まだ 沈んでいま~す | ヤマガラ家のシーズー日記

ヤマガラ家のシーズー日記

愛犬(シーズー)との散歩や日々の出来事

アドバイス頂いたみなさん
ありがとうございました。

しかし、まだまだ 落ち込みから脱していないので
なかなか書けません。

今までのいろんなわだかまりのようなものが
湧き上がって、それが根深く 自分の中でくるくるしてしまいます。

例えば先日「こんなところに日本人」という番組で
戦争で中国に残された戦争孤児の方のお話で
「養父母が家を売って自分を学校に行かしてくれた」
ということを言われていました。涙が出るお話でした。
その方のお話に涙が出、自分に置き換えて悲しくなりました。

私は中3の進路を決めるとき
父親から高校進学を反対されました。
そのときの父親の怒鳴り声や恐ろしい表情は今も忘れられません。
私の成績はかなり良かったので、担任の先生が頼みに来てくれ
受験することができ、公立高校なら、ということで
高校へ行かしてもらうことができました。
絶対にすべってはいけない、ということでランクを落としての受験でした。
一応母がすべりどめの私立を受けさしてはくれましたが
公立以外はダメだったと思います。
このとき父が反対した理由は、成績の悪い弟は公立大学に行けないだろうから、弟を私立の大学へ行かすため、ということでした。

それを聞いて、ものすごく悲しかったし、くやしかったのを覚えています。
私は運動はあまり得意ではなく、勉強が好きでした。
いろんなことに興味があったので、大学へ行きたいと思っていましたから。
高校へ行くことはできても、大学は絶対無理だと思っていました。
そしてそれは、高校へ入ってすぐ、今度は母から悲しくなることを言われました。
普通高になんか行ってほしくなかった、と言うんです。
普通科なんかに行って、どこへ就職するんだ。
これではお針子になるくらいしか、できないじゃないか、と言ってくるんです。
父からも母からも反対されて大学進学は断念し、全てのやる気をなくして高校に通っていました。

中学のクラスメートで、高校に行けない子がいるのは知っていました。
父親がいなくて、お金がなかったからです。今、子供の貧困が時々テレビ等で話題に出てきますが、当時も当然のようにありました。
高校進学を反対されたとき、私はなんで うちは両親そろっているのに
なんで 出来の悪い弟のために、私は高校も行かせてもらえないんだろうという憤りでいっぱいでした。

勉強しても無意味に感じていたので、勉強はしませんでした。
なので、成績はすぐに超低空飛行になりました。
今まで取ったことのない30点前後の試験結果が続きました。
いい点数を取っても、ほめてもらったことはありませんでしたが、
悪い点を取っても、何も言われることはありませんでした。

高校の時の私の生活は、
  琴のお稽古に週2日
  着付けのお稽古 週1
  お習字 週1
  お茶・お花 週1
と、お稽古に忙しい日々でした。学校のあと、誰かと遊ぶ、とかはしたことがありません。高校の友達で一番近かった人は自転車で20分ほど離れていましたし、それぞれの家から学校までの方向の関係で、彼女はバス通学
私は自転車通学でした。自転車は全速力で30分ほど・・・交通機関を使うと
1時間に2本しか来ないバスを乗り継ぐ関係で1時間以上かかるため、自転車を選択したのです。
こんななので、他の仲良しとかも、家まで行こうと思うと車で30分くらいかかり、とても遊ぶ、とかできなかったのです。学校でのおしゃべりが全てでした。

高2の終わりに突然絵が描きたくなって芸大に行きたいと思い
(絵を描くのは好きでした)
芸大進学を目指しましたが
当然ですが、落ちました。
みんな高1から、そういう画塾に行ってましたから。
高校ですら私学を反対される状況だったので公立の芸大1本
私が行きたかった学部は女子は年間5人しか取らない(合格しない)という
ところへの受験でした。3浪するか悩んでやめました。
この時、私は新聞配達をしていました。

私は英語を話しますが、これはお金を貯めて
自力で留学したからです。学費と生活費を全部まかなっての留学でした。
ホームステイ先で、私は初めて体験することがいっぱいでした。
1つめはハグです。初めてお会いしたときに、あちらのお母さんからの挨拶がハグでした。お母さんといっても、自分との年の差は5~6歳だったと思います。2歳の男の子のお母さんでした。
2つめは、このお母さんが毎日「今日 学校はどうだった?」
と訊ねてくるんです。母が働いていたからか、こんなことは訊かれたことがありませんでした。私は普通の日本の家庭ではハグはしないと思いますが、多くの家庭では「おかえり」以外のことを言うものなのか?と考えます。


運転免許も、我が家では取らせてもらえませんでした。
理由は「女だから」です。
「女に免許は必要ない」ということでした。
なので30少し前に私は免許を取りました。
もちろん自費です。
両親も、さすがに30近かったので反論しませんでした。


この頃大学も行きました。高校の頃勉強をしていないので
試験に受かるとは思えなかったので、通信大学です。
仕事をしながらだったので、6年近くかかりました。
教員免許を取るか 悩みましたが、取るには
もう1年履修しないといけないこと
中学校などへ2週間の教育実習に行かないといけないといけないので
やめました。

人生の岐路はいっぱいです。
もし、高1の時、あきらめたりせずに勉強を続けていたら
別な選択があったのか・・・
ランクを下げて受けた高校だったので
入学当初の成績はトップクラスでした。
勉強しなかったのは自分の責任です。

両親の計画では、私は20~23歳くらいで結婚するはずでした。
しかし、私はしませんでした。
理由は簡単です。出会いがなかったから、です。
就職していましたが、一番年の近い男性は11歳上でした。
結婚したい気持ちがなかったので、お見合いはしませんでした。
こうして、
私は両親の期待するものからずれていったように思います。

今はあの時、こうしていたら・・・とか 思うことがいろいろですが
変えられないことなので
「今」を考えます。
ずっと歩くと息が切れる状態だったので、外出を控えていましたが
治ってきたので、今日は久々に外出しました。
外出していない、といっても
ワンコの散歩はしていますし、日々の食品の買い出しには
当然行っていましたけどね。
今日は、本当は友人と会う予定でしたが
彼女がインフルになってしまって会えなくなったので
来週行こうと思っていた美術館に行ってきました。

色々 書きましたが、一応 前向きには進んでいます。