ラグビーが日本でも人気のスポーツになってきましたね。

ラグビーの選手ことを「ラガーマン」というのだそうですが、

ラガーマンの方もいろいろの個性の人がいます。

笑わない個性のラガーマンもいて、それはそれで人気があるのですね。

この記事は「笑うことを勧める」時代に書いたもので、

かなりヤブにらみ的な記事になっています。

 

笑うこと、明るくすることが社会的には歓迎されていますが、
確かに、笑うことは健康には良いようですね。
しかし、面白くもないのに馬鹿みたいに笑うのもどうかと思うこともあります。
悲しいのに「笑え」と言われて笑えるものでもありません。

人にはいろいろの個性があります。
生まれながらに明るい人、生まれながらにおとなしい(暗い)人、
表向きは明るいが、内向きは暗い人、

その逆で、表向きは暗いが内向きは明るいという人もいます。
それぞれ良い性格でも悪い性格でもありません。それが個性です。

笑うのは面白いから笑うのであって、幸せだから笑うのではありません。
暗いのも、不幸だから暗いのではありません。個性です。
幸せか不幸せかは、心の持ちようで変わるものです。

自分は暗い性格だから幸せにはなれないと思う必要はありません。
「暗い」というのは、その個性を短所として見た場合の表現で、長所が一杯あります。
誠実で、落ち着きがあって、冷静に物事が考えられる、

その他、いろいろの長所があるはずです。
世の「暗い」と言われる性格の人、自信を持ちましょう。誇りを持ちましょう。
そうしたら幸せがやってきます。

 

この記事は2005.11.2.に投稿した記事です。

若干、加筆・訂正して再度投稿したものです。

 

「自分」には特定の名前もあるし、生年月日もあるし、
顔の左の頬にホクロがあって、鏡で見たらすぐに自分と分かる。
これが「自分」だ、という人もあると思いますが、確かにそれも「自分」です。
しかし、ここで「自分」と言ったのは、特定の「自分」ではなく、
誰にでも当てはまる一般的な「自分」のことです。

思春期になったころ突然この「自分」に気づくときがあります。
本物の心を感じることができるのは「自分」の心だけであり、
「他人」の心は感じることはできないことに気付きます。
「他人」は感覚器官で見たりすることで、その存在を知ることができますが、
「自分」は体の内側からも感じることができ、これらは「自分」独特のものです。
それが「自分」なのです。

しかし、この答えでは納得しない人もあるでしょうね。
「自分ってなに」という問いのなかには、

自分が存在することへの「不思議」や「驚き」の気持ちが含まれています。
ここに存在することの理由が知りたいのです。


ここにコーヒーカップがあります。このコーヒーカップが存在するのは、
陶器屋さんが作ったからですが、その理屈で判断すると、
自分が存在するのは親が生んだからということになります。
しかし、この答えでも誰も納得しないでしょう。

「自分」は考える以前に、すでに存在しており、ただ生きるしかないのです。
「自分」は自分の意思で生きているのではなく、生かされているのです。
「自分」で「自分」の存在理由を問うことなどありえません。


陶器屋さんは、この形のコーヒーカップはよく売れるという理由で、

このコーヒーカップを作りました。
親は、もう一人子供が欲しいという理由で、子供を作りました。
それぞれ作る側には、その理由はありますが、

存在する側には、存在する理由などみつかりません。
なぜ空があるのか、なぜ地球があるのか、と聞かれても答えられないのと同じです。

この記事は2005.10.11.に投稿したものを加筆訂正して再投稿したものです。

 

はなぜなのか

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1494.html       1 私の哲学方法

                         https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1508.html

自由意思はあるか       

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1555.html     2 何が事実                                                             

                          https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1518.html 

 

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1538.html

言葉、そして哲学

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1558.html

 

ゼノンバラドックス

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1550.html      3 世界構造

                                                        https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1251.html

張り紙のパラドックス

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1487.html      4 目的↓

                                                        https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1387.html

人類の進歩と調和↓

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1227.html          5 構造                                                                                  

                           https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1201.html

 

                                    新出発点↓

                                https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1544.html

 

                   1~5へ続けて読んでいただくと、私の哲学を体系的に

                     理解していただけます。

                     「新出発点」も併せて読んでいただければ、

                     私の哲学の原点が分かります。

私の妻はサスペンス・ドラマが好きで、テレビでよく見ています。
その犯人は誰かは、だいたい配役で分かるといいます。
私もつられて見ることがありますが、犯人を当てるのに
「2時間ドラマだから、まだ犯人は登場しない」などと、
ドラマの筋書きより、他の要素から犯人を推測することが多いです。

ドラマは、ブラウン管という枠組みの中で進行してゆき、
その枠組みからはみ出すことはありませんが、
そのドラマを見ているものは、ブラウン管の枠組みの外側から見ています。
しかし、ブラウン管の内側からは外側は見えません。

人間はこの宇宙で、ある枠組みの中で生きています。
それは感覚器官という枠組みです。
感覚器官で物を見ることはできますが、空想したものなどは見ることはできません。
それは枠組みの外側にあるからです。
感覚器官で捉えられるものが人間が解るすべてであり、それを超えることはできません。

人によっては、感覚器官で捉えられた世界とは別に、
客観的な世界が存在していると思って生活している人もいます。
それは間違いではありませんが、客観的世界というのは枠組みの外側にあるものです。
それなのにどうして間違いではないのかと言えば、
間違いであるという根拠すら見つけることが難しいからです。


人間一人の世界はブラウン管の中の世界のように、狭い世界ですが、
人間は社会的動物ですので、言語を通じて、他人の情報を共有することができます。
他人が感覚器官で得たものも、言語で情報化し、伝え合うことで、
お互いがそれを「信ずる」ことでも、世界を把握しています。

