「高次脳機能障害」ってナニ?

「高次脳機能障害」ってナニ?

交通事故に合い、後遺障害は「高次脳機能障害」になりました。
記憶と抑制に障害があります。

どこまでが障害なのか?

日々、苦脳しています。
そんな自分の想いを綴りたいと思います。

同じ苦しみを持つ人の支えになれたら、そんな風に思っています。

2019年4月に社用車で交通事故を起こしました。

自分は、右折の軽自動車。
相手は、直進の10トントラック。

軽自動車の助手席から衝突したため・・・・・、



このような状態に。

4か月入院して、営業として職場復帰。
社内の新規営業キャンペーンで全社1位にもなりましたが、後遺障害等級が決まり最低賃金の単純作業に。

その後、障害が受容できず、クローズ就労に挑戦しました。

重めな記事になりますが、日常を綴ります。


書いている記事と、タイムラグがあり、約1年くらい前の出来事をブログにしています。

高次脳機能障害のなかでも、記憶に障害があります。
同じようなことを書いてしまうときもあると思いますが、ご容赦いただけると幸いです。

もうひとつの指針は、カナダの精神科医エリック・バーンが提唱した「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」。

 

これを知ったときには衝撃を受けた。

 

僕は、いつも思っていた気がする。

 

なんで、苦しみを理解してくれない?

なんで、優しく接してくれない?

 

すべて、他人への依存だ。

そんな意味のないことに注力するくらいなら、自分を柔軟に変えることにしよう。

ここから「自分だけを信じればいい」と導き出だせたのだ。

 

お恥ずかしながら、家庭内別居状態になっている我が家。

それでも、感情的になりはしない。

 

あとで、家族が理解してくれればいいし、

理解しなくても、いいや。

 

それよりも、自分を信じて突き通すことのほうが、大切。

 

そんな気がしている。

 

「正解」か「不正解」か?

そんな答えを求めるものでは、ないと考えている。

 

自分の生き方なのだから。

それで、いいと今は実感しているのであった。

あのときに、うつ病になっていなかったら「高次脳機能障害」に僕は潰されていたと思う。

30歳のときとは比べ物にならない、過酷さだったし、それこそ、自分を疑う材料は無限にあった。

 

けれども「読書」と「Youtube」が、僕に人生を教えてくれていた。

 

もともと「本」を読む習慣があった。

図書館で、本を借りるようになり、様々な知見を得ることができた。

 

就労訓練に通うのに、電車のなかでは時間も余裕もあったしね。

おかげで、働いているときよりも、読書量は飛躍的に増えていた。

 

また「Youtube」は自宅で筋トレするときに観るのが習慣化していた。

そのなかで、本を読んで知った「樺沢紫苑」先生のYoutubeチャンネルをよく見ていた。

 

精神科医の「樺沢紫苑さん」がいろいろ教えてくれるチャンネル。

https://www.youtube.com/channel/UC1WkFVOCTPdY782AJ1PZ-JQ

 

あとは「本要約チャンネル」かな。

 

それぞれから、いろんなことを吸収して得ることがきた。

 

今でも指針となっているのは、起きる出来事に対して「幸せ」か「不幸せ」かを決めているのは自分ということ。

同じ出来事が起こったって、受け取り方によって意味は違ってくるのだから。

 

で、その意味は、あとから理解できることもあるのだから。

僕の「うつ病」の意味のように。

 

これにより「高次脳機能障害」は、不幸と思うことはなかったのだ。

それから時は流れていった。

 

同じ会社で、心を病む人はそこそこ出てきた。

そんなときに、寄り添えるようになったことは、大きな意味があったと思う。

 

自分がうつ病になる前なら、きっと、心が弱い人なんだ、で終わっていた。

けれど、あの苦しみを味わうと・・・。

 

放って、おくことなんてできなかった。

とくに、うつ病から脱したときは、強く力になりたかった。

 

自分なりにアドバイスをしたり、心療内科を紹介したり。

 

「うつ病」になる前となった後では、大きく変わったのかもしれない。

 

それから20年近く経ち、交通事故から高次脳機能障害となり、障害を背負うものの、自分のできなくなったことが見えない。

 

この苦しさは、生きてきたなかで最大のものになった。

けれど、自分を捨てることはなかった。

 

そのときに、気が付いたのだ。

30歳のときに、うつ病を発症したのは、このためだったんだ、と。

 

この「乳がん」の発覚を起点に、妻だけでなく家族の態度は、冷たくなっていく。

 

ふたりの子も、妻に習って「とんでもないおやじだ」ということになり、僕を避けるようになっていく。

 

長男に関しては、新卒で就職した直後に、親父が無職になる。

娘は、19歳で多感の時期。ただでさえ、父を敬遠する時期なのに拍車をかけたのであろう。

 

タイミングが悪いのはあるのかもしれないけれど。

この状況については、おいおい書いていくだろうが、今の心境を書いておきたい。

 

それは、「自分自身を信じること」だ。

 

前にも書いたが、30歳の頃、仕事で追い詰められ、うつ病になった。

このときは、妻がとても心配してくれたが、何度も、自分を捨てようと思った。

 

なんて、弱い人間なんだ。

 

他の人と比べて、何もできない。

 

社会にとっても、家庭でも価値のない自分。

 

相当、自らを責めていた。

 

けれど、仕事で上からの何気ないお褒めの一言で、浮上するきっかけができ、数年かかって回復することができた。

 

そのときは、心を病んだ意味が分からなかった。

けれど、もう二度と自分を捨てないことは、悟った気がする。

 

何の意味もなかったし、他人はそこまで気にしてはいないこと。

ただ、自分で自分を追い詰めているだけだと理解したから。

今、振り返ると「そうかもしれないな」と感じるのだ。

 

僕自身は、後悔することだけは避けたかった。

これは、人生において決めていることのひとつ。

 

特に働くようになってから意識していた。

 

交通事故に合うまでは、妻も許せていたのだろう。

 

しかし、運転の粗い夫が自分の過失で事故を起こす。

 

事故直後、目が覚めるかも分からない。

目が覚めるが。言動がめちゃくちゃ。

 

大人しく寝ることもできず、夜はナースステーション預かりになる。

おまけに車椅子で歩けるかも分からない。

 

なんとか歩けるようになって、退院したが、復職して退職してしまう。

 

ここら辺から、どんどん妻の気持ちは離れていってしまったのだろう。

 

僕は、ここから加速していく。

 

障がい者雇用に挑戦するため、障害者手帳を取得したこと。

失敗したけれど、クローズ就労に挑戦したこと。

障害を受容し、障がい者雇用で働くために、訓練に通ったこと。

 

すべてにおいて、自分で決めて進んでこれたことに満足はしていた。

 

けれど、家族は、巻き込まれてしまったのだろう。

 

そりゃあ、愛想も尽きるわな、って気がする。

だからと言って、自分が進んできた道が間違っているとは思っていない。

 

そのせいで、がんになったと言われても・・・・。

なんとも返す言葉がなかったのだ。