身体が液体の中を漂っていた。息苦しさはなかった。私は目を開けているつもりだったが、何も見えてはいなかった。ここはどこなのだろうかという疑問が脳裏を過り、どうやら夢を見ているらしいと推察した。
しかし、意識は覚醒しなかった。私は液体の中を漂流し続けていた。或いは、身体はずっと同じ地点に留まっていて周りの液体だけが動いているのかもしれなかった。全身を撫でていく液体の感覚が心地良いので私は夢を見ているらしいという推察をすぐに忘却した。そして、どこからか声が聞こえてきた。
「ここは月の海ですよ。月はあなたが暮らしていた惑星よりも重力がずっと弱いのです。そのせいで海中にも酸素が大量に溶け込んでいます。だから、あなたは息苦しさを感じないで済んでいるわけです」と声は言った。
「どこかに漂着するのでしょうか?」と私は問い掛けた。
「月に陸地はありません。重力が弱いので水も土もすべてが未分離のまま渾然一体となっているのです。だから、月の海はすべてを含んでいます。あなたもこの海と同化します。満たされるのですよ」と声は答えた。
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