それは空想ではありません。一人の人間の行動範囲は限られていて、
自分の感覚器官で捕らえられる範囲は狭いですが、
他人の情報を信ずることで、広い世界を知ることができるのです。

 

この記事は2005.9.7に書いたものを加筆訂正して再投稿したものです。

テレビのワイドショーなどで、有名人の家に泥棒が入った、
などという話題がでることがあります。
有名人の豪華な家が映って「ここから犯人は侵入した模様です」などと、
リポーターが案内します。
そして決まって同情されるのは、被害者の有名人の側です。

もし、犯人が飢えをしのぐために泥棒をしたとしたらどうでしょう。
それほど極端でなくても、ほんの少し贅沢をしたいために泥棒したとしたら、
同情されるのは泥棒の方ではないでしょうか。
泥棒をしなければ生活が維持できない境遇なのです。
泥棒に入られた有名人は、それでも明日の生活には困らないのです。

私たちは、とりあえず生きてゆくのに、つまり食べるのに困ることはありません。
そういう枠組みのなかで、法律を守り、社会規範を守っています。
その枠組みからみれば、泥棒の方が悪いから同情される側にはならないですが、
食べることにも困る状態では、私たちの枠組みは崩れてしまいます。
だから同情される側も逆転します。

泥棒にも十分な道理があるのです。

 

この記事は2005.10.22に書いたものの再投稿です。

この写真は京都府庁で撮影したものです。

 

 

私の家族はよく喧嘩をする家族です。
喧嘩の原因はというと、ごくつまらないことで、例えば
「久しぶりに外に食べに行こうか」
と私が提案すると、全員それに賛成するのはよいのですが
何を食べに行くかがなかなか決まらないのです。
妻は「すし」がいいと言い、息子は「カレー」という。
娘は「パスタ」が良いといいます。
私は私で「和食」が良いという有り様で、
みんな好きなことを言ってまとまりません。
そこで私が「誰か譲りなさいよ」というと
妻は渋々「パスタでいいわ」と譲ります。ところが
子供たちも「お寿司にするわ」と譲ります。
そしてまた喧嘩になるのです。

譲ることは良いことです。そのように教えられるし、それが常識となっています。
我が家の喧嘩は一回譲ったまではよかったのですが、
その先またお互いが譲らないため喧嘩が収まらないのです。
お互いが教えられたとおり「良い人」であろうとして、
再度譲ろうとしないためです。再度譲ってしまったら
最初の自分を押し通すことになり「悪い人」になってしまうからです。

「譲る」というのは、自分を抑えて他を立てることですが、
我が家の場合はあくまでも自分を立てているのです。
「良い人」でありたいという自分の気持ちを立てているのです。
良い人であろうとすることは、いつでもトラブルを避けるための
良い手段になるとはかぎりません。
本当に他を立てて譲るつもりなら、自分は悪者になって、
良い人でありたいと思っている相手の気持ちを立てる方が良いのではないでしょうか。
 

自分で確認したことはないのに物理学のいろいろの法則を知っています。
世界の国々の色々のことも知っています。
歴史上のいろいろの出来事も知っています。


これらは誰かに教えられたり、どこかで調べて知っているもので
その誰かやどこかの影にいる誰かを信じているからこそ
自分のものになっているのです。


社会生活は人間が信じられなければできないものですが、
振り込め詐欺は人を信じたばかりに騙されるもので、疑うことも必要です。
人の話も無条件で信じてしまっては失敗することが多いです。


アインシュタインはニュートンを疑ったからこそ相対性理論を考えついたのです。
科学は疑問に思って疑った結果であるとも言えますが、
私たちはその科学から大きな恩恵を受けています。

あなたは「信ずる」「疑う」どちらが大切だと思いますか。

便所というのはどこも、不衛生という点では変わりがありませんね。
便所へ入ったときのことを考えてみてください。
大でも小でもよいのですが、仮に大としましょう。
大の個室に入って用を足してから、紙でお尻を拭いて、
下着をはいてズボンなりスカートなりをはいてから、個室を出てます。
洗面所で手を洗ってハンカチで拭いて、これで清潔に用を足せたと思っています。
しかし、よく考えてみてください。
手を洗う前に下着やズボンを触っており、
手に着いたウンコやオシッコは、その下着やズボンに着いてしまっています。
「手を洗うのは、ドアの取っ手のばい菌を落とすためだ」という人もあるかもしれませんが、
それも個室に入るときに取っ手を握っていますので、
そのときに着いたばい菌も下着やズボンに着いてしまっています。
その後に手を洗っても意味がありませんね。
(この記事は2005/10/2に投稿したものです。)

 

この記事に対する反応は賛否両論大変なものでしたが、

この記事の意図が伝わらずに「手を洗わないのは不潔。そういう人は大嫌い」

とお叱りをうけました。

テレビなどで大先生が出てきて「取っ手のばい菌などが付くので手を洗おう」というのです。

ご意見はごもっともですが、この記事の意図は、

日本の便所(多分日本以外でも)は不衛生だということなのですが、

その改善策などのコメントが聞こえないのです。

みなさん、この問題をどう解決されているのでしょうね。

私はそれが知りたかったのです。

 

スズメ君は仲間がたくさんいていいね

 

「チュン」か。楽しそうだな

 

(この記事は引っ越してきた記事でしたが、

スズメの写真が引っ越し荷物になかったのか、(笑い)

記事から抜けていました。

そこで再度写真を取り寄せ投稿し直したものです。)

 

哲学者の疑問

 私はなぜ私なのか

 

一般庶民の答え

 そうでなければヤヤコシイ