選択をした。
子供たちの為でもあったけれど、一番はお金の為だった。
私はお金の為に、離婚をしない事に決めた。


此処からが本当に、苦しかった。
何度も「離婚しておけば良かった」と思ったし、でも今まで頑張って来た分、貰えるものは貰っておこうと、そう思わなければやって行けなかった。





夫は多分、寄り添い方が分からない人だったんだと思います。

寄り添うと一言で言っても、寄り添い方は人それぞれで、感じ方もまた、人それぞれだと思います。
なので、寄り添うとはどういう事か?と考えると、きっと正解は無い。

私自身が思う寄り添うという事は、相手の気持ちや思いを考え、頭から否定しないということ。
バイクが好きだった夫、癌が分かってからもバイクは続けたいと言っていた。
私自身、色々思う事はあったけれど、夫のその気持ちも分からない訳ではなかったし、何よりも分かってあげたかった。
だから、好きな事をすることに対して、反対はしなかった。

これが、私の夫への寄り添い方でした。


此処からは、子供の通院の話に戻ります。
夫は、平日に急遽、仕事が休みになる事もたまにあって。
その時にたまたま病院の日が重なれば、一緒に行ってくれました。
でもその他は基本、やっぱり一人でした。

夫に、お願いした時もありました。
○月○日、病院の日だから仕事休み取って一緒に行って欲しいと。
でも夫はいつも微妙な顔をして「厳しい」と言いました。
それでも何とかお願いして、半休を取って貰って一緒に来て貰った事もあったけど、でも何かが可笑しい事に気付きました。

夫は、自分の為(バイク)には、仕事の休みを取れるのです。
それはもしかしたら数ヶ月も前から調整をして休みを取っていたのかもしれないけれど、病院だって1ヶ月も前から予約が入っているので急遽休みを取って欲しいとお願いしていた訳ではない。
ましてや、自分の子供の事。

夫に対する不満は、どんどん大きくなっていきました。


仕事をしている以上、休みを取る事も中々難しいのは分かっていたし、何がなんでも休みを取って欲しいとも思ってなかったし、無理なら無理で別にそれで良かった。
要は、言い方一つで相手の受け取り方も変わるという事。

心配に思う事、不安に思う事、それらを話した上で、出来れば仕事を休んで一緒に行って欲しい事をお願いする。

それに対し、頭から「厳しい」と言われるのと、「取れるかどうか分からないけど、調整してみる。取れなかったらごめんね」と言われるのとでは、相手の受け取り方は全然違います。

私は、頭から「厳しい」と言われるのではなく、口だけでも良いから「調整してみる」と言って貰いたかった。
それだけでも、少しは私の気持ちは救われたと思うんです。