『漢委奴國王』の本字の論を答ふる
『委(漢音:わ。訓:やまと)』なる名稱の依據は『廿四史 漢書』であらう。
『委』の語には「從ふ、委ぬ、任す」との義あることを知り得るべし。
『漢委奴國王』の原義に就いては「漢の倭の奴の國王」「大漢帝國の屬國たる『人偏+委=倭』の內に在りし奴國の國王」との義ならむとの說一般に行はる。然れども吾輩は舊說の說明の方法に贊すること能はず。『倭』は本邦の義と云ふ解釋は其の當を得ざる。
『奴』とは「漢王朝に從ひ、漢王朝より統治を任されたる」筑紫王其人也。
『漢委奴國王』とは「漢、國王を『奴』へ委ねる」の義也。
大化改新前後唐期に本邦に於いて筑紫都督府が移植さるゝ。此際『日本鎭西筑紫大將軍』を稱する者が筑紫都督府に入府せしむるに至る。
『日本鎭西筑紫大將軍』は『筑紫君薩夜麻』其人也。
一世紀の『漢委奴國王』と七世紀の『日本鎭西筑紫大將軍』は何れも筑紫の王と考へても決して怪しむべき義ではなからう。