洋楽器は世界共通の五線楽譜がありますが、和楽器の場合、各楽器の演奏方法が伝わりやすい楽器ごとの楽譜があります。

しかも、流派により独自。これが、相互の交流を妨げています。

現代邦楽が盛んになった時代は五線譜による作曲、演奏が前提となり演奏家は両方の楽譜が読めることが要求されました。

NHKの邦楽技能育成のシステムは、五線楽譜が不自由なく読める演奏者を育成する事が当初の目的だったと聞いた事があります。

固有の楽譜を廃止してしまえばよい、とも思われがちですが、演奏者にとってみると固有の楽譜は便利で廃止できないのです。

例えば、1尺8寸管のDの音だけでも、都山流は、ロ、ヒ、ピ・・音色の使い分けで同じDでも指が違い皆意味があります。

共存の時代は続くと思います。

アンサンブル・リベルタの場合、筝・尺八・ギター/コントラバスが全部違う楽譜で演奏していることを聞き、驚かれる方も見えますが。

私の場合、五線譜を都山流尺八楽譜に変換しておくと読み取り能力がまったく違います。吹奏楽、サックス演奏の経験があっても尺八吹奏は尺八楽譜が最も安心で曲の表現も違ってきます。

 

一昨日、都山楽譜と琴古楽譜の両方を読まれる方の最後のレッスンがありました。

何時もは都山もしくは五線譜でやってきましたが、最後なので、と琴古の楽譜を持ってみえた。

古曲の梶枕

筝古の楽譜の中では都山に近い楽譜で比較的読みやすいはずですが、気を抜くと暗号に見えてくる。

拍の表記、音高記号、常に解読変換しながらやっていると音がおろそかになる。

両方読まれる方はすごいですね。

 

以前は「一度その流派に所属したら他流派の方と演奏したり、他流派の楽譜を使うことはもってのほか。」と言われる時代がありましたが、もうそれを言っていたら尺八そのものが衰退するでしょう。

むしろ重要なのは、手ほどきを受けた師匠への恩のようなものでしょうか。

仰げば尊し、が卒業式で唄われなくなって「我師の恩」というような言葉も若い世代には通じなくなりましたが。

何でもありの邦楽界で、自由なことをさせていただいている私の尺八の二人の師匠へは感謝しています。

話がそれました。

 

一年半、様々な難曲を持ってこられ私も大いに勉強になるきっかけを作ってくださった杉原さん

一年半のレッスンを終え昨日が最後でしたが、以前から私の演奏をおっかけてあちこちへ聴きにきてくださっていたとのこと。

和楽器を演奏する学生たちへの熱意や、古曲への情熱、超難曲へ挑戦、いろいろ精力的な方でした。

悔やまれるのは

鮎釣りに同行できなかったことかな。

こちらこそありがとうございました。

同じ尺八を吹く仲間、お付き合いは続きそうです。