またまた獣医さんに行ってきました | ヤマガラ家のシーズー日記

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愛犬(シーズー)との散歩や日々の出来事

昨夜ルーシーの右後ろ足の肉球側ではなく、上側がトマトのような赤色に腫れているのに気づきました。その部分のすぐ横の爪の生え際の色が、少し前から気になっていて「黒すぎるんじゃない?」というのがあるものですから、これって、もしかして「破傷風?」足を切らないといけないの?と悪い想像をしながら夜が明け、今日はまた病院へ行ってきました。

 

結果は

 

何か刺さったんじゃないか?

 

ということでした。孔があるということで、そこから少し膿を出し、中に何か入っていないか診てもらったのですが、

わかりませんでした。孔は5ミリあるかどうか、という大きさなんですが、そこにピンセットを突っ込み・・・

当然ですが、ルーシー痛がって暴れました。

 

獣医さんの話だと

「草の実が中に入ってしまうことがある」

ということでした。

 

草の実が皮膚を突き破って中へ・・・?

 

でも、ピンセットで取れるものはなかったので抗生物質と塗り薬で様子見です。

 

もし腫れが収まらなければ、切開して中を見ることになるのだそうです。

 

乳がんの手術の時、体内で溶けるはずだった糸を体外に押し出したルーシーの体に

中にもし悪いものが残っているのであるならば

押し出してくれるよう祈るしかありません。

孔付近に出てくれば簡単に取り出せると思えます。

 

昨日のルーシーは朝7時半頃いつもの散歩で💩

私が出かけたので帰宅した昼過ぎ 川辺ぶらぶら で💩

夕方4時過ぎの散歩では💩をしなかったのですが、昼過ぎ出してるから、と帰宅したら

6時過ぎに「出たい!」と吠えるので外へ出て💩

 

もういいだろうと思って夜は寝ることにしたら夜中1時頃「出たい!」と吠えるので庭に出しました。

キツネのことがあったけれど、ルーシーだけ

 

実は前回のブログを書き終えた夜8時頃ルーシーの具合はどんどん悪くなっていきました。

室内はエアコンで暖房していましたが、小刻みに震えて、ものすごく寒がっていたんです。

震えのしかたが尋常じゃないので、アメリカへ行く前に買った注熱器(体内に熱を入れ込む)でマッサージをしつづけました。

これはあるマッサージの先生が開発した温めるとマッサージを同時に行う器械で、人間でも通常1時間くらいしか使わないのに

ルーシーの震えが収まらないので、1時間以上それで温めていました。

 

夜は布団に入れて.、ずっと体温で温め続けていたんです。だから水曜から木曜にかけては2時間くらいしか寝れませんでした。

温めているとルーシーが突然ダッシュして布団を飛び出していき、何をするわけでもなく布団から2メートルくらい離れたところでボンヤリしているので、なんか様子が変だから、再び捕まえて布団に入れて、を3回ほど繰り返しました。小型犬とはいえ、腕にずっと乗っていたのでかなり疲れました。枕だけなら大したことはないんですが、胴体を乗せて寝たがったんです。

 

これがあっての昨夜でした。

 

ルーシーが宙を見てるに対してコメント頂きました。

私はこの行動はかなり不安です。

コロンもお星さまになる少し前から壁を見ていたからです。

 

小型犬の寿命は平均15~16年と言われていますが、コロンは13歳手前、そしてルーシーは1月で13歳です。

少し短いですが、飛行機で1日過ごすのは辛かったと思います。アメリカでの生活は氷点下での散歩が4~5か月ありました。

私も辛かったですが、はだしのワンコは凍った上を歩いて、もっと辛かったと思います。

リーダーだったコロンは、常に私達を守ろうとしてストレスが大きかったと思います。

私は全く恐怖を感じませんでしたが、公園で休んでいたときコロンが上空をずっと見つめていたので

見たら、翼を広げた大きさが私の身長ほどもあるようなワシが近づいてきていました(ワシの標的はルーシーです)。

今まで嗅いだことがない動物の匂いがプンプンして、しかもそれがとても近くでしていたりして

コロンはかなり気を配っていたのではないかと思っています。

最初に住んでいた集合住宅では、庭先で日本のよりはるかに大きな鹿がウロウロしていました。

見ることはなかったですが、コヨーテがいる、ということでした。鹿とリスはあちこちにいて、日本でスズメがいるような感覚の所でした。

植物園にはガラガラヘビ注意の看板があり、2軒目に住んで所ではスカンクを見ました。

動物が普通に周りにたくさんいたんです。

普通より早く逝ってしまったコロンと、今どんどん弱っていくルーシーを見ていると、このときのストレスが影響しているのかな、と思ってしまいます。

 

水曜は他にも悲しいことがありました。

同級生の喪中ハガキでした。うちがそうであるように、近年親の喪中ハガキを受け取ることが多くなりました。

しかしそれは本人で、旦那さんが私に向けて送ってくださったのでした。驚きでした。いつかまた会えるだろう、と思っていました。

亡くなった日が1月で、なんかやりきれない思いになりました。