今月の「世の中の挑戦者たち」 | くるまの達人

くるまの達人

とか、タイトルで謳いながら、実はただの日記だったりするけど、いいですか?

猛烈に気分の浮き沈みが激しい性格だ
と自覚している。不特定のたくさんの
人たちに実名で発信する仕事が長く続
いたので、自然と仮面を被るクセがつ
いてしまったが、近くで係わっている
人たちは、ずいぶんやりにくいに違い
ないと思う。だから少しは改善しなけ
ればと考えることもあるけど、たぶん
直らない。

でもきっと、みんな同じじゃないか。
似たような悩みを持っている人は少な
くないはず。ときどき、そんなふうに
も思う。



京都で古くから造園業を営む家に生ま
れた小川さんのことを書いた。6年前
にも書いた。初めて話を訊かせてもら
った前回と違う雰囲気が彼を包んでい
た。三十代から四十路を越えてゆく頃、
人は大きく変わるような気がする。

かつて、身体的に精神的に子供から大
人へ変わる時期を過ぎてきたように、
もっと複雑なこと……ひょっとしたら、
人が動物として野性に生きていたら係
わることないようなことの山谷を大き
く越えてゆくのが、その頃のような気
がする。

社会的な自我の目覚めとでも呼べばい
いのだろうか。視点の移り変わり様を
目の当たりにして、そこへ至る移ろい
を想像した。冷静さと混乱、喜びと苦
悩、収束と発散。外的な要因のことで
はなく、外的なことがもたらした内的
な事柄。人が単なる人ではなく、人間
であることの証明を小川さんの中に見
つけたくて書いてみた。

人間は考える葦である。
すなわち、苦悩する葦なのだと思う。



わずかな起伏につられて浮き沈みしや
すかったり、意に介さずいられたり。
その人らしい性格が人生の道を違える。
どちらが辛くてどちらが安楽だという
ことではないのだろう。そもそも性格
は個性ともとれるのだと思えば、直す
ものではなく、活かすことかもしれな
い。それが、個性が創造する 活力だと
信じて少しは気を楽にすることだ。






「世の中の挑戦者たち」
御庭植治 株式会社 代表取締役
小川勝章さん

守り伝える歴史は
様式や形ではなく
庭に込められた
人の心にこそある

京都岩倉、実相院の初夏。障子戸越し
に蛙の声が聞こえる。立ち上がって縁
側へ出ると、静かに庭が拡がる。作庭
家の小川さんが教えてくれる、庭の心
を。

「お庭は自然そのものではないんです。
人間がつくった人工物です。でも、だ
からこそお庭には自然とは一線を画し
た意味が存在します。それは、心。人
の想いなんですね」

石を据え砂を敷き、草木を植え、水を
引く。施主の心を汲み、庭師がそれを
表現する。縁あって庭の側に立つこと
は、時を経て創り手の想いと縁を持つ
こと。

「数年目のお庭もあれば、百年を超え
て在るお庭もあります。私どもの仕事
は、時間を超越して想いを伝えるため
の所作です。

長い間に自然がお庭の景色を変えてゆ
きます。草木は伸び、砂石は崩れ、そ
こにある何もかもが46億年の歴史を持
つ地球の一部であることを教えるかの
ように、移ろいゆきます。そのような
移ろいを尊重しながら、お庭に宿る想
いを残し後生に残すこと。つまり、穏
やかな世代交代のメンテナンスが、私
どものお仕事なのだと思います」

人の心を解することは、極めて難しい。
それぞれの人生の機微が形づくる人の
想いは、それ自体がまるで庭のようで
ある。

私が初めて逢ったとき、小川さんは三
十代後半。小川さんは庭について熱く
語り、京都を訪ねる人たちにそれを伝
える機会を多く持つようになり、それ
から6年が経った。

「ものごとには、本質が存在します。
例えば素晴らしい絵画を鑑賞するとき、
絵の具は高価な品物だろうかとか、何
本の筆を使ったのだろうということは、
本質ではないはずです。けれども初め
て画を眺める人の中には、なかなか本
質への道すじを見つけられない方もい
ると思うんです。ですから、その道に
生きる人が、その画の心に対峙するた
めのヒントを示すことは、あってもい
いのではないかと。

お庭は、知らない世界や時代への入り
口です。点のような自身の人生から、
面のように拡がる史を眺めることがで
きます。そのような体験のきっかけに
なればいいと考え、皆さまにお庭の話
をさせていただいています」

少し間を置いて、続けた。

「……けれども、わたしが本当にやら
なければならないことは、そこではな
いではない。そう思うようにも、なっ
て参りました」

京都の名家、植治の十二代目として生
を受けたこと、仕事や生き方について
小川さん自身の想いを貫いてゆくこと。
誰もが悩むように、小川さんも解を模
索する混沌とした時間を過ごした。そ
んな数年間だったのだろうと感じた。

「遺してゆくために、変えなくてはな
らないことが、お庭にはあります。そ
のときに、そのお庭を創られた、守っ
てこられた先人の想いを守ることと、
遺して後生に伝えてゆくために自分の
考えを盛り込むこととの案配が大切で
す。

そのために私がやらなければならない
ことは、素直に心を聞くことなんです。
素直に教えていただくことなんですね。
お庭から、そして人様から、です。

そのことが少しずつ分かってきたこの
6年ほどだったと思います」

子供の頃から親しんできた、ある庭の
ことを話してくれた。

「たくさんのことを教えていただきま
した、いつも試されてきました。お庭
が私にそうしてくださるのだと思って
いました。けれども、それは少し違っ
たんですね。

私に教えて、試してくださったのは、
実は人様だったのだということに、気
づいたんです。お人様が、お庭を通し
て、心や想いを教え、試してくださっ
ているのだと、心から気づくことがで
きたんです。

私どもの仕事は、表面的にはお庭を造
り守ることですが、本質は人様あって
のお庭なんですね。木があってもお庭
があっても、人様がいらっしゃらなか
ったら、私どもの仕事は成立しないん
です。そのお人様にどうやって喜んで
いただくかというところから、すべて
が始まっているわけです。お掃除から
始まりお掃除に終わる。そういう基本
的なことから、すべてそこへ向かって、
お人様の心に通じることが大切なのだ
と、少しずつわかり始めてきた若輩者
かと、そう心得ております」

四季の風雪が庭の景色を変えてゆく。
木々は風に押され、順応の流れをつく
りながら、けれどもその中に自らの個
性を凛と示す生の表情を表しながら形
を決めてゆく。古都・京都に繰り返さ
れる四季が、十二代目植治の小川さん
を力強く育んでいること、森青蛙の声
を背中に語る表情の中に感じた。


リクルートグループ報「かもめ」
連載「世の中の挑戦者たち」より



山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
webTV「モーター日本」
Twitter / nineover
facebook / Yamaguchi Munehisa