司馬遼太郎さんの「国盗り物語」を紹介 | れきしくん

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さて、今回ご紹介するのは司馬遼太郎さんの歴史小説『国盗り物語』です。


この小説は二部に別れておりまして、前半は斎藤道三(松波庄九郎)、後半は織田信長と明智光秀が主人公であります。


前半の主人公の松波庄九郎は一介の浪人坊主でありながら“天下を取る”という途方もない野望を抱いておりました。しかし天下を取るためには先ずは一つ国を取らなければならない。そこで松波庄九郎が日本六十余州を吟味して国盗りの地に選んだのが“美濃”なのであります。司馬遼太郎さんは松波庄九郎のこの選択を慧眼と褒め称えております。というのは“美濃”は日本国のほぼ中心に位置し、古代の壬申の乱や後年の関ヶ原の役など天下を二分する争乱においては必ず一大決戦が行われた要害の地だからであります。


「美濃を制するものは天下を制する」


というのは地政学からしても正解なのであります。


松波庄九郎は後に斎藤道三となりまして、望み通り美濃の国主となるのですが、志し半ばで倒れまして天下取りの夢は娘婿の織田信長に託されます。


信長は桶狭間の戦で今川義元を屠った後、今川の領地には目もくれず、ひたすら美濃の斎藤氏を攻め、七年がかりで美濃を制圧します。すると信長は本拠地を父祖伝来の地である尾張から新天地・美濃へとあっさり移すのであります。これは斎藤道三の正統なる弟子である信長は「美濃を制するものは天下を制する」という地政学における理(ことわり)を感得していて、天下取りの拠点となるのは美濃をおいて他にはないと考えていたからです。戦国時代には名将・勇将は数多くあれども、始めから明確に実現可能な天下取りの構想を抱いていた武将は松波庄九郎(斎藤道三)と織田信長の二人だけだったのです。信長以前に京を制圧した三好、細川、大内などの武将はいずれも美濃を領地とすることが出来なかったため天下取りの事業も中途半端なものに終わってしまいました。また室町幕府から美濃の守護大名に任命された土岐一族は歴代当主がボンクラ揃いだったためせっかく要害の地を得ていても豚に真珠、宝の持ち腐に終わったのであります。



「美濃を制するものは天下を制する」











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