お別れ | ヤマガラ家のシーズー日記

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愛犬(シーズー)との散歩や日々の出来事

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母は2月1日に息を引き取りました。前日の金曜夜弟が静岡から帰省しましたが、この日は安定していたので名古屋市内の自宅で寝ることにしました(前週は病院に泊まりました)。

1日朝、夫と私が行ったら、看護師さんに「お気に入りの服を持ってきてください。」と言われました。ただ、「取りに帰っている間にも・・・」ということでした。時間が経てばたつほど危険なので、大急ぎで出発することにしました。

弟にはメールしました。

病院に父を残し、夫に実家まで連れてってもらいました。

病院にもどってくるまで母はいましたが、突然目を開いて苦しみました。母はもう1週間以上目が開きませんでした。

弟が着いて、本当に5分かそこらで母は逝きました。

弟夫婦、私達、そして父と肉親に囲まれて、でした。

 

医師の診断書(?)が終わったら、再びあわただしくなりました。

葬儀の準備が始まり

1日に逝ったばかりなのに

2日に通夜

3日に葬儀で 今日に至ります。

 

日曜を入れたことで、いとこのほとんどが来てくれました。

付き合いの広い母を知っているお寺さんが、家族葬ではなく、従来のみんなに来てもらう形のほうがいいとおっしゃられたので、父の希望もあり、そうしました。

 

通夜には親族40名くらいと母と付き合いのあった人50人くらいが来てくれました。

町内会用のバスに乗れない人が35人いると、母の友人からメールをもらったりしての準備でした。

葬儀も親族の他、町内のお友達が20~30人くらい来てくださいました。その中の何人か(もしかしてもっと)は通夜・葬儀と2度来てくださいました。

 

初七日の法要を終わった後、お寺さんから、数え80歳の、仕事をしていない女の人で

こんなにたくさんの人がみえる葬儀は、あんまり経験がない、とのことでした。

神奈川や長野、神戸からも来てくださりました。

 

今日弟は実家で後片付け、私は自宅で休養しながら片付けをしていました。

寝ていたかったのですが、弟との連絡で寝ていられません。

 

まだしばらく書けないと思います。また落ち付いたらみなさんのところへ伺います